科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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間接的実証-疫学の有効性
間接的実証-疫学の有効性  
安倍政権の嘘を反証するために


  森友・加計問題について、安倍首相が関わってきたことを安倍政権と官僚は必死に否定するが、それは嘘であることを示す証拠-文書・証言-が次々に出てくる。それでも、安倍首相は頑として認めない。否定しがたい証拠を示せとまでいって居直っている。記録文書よりも 記憶の曖昧な秘書や本人の口頭否定の方がまかり通るのには呆れるばかり。

 物事の真偽を実証する方法に、直接的実証法と間接的実証法がある。直接的証拠によって実証できないときは、傍証となる多数の間接的証拠によって、整合性によって総合的に判断することが可能である。これが疫学的方法であり、公害裁判などにも用いられている。
  自然科学でも、近代科学以後、実験・観測で直接的実証法を工夫してきたが、多くの間接的傍証も有力な働きをしてきた。
現代科学では理論・実験とも複雑になり、直接的実証実験が困難になっている。それゆえ、当の課題と関連する多くの現象と実験を総合して、理論に基づく整合的な判断をもって実証するものが増えている。これも疫学的方法と類似である。 


森友・加計問題、自衛隊の日報隠しについて、これまでの国会での答弁や記者会見の状況を見ると、後から続出する資料・証言に政府や官僚は仕方な部分的に前言を翻して認めざるをえないところに追い込まれている。公文書・記録の隠蔽・改竄、国会での虚偽答弁など切りがなく露呈している。
財務省・文科省の資料、愛媛県の記録などは直接的資料に近いが、それでも否定されれば決定的資料ではないとされる。そこで関係者を国会に証人喚問しようとしても認めない。

これだけ間接的資料と状況証拠が揃えば、疫学的に総合判断して、誰が見ても安倍政権と官僚が嘘をついていることは明らかである。

 それにしても、ここまで追い詰められても嘘を通して居座る神経には驚嘆するばかり。普通の人なら、精神的にとても持たないであろう。これだけ国民の不審を買い、世界に恥をさらしているのだから、一日も早く真実を述べて総辞職するのが国のためである。
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安倍政権の醜い藻掻き
安倍政権の醜い藻掻き

隠蔽-出し遅れ-小出し-時間稼ぎ-ウヤムヤへ

これが安倍政権の戦術である。醜い藻掻きに近い政府の姿勢に国民はうんざりしている。
国会に第三者的調査委員を作り、早く真相を明らかにすべきだ。それが国会正常化の近道、正道である。


 安倍政権のこのやり方は、戦後に戦争犯罪・賠償を逃れるために、書類などの証拠を焼却・隠蔽した方法と同じである。戦争犯罪について、国内や外国から追求されると、資料がないといって言い逃れ、証拠を突きつけられると仕方なく認めるといったように、渋々小出しを続けることが続いた。それで信用を失った。(これは政府ばかりでなく企業にも見られる。)
 

 韓国・中国などに対して「日本は何度謝ればよいのか」と嘆きの声が出たが、その原因は、「渋々小出しの反省・謝罪」を続けてきたからで、本心で謝ってないと思われ、信用されずに「まだ隠していることがあるだろう」と疑いの目で見られたからである。

戦後の自民党内閣はその体質を引き継いできた。その極みが今の安倍内閣のやり方である。その上、憲法を無視して、民主主義政治と国会運営を放棄である。一日も早く退陣すべきである。
国民の期待を裏切り愚弄する国会運営
国民の期待を裏切り愚弄する国会運営

公文書隠蔽(防衛省、文科省、財務省)、公文書改竄(財務省)、欠陥資料作製、個人情報漏洩(厚労省)、国会で虚偽答弁、答弁拒否。

 これほどひどいことが次々に続くのは、政治家・官僚は何をしても国会で言い逃れ隠蔽できると思い、政治家、官僚の気の緩みのためであろう。与党の絶対多数を背景にした政官癒着の横暴の極みである。

 この一年余り、国会を空転させて国費を空費し、これほど国民を愚弄しても、安倍内閣は総辞職しない。民主主義どころか国家の機能崩壊である。この状態を許したのでは、このまま今後も安倍政権のやりたい放題の政治が進められるだろう。名としても安倍内閣を退陣させねばならない。

国会で閣僚・官僚が虚偽説明、虚偽答弁をしたら、証人喚問の場合のみでなく、何らかの罰則がなされるべきである。過去にも秘密協定があるのに無いと、何度も政府は虚偽答弁をしてきた。その他多数ある。
 最高権威の場を汚し、国民を愚弄する罪は重い。
民主主義を取り戻すとき
民主主義を取り戻すとき

 朝日新聞のスクープから、遂に財務省が資料お隠蔽と書き換えを認め、佐川氏の辞任となった。
隠蔽と逃げ口上で固められた堅固な政官体制にやっとヒビがはいり、綻び始めた。ここで徹底的に真相を追求して、安倍政権を倒さねば、日本の民主主義と正常な国会は失われてしまう。
  安倍首相の独裁的政権私物化、官僚支配は目に余るものがある。国会や記者会見での答弁は国民を愚弄している。ここで手をゆるめることなく、森友・加計問題で安倍内閣を倒し、民主主義とまともな国会運営を取り戻さねばならない。
 まだ政治批判の自由があるのに、日本人は大人し過ぎると、世界の人びとも見ているだろう。
オリンピックの運営について
オリンピックの運営について

 この半月ほど連日、平昌冬期オリンピックのニュースで賑わった。多少辟易したが、日本は過去最高のメダルを獲得したこともあって、国中が湧いた。選手はもちろん関係者の喜びは一入大きいだろう。次は東京オリンピックに向けてと、張り切って動き出そうとしている。
 スポーツを通して世界に平和と活力をもたらそうと呼びかけるオリンピック開催の意義は素晴らしく、そうあって欲しいと思う。しかし、ことはそう単純ではない。オリンピック開催とその運営について昔から問題が多々ある。そのことは以前から指摘されていたが、近年その憂慮が顕在化してきた。オリンピック開催に水を差す積もりはないが、オリンピックの運営について疑問に思うことが多いので、それをここに率直に述べたい。

まず、第一の悪弊は「金まみれ」、「薬(ドーピング)まみれ」の状態である。
近年まで、オリンピック誘致競争には手練手管の根回しと駆け引きが必要で、相当な誘致費用が要るといわれてきた。それでも国威発揚と経済効果を狙ってか、誘致合戦は激しさを増してきた。それゆえの裏金使用、汚職が問題になった。

その誘致競争に勝った開催地では、会場設営と運営に莫大な経費が必要であるから、相当のエネルギー・資源の消費と環境破壊がある。閉会後は、それら会場の維持管理が負の遺産となって、開催地に重くのし掛かった。それゆえ、近年オリンピック開催国の立候補が減り、激しい誘致合戦は影を潜めたそうである。それは結構なことである。

  だが、平昌冬期オリンピックにおいて、経済優先の弊害が顕わになったことは見逃せないだろう。テレビ放映権の莫大な金額のために、そのスポンサーの都合のよいような放映時間に競技時間が設定されたそうである。そのために選手(アスリート)の生理や体調などを無視して、テレビ放映の都合に合わせて競技が行われたといわれている。これも、「金」に支配されて運営されているからで、本末転倒である。
本来オリンピックはアマチュア選手の競技の場のはずであるが、国威発揚の場として国家事業になってしまった。選手の組織的ドーピング使用、そしてアクロバット的な演技のための過酷かつ危険な練習は、アマチュアスポーツの域を超えているように思える。もはや、オリンピック選手は真のアマチュアではなれないだろう。その技量を売り物にしないだけであって、練習に必要な多額経費は国やオリンピック委員会などの競技団体がスポンサーとなって支えているからであろう。選手はセミプロであり、国の代表として重い荷を負わされている。それゆえ、国威発揚とばかりに、メダルを何個、誰が取ったということが喧伝されて、偏狭なナショナリズムをあおる。そのナショナリズムが嵩じて感情的な対立にまで発展しトラブルを起こしたこともある。本来のアマチュアスポーツとしてのオリンピック精神は失われているように思える。オリンピックは政治から独立しているといわれているが、それは立て前であり、このナショナリズムがある限り、現実は政治とは無関係ではない。組織的ドーピング問題も根底にナショナリズムがあるからであろう。 
ドーピング問題は厳しい検査によって減ったようであるが、それでも手を変え品を変えてして続いている。

  もう一つ気に掛かることは急激に悪化する地球環境の問題である。オリンピック会場の設営には土地開発による環境悪化を伴うものが多かった。さらに莫大な運営経費を必要とする資源・エネルギーの浪費である。
環境破壊(森林破壊、埋め立てなど)、環境悪化による気候変動(地球温暖化)、異常気象は、年々加速度的に増加している。このペースで行くと東京オリンピックの2020年には、高温化(猛暑)のためにまともな競技ができなくなるのではないかと危惧される。お祭り気分で喜んでいる状態ではないように思う。 

 毎年の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の警告によれば、この異常気象の主な原因は人為的なCO2やメタンガスなどによるものである。異常気象は年々加速度的に進んでいて、近年における地球の平均温度の上昇は直線から急カーブの曲線に変わっている。最近の世界的異常気象には驚くが、来年はさらにひどくなるであろう。臨界状態に達すると、相乗効果でカタストロフィックにガタガタと急変するが、その臨界状態に近づいているそうである。地球環境は多くの要素が複雑に絡み合い微妙なバランスの上に保たれている。環境変化が臨界状態に達すると、わずかの変動が巨大な変化を引き起こす(カオス現象)。そうなっては取り返しがつかない。素人の個人的予想だが、2050年とか21世紀末などと悠長なことでなく、臨界状態になるのはあと10年のオーダーではないかと心配している。東京オリンピックすら、安心できないだろう。

 以上のように、利権絡みの金まみれ、薬まみれ、アマチュア精神逸脱、ナショナリズム、環境破壊など、多くの問題が顕在化しているオリンピックの運営を根本的に変革すべきであろう。
 これらの悪弊をなくす手立ての一つは、オリンピック会場をギリシアのアテネに固定することである。数年前の東京誘致の頃に、筆者は友人との対話のとき、この案で意見一致したことがある。こうすれば、少なくとも誘致合戦と運営経費の浪費、および会場設営の無駄をなくし、環境保全にもプラスになるだろう。この案は真摯な検討に値すると思い、当時ブログにも書いて訴えた。


 ところが、図らずも昨年7月に朝日新聞の「天声人語」に、オリンピック会場をアテネに固定する案が提案された。それを読んで気をよくし、以前書いたブログのことを思い出して、その内容を担当者に送った。それに対する返信葉書に「オリンピックにからんだナショナリズムはやっかいな問題ですね」とあった。会場をアテネに固定することで、ナショナリズムの問題は解決しないかも知れないが、オリンピックの抱えている諸問題の根底にはナショナリズムがあると「天声人語」氏には映ったのかも知れない。それは解決すべき大きな課題であろう。 

 以上が、平昌冬期オリンピックのテレビ放映を時々見ながら強く感じたことである。
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