科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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議会制民主主義の崩壊
議会制民主主義の崩壊

 安倍首相の理不尽な国会解散から総選挙。初期の予想に反して結果は自民党の圧勝。野党の混乱、北朝鮮、台風、小選挙区制と、理由はいろいろ重なっている。その中でも、最大の理由は小選挙区制である。野党の混乱・競合もその基礎には小選挙区制がある。

 安倍首相一強の傲慢と嘘に国民は怒ったが、受け皿になる野党が頼りないから結局自民党に投票したという人が多い。「安倍・自民党の独裁を凝らすには野党を増やし、育てなければならない」といっても、「育てる野党が無い。今の野党には任されない」という答えが返ってきた。頼りない野党でももっと野党議員を国会に送りだして与党・野党がバランスを保ち、国会で議論を闘わさなければ、しっかりした野党は育たない。野党を育てるのも選挙民の意識による。

 今の国会は機能を失って、自民党安倍政権の思うまま、やりたい放題である。国会で議論すべき重要な政策も閣議決定で済まし、国会の論戦では質問にもまともに答えない、野党の国会開催要求(モリカケ疑惑追及)にも応じない(憲法無視)、やっと国会を召集したら議論抜きで理由無き国会解散、選挙で大勝したら「謙虚」を口にするが、国会での野党の持ち時間を減らして、議席数に応じて与党の持ち時間を増やせといいだした。それをいうなら、選挙の得票数に応じて与野党の持ち時間を決めるべきだ。次の国会ではまた、安倍内閣の横暴と権謀術策でことが運ばれるだろう。日本の議会制民主主義は崩壊の危機に瀕している。

 マスコミ(特にテレビ)では、次期国会で野党が首相の指名投票を誰にするか盛んに取り上げられている。結果は安倍晋三に決まっているのだから、今さら各党が誰にしようが意味がない。そんなことよりも、民主的な議会運営をいかに回復するか、そして議論すべき重要課題は何か、安倍疑惑をいかに追求するかを取り上げるべきである。

 今度の選挙後、小選挙区制の弊害が漸く言及されるようになった。今の一強独裁と議会制度が有名無実担ったのは小選挙区制のせいである。私は4.5年前から、「一票の格差」よりも、死票が圧倒的に多く、30%の獲得票で7割以上の議席の取れる小選挙区制を廃止して、中選挙区制ないしは比例代表制にする世論を喚起すべきであると、このブログにも書いてきた。
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日本の危機
日本の危機

理不尽な解散で衆議院選挙が始まる。この選挙で浮き彫りになった事は、日本の政治が大きく右旋回をしていることである。下手をすると戦前の「翼賛会」体制になりかねない。 

 希望の党の党首小池氏はれっきとした右翼思想の持ち主で、安倍首相と同列である。自民党、希望の党、日本維新の党とが協力して、改憲を目指している。その改憲内容は明確にしていない党もあるが、自民党と同じく9条と人権に関わるものであろう。
 安倍政権は憲法と国会法を無視して、安保法制、共謀罪などを強行採決し、他方では森友・加計疑惑を隠蔽するために強引な策略を弄してきた。安倍首相は政権を私物化して、法治国家といえないような国会運営をしてきた。まさに民主主義の危機である。「国難」の源は安倍首相自身である。

  民進党が割れて立憲民主党ができたことは、野党共闘の姿がすっきりとした。これで野党としての「しっかりとした受け皿」ができると、リベラル派を含めて、日本の民主主義の危機を憂えていた人たちの喜ぶ声が多く聞こえてきた。市民連合がリードして強力な野党共闘を実現し、民主的政権の奪還を目指して欲しい。国民の寄せる期待は大きい。

 今度の選挙を、マスコミは三極対立選球といっているが、指摘されているように「自民・希望・維新」対「立憲民主・共産・民社」の二極対立選挙である、そして民主主義擁護か翼賛政治かの分かれ道となる最も重要な選挙であろう。マスコミは現象ばかりでなく、本質を見て報道してもらいたい。

  国内問題だけでなく、最近の安倍政権の非民主的運営、「共謀罪」に対する国連からの批判に対する不誠実な反発、トランプ支持などを見て、これまで日本に好意的であった世界の目は、批判的な見方になっているようだ。国際的信用も日本は失いつつあるだろう。今度の選挙の結果を世界中が注目している。 
大嘘解散
 大嘘解散

 安倍首相は反対の批判を無視して,衆議院を解散した。解散理由は嘘で固めたこじつけである。

解散表明のテレビ会見を聞いて、呆れるばかり。よくもこれだけの嘘とこじつけを、平気でしかも堂々と言えるものだと腹立たしい思いで聞いていたが、我田引水、牽強付会、巧言令色にやがて聞くに堪えなくなり耳を塞ぎたくなった。耳を塞ぐ代わりに、テレビのスイッチを切った。 この説明では今すぐ解散する理由・根拠は全くない。

 安倍政権発足以来、首相は政策を次々に打ち出したが、ほとんど言い放しに終わっている。結果の検証もせず、次から次へと花火を打ち上げるように「新政策」なるものを打ち出したが、実りもなくすぐ消えていった。国民の関心を引くために、口で言うだけなら何とでもいえる、だが、その後は知らぬ顔。

 これまでに安倍政権の打ち上げた政策・約束で、国政・外交ともに、成果のあったものと無かったものを整理して、一覧表を作ってみれば、一目瞭然だろう。資料の揃っているマスコミなら簡単にできるだろう。その作製と公表を是非お願いしたい。

 今度の選挙は、日本の民主主義が崩壊するか、存続できるかの岐路である。反安倍の野党を少しでも増やすことが最も重要な目標であると思う。棄権や白票は自民党・安倍政権を利することになる。

 安倍首相は「国難突破解散」といったが、トランプ大統領の尻押しをして、一触即発の危機を煽り、国内では必要以上の危機感を植え付けている。彼はそれを、憲法違反・国会無視の批判を逸らすために利用しているに過ぎない。
 「国難」は外憂によるものではなく、むしろ国内での民主主義破滅の危機である。「国難」の源は「安倍首相」自身である。
内閣改造で安倍政権の本質は変わらない
内閣改造で安倍政権の本質は変わらない

支持率急降下により、安倍首相は悪評の閣僚を入れ替えざるをえなくなって、3日に内閣改造をした。しかし、最悪は安倍首相と菅官房長官である。この2人が替わらなければ内閣の本質は変わらない。

 新内閣発足に当たり、安倍首相の挨拶では、冒頭に「これまでの態度を反省して国民の皆様に謝罪する」といった。だが、これは口先、ゼスチャーだけである。日報問題、森友・加計問題では相変わらず「知らぬ存ぜず」、稲田、加計、昭恵氏の参考人喚問は以然拒否している。本質は前と変わっていない、「何をかいわんや」である。

 新内閣の役目は「仕事をし、結果を出す」ことだといって、経済活性化を第一政策に掲げた。次々に看板政策を繰り出して、気を引く何時ものやり方である。前に掲げた政策の結果を総括せず、無責任に次々に新目標をスローガンのように繰り出し、失敗をカモフラージュするだけ。

 安倍内閣も自民党もアベノミックス、経済復興に成功したと自慢する。株高、求人率上昇、経済回復などをあげる。しかし、リーマンショックで疲弊していた世界経済が漸く立ち直る頃に、安倍内閣は発足したからラッキーであっただけ。安倍内閣の功績というより、世界的に景気回復のお陰である。むしろ、最近は、先進国・新興国の中では経済成長率が低く、景気回復は遅れている。また、日銀の金融緩和政策の効果はなく、緩和からの出口が見いだせない状態である。その弊害がそのうちに露わになるだろうが、その時日本の国家財政と経済は破綻する危険性をはらんでいる。 

安倍内閣は経済政策で成功したどころか、「アベノミックス」は失敗であることは経済の素人にも分かる状態である。浜教授は「アホノミックス」とまでいっている。 

安倍首相の本質は変わっていない。
AIの発達した未来社会
AIの発達した未来社会

AIの急速な発達により、未来社会の予想も盛んである。その予想において問題となっているのは大きく分けて二つあう。

1.悲観論:現在社会における人間の仕事の大半はAIに奪われて、失業者が増える。
2.楽観論:人間のすることがなくなり、暇ができて余暇をどう過ごすのか。


この予想はいずれも的外れである。その理由:

現在社会における人間の仕事のうち、AIが取って代わるものは、規則的でルーチン化されやすい仕事はである。しかし、抽象的概念作りや、協調性が必要な仕事は当分残るだろう。創造的な仕事は人間の領域だといわれているが、それでも、人工知能が将来全く進出しえない仕事はないだろう。創造的仕事とは何かが問題ではあるが、人間がまだしてない(やり残した)創造的仕事をAIはかなりのレベルでなしうる。たとえば、技術・芸術分野。

それよりも重要なことは、AIの開発により、次々に新たな仕事が生み出されることである。AIによって能率が上がり、仕事を遂行する時間が短縮されても、その時間を余暇に回すのではないということである。社会活動のテンポが早くなり、社会全体の仕事量が増して余暇は(それほど)増えない。AI技術を用いた仕事、AI運用に関連した仕事が新たなに生まれることと、社会活動のスピード化により、全仕事量はかえって増える可能性がある。
過去にもこれと同じようなことが言われた時期があった。自動機械化、ロボット化が進めば、人間は今の半分働けばよい時代がくると。しかし、これだけ自動化が進んでも、労働時間は減らず、労働力不足で、長時間残業、過労死が絶えない。
その理由は、一つの画期的技術が生まれると、それに付随する仕事と、その技術を利用した新たな仕事が急速に拡がり、その技術による能率アップ以上の仕事が社会全体で増える。その典型例は、新幹線、パソコン、携帯電話などである。それによってスピード化が進み、人間は機械に使われ追いまくられるようになった。(拙稿「人工的社会と人類の未来」『唯物論と現代』No.20,1998、を参照されたい。)


他方の楽観論について:たとえ、AI化により余暇ができたとしても、遊んで暮らせるのは極一部の人である。誰でも少し働けば生活できる給料を得られる社会でなければ、皆がそのような生活を楽しむことは不可能だ。そのためには仕事と富を分け合う社会制度、格差のない(少ない)社会、福祉充実の社会、激しい競争のない社会でなければならない。資本主義社会ではそれは無理である。その楽観論が実現される理想的社会制度を模索すべきだ。
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