科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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人間としての理解を超える
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改めて欲しい呼び名「デジタル教科書」
改めて欲しい呼び名「デジタル教科書」
 
 数年前、インターネットとパソコンを用いた教育法の導入が進められていることが新聞に載った。その電信版教科書を「デジタル教科書」と呼んでいたので、この命名はよくないと、以下のような趣旨の批判意見を文部科学省と朝日新聞社(他社も同じ呼び名を用いているかも知れないがそのとき読んだのは朝日だったから)に送った。

  「おかしな呼び名「デジタル教科書」」 
 最近、インターネットとパソコンを用いた教育法が進められている。この教育技術について、批判的意見や留意点を指摘する学会や教育研究者はいる。その長所短所についてはこれからの研究と成果を待たねば、安易に結論できないだろうから、ここでは論じない。それについて一つだけ言えることは、現代社会では、自らの体や手を触れ直接体験して憶える場が少なくなっているのに、それがますます助長されるということである。自然に触れたり、体や手を動かすことで学ぶことの大切さが忘れ去られていくのが気になる。 
 それはさておき、ここで言いたいことは「デジタル教科書」、「デジタル機器」など、その教材の呼び名についてである。そもそも、「デジタル」とは言うまでもなく、情報通信や記録の方法、つまりI T技術に関する用語である。通信や記録の方法には「アナログ(連続的)法」と「デジタル(不連続的)法」があるが、デジタル法は情報を不連続化して数値(0,1)で表すものである。それなのに、「デジタル教科書」とはなにを意味するのかと訝からざるをえない。この名からイメージするのは、書かれた内容が「デジタルな教科書」である。皮肉な見方をすれば、「断片的な知識をばらばらに詰め込んだ教科書」なのかと言いたくなる そうではなく、デジタル通信やワープロの技術を利用した教科書という意味ならば、「デジタル通信技術を用いた教科書」というべきであろう。そのような持って回った呼び名よりも、紙に印刷した本の代わりに電気通信技術を利用した教科書という意味で「電紙版教科書」、あるいは「電信教科書」と名付けた方がよいであろう。
 正しくない命名は、物事の考え方や理解の仕方に、知らず知らずのうちに影響するもので疎かにできない。まして教材の呼び名はもっと慎重に考えるべきである。文部科学省がこの表現を用いているようであるが、改めることを提案したい。以上
(その後、この呼び名は見なくなった>) 

 現在、日本の教育の弊害は、正にデジタル的ばらばらな知識を記憶する詰め込み教育である。それを私は「教科縦割り個別知識詰め込み教育」と呼んできた。すなわち、覚えるのはその言葉や事項についての意味や内容・趣旨ではなく、また他の事項との関連でもなく、ただ個別的名前や式の暗記である。「デジタル教科書」という呼び名を見て、思わずそれが頭に浮かんだ。
 「デジタル教科書」という命名は、この「教科縦割り個別知識詰め込み教育」の現状を象徴しているようにに思えて仕方がない。


 これと似た非科学的なまずい表現「再生可能エネルギー」についても指摘したことがある。エネルギーには有効なものと有効でないものとがある。エネルギーの総量は保存し不変である(エネルギー保存則)が、一度利用したエネルギーは有効性が減る。それに手を加えずに自然状態で有効エネルギーに再生されることはありえない(物理学のエントロピー増大則)。有効なエネルギーに再生するには、それ以上の有効エネルギー使用が必要である。だから、風力や太陽光エネルギーを「再生可能エネルギー」というのは非科学的である。むしろ「持続的自然エネルギー」、長過ぎるならせめて「自然エネルギー」と言うべきであると提案した。「自然エネルギー」とは、それを利用するまでにそのエネルギー自体に人工的操作がなされてないという意味である。この主張は、私が呼び掛けた範囲の人たちには受け容れてもらえたし、「再生可能エネルギー」はできるだけ用いないようになった。

  マスメディアは情報を伝えるだけでなく、その時代の文化を創る役目も担っているはずである。マスコミにとって言葉は最も大切なものであろう。表現法にはもっと神経と知恵を使って欲しい。最近では英文の頭文字を並べたものがやたらに横行しているが、意味がわかるまで苦労することが多く苦々しく思っている。これなども適切な日本語を考案して、改める努力をして欲しい。

 先日 5月18日の朝日新聞の解説記事「いちからわかる」の「デジタル教科書ってどんなもの?」を読んだ。またも「デジタル教科書」を用いているので、それについて再び同じ趣旨の意見(苦言)を送った。このブログで再び取り上げたのはそのためである。

やはりAlphaGOが李セドルに楽勝
原油値下がりで経済不安と環境汚染加速
原油値下がりで経済不安と環境汚染加速

 昨年から原油安が続き、ついに1バレル30ドルを割ったと、最近大きなニュースになっている。その影響として問題視されるのは先行き世界経済に対する不安である。中国経済成長の失速から原油安が続き、また世界同時株安・暴落、そしてドル安・円高で日本経済にも悪影響がでsるだろう、などなど。 他方では、石油の価格の下落で消費者は喜んでいる。石油消費量が急増する。交通機関には自家用車の利用が増すであろうし、火力発電も増えるだろう。

 原油価格の急落の事でメディアが取り上げるのは、世界経済への不安と、消費者の喜ぶ声ばかりである。だがもう一つ大きな問題、大気汚染(温暖化)が加速されることを忘れている。メディアに登場する識者・評論家も誰一人このことに言及する者はいない。
 ただただ、経済、経済、景気、景気ばかりである。それだけ世界経済は不安定で、先行きが心配な情勢なのであろが、発想が一面的である。両眼を開いて見るべきだ。
 
 世界サミットや蔵相会議では、環境問題からしても、行き過ぎた原油安を止めるべく、原油生産量を調整するよう産油国に働き掛けるべきである。マスコミはそのように世論を喚起してもらいたい。
筆舌に尽くしがたい暴挙
 筆舌に尽くしがたい暴挙  

 自公与党の絶対多数を用いて安倍政権はついに「安保関連法」を強引に通過させた。理屈も慣例も、世論も、学者の意見も、知識人、文化人など多くの分野の団体の意見も、政界・法曹界の長老の意見も、宗教界の声も、公聴会の証言も、老若男女の市民の声も、・・・・などなど一切のものを無視し続けた。全国の各界各層の人達がこれほど強く叫んだことはこれまでになかったことだ。
 政府は国会の答弁もまともに答えず、安倍首相は質問をはぐらかすか、説明もなく「違憲ではありません」「そのようなことはありません」の剛弁一点張りで議論にならなかった。安倍首相は「視ざる、聞かざる、言わざるの三猿」を決め込んで無理矢理法案を成立させた。彼のやり方は筆舌に尽くしがたい暴挙である。
 日本はもはや何を言ってもやっても認められない、独裁国家のように成った。本当に怒りと虚しさで一杯である。しかし、ここで挫けては政府の思う壺である。法案が通ればやがて冷める、「人の噂も75日」と自民党幹部は言っている。それゆえ「安保関連法」が実効性を失うように反対運動を続けねばならない。 安倍政権退陣を、そして次の参議院選挙で、賛成派の議員を落選させる運動を全国的に強く執拗に展開せねばならない。 
 また、衆議院の小選挙区制の弊害と、恐ろしさを説き、小選挙区制を廃止する運動も合わせて行わねばならない。安倍自民党政権を生んだのは、私たち有権者である。二度とこのような政権が生まれないよう肝に銘じ投票しなければならない。


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