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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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自然・人間・科学:自然との共生のための科学
自然・人間・科学:自然との共生のための科学

  自然を支配し、人類のために自然を利用するという、かつての行き過ぎた思想による科学・技術の反省から、自然との共生を目指す科学・技術が求められている。以下の考察は、科学と技術を区別し、科学について論ずる。
 
 人間は宇宙進化の過程で生まれたものであり、人間も自然の一部であるから、「自然科学は自然自体が人類を通して自らを解明する自己反映活動」ということになる。 
 人間の思考も、自然認識の行為も自然現象の一部である。したがって、自然認識という行為(科学)も自然現象の一形態である。それゆえ、科学研究において、自然と人間とは相互依存的存在であり、いずれが上位とか下位ということではない;
                     自然 ~ 人間
  それに対して、キリスト教の「神―人間―自然」という階層的自然観は、神が人間と自然を創生し、神に仕える人間のために自然が在るとみなす。この自然観によれば、人間は自然よりも上位にあることになる。すると、人間は自然の外に立って自然を対象化して自然を認識するという姿勢となる。それが嵩ずると、科学・技術の力で自然をコントロールしようとする意識、すなわち自然支配の思想が生まれる。

  しかし、自然科学は自然自体が人類を通して自らを解明する自己反映活動という科学観に立つならば、人間が自然の外に立ち「自然を対象化」して(同列とみなさない)自然を認識するという態度ではなく、自然を内から共感的に認識するという姿勢になるだろう。「内からの共感」とは、科学者の精神的姿勢にかかわるもので、何を探究するかという研究課題の選択に留まらず、科学の方法にも及ぶ。観察・実験にしても、自然を破壊するような方法、手段は取るべきではない。つまり自然に答えを強要するのではなく、穏やかに問い掛けるような方法でなされる。たとえば、原水爆実験、自然環境に影響する様な遺伝子操作などは排除されるということである。この科学観こそが、自然との共生のための科学に導くものであると思う。

  この科学の規定によれば、自然科学は自己言及型の論理であるから、ゲーデルの不完全性定理により、科学は原理的に不完全である。人間はいかに逆立ちしても、自然の外に出ること、つまり自然法則を超えることは不可能である。その意味で、人間は自然界における特別の存在ではない。この人間の限界を自覚するならば、自然の内に在って、自然法則に従い、自然と共生せざるをえない。それに反して、無理に人工的に自然を乗り越え、コントロールしようとすると、痛いしっぺ返しがくる。

存在の理法: 相互規定的自然の仕組み
  この自然界におけるすべての存在(物質、時空、エネルギー、エントロピーなど)は、何らかの形式で相互に関連し合っていて、単独に独立した存在ではない。個々のものは相対的自立性を保つと同時に、相互連関の内に存在していることは明らかである。それらは相互前提的に対立物として存在し、相互依存の関係にあることが、全ての存在の基本的形式である。
さらに、それらの存在様式そのものが、互いに持ちつ持たれつの相互依存によって決まる。つまり、「存在の理法」は相互規定的構造になっている。全ての現象で「作用-反作用の法則」が成立していることからも、物事が相互依存の関係にあることは明らかである。だが、そのことはそこに存在するものが相互作用を通して相互に反映しあっていることを表現しただけであって、存在様式そのものが本質的に相互規定的構造にあるというのではない。ここにいう存在の理法の相互規定性はもっと強く本質的である。その典型は、宇宙の時空構造と物質分布の相互規定性である。
人間が共感によって自然を認識すべきであるというのも、この人間と自然との相互規定的関係に根ざしていると思う。

  東洋の自然観の「自然論」は、自然の運動・変化は「自ずから然る」「なるべくして成る」というものである。この思想は、「自然はなるようにしかならぬという達観した態度」であり、悪く言えば、それ以上自然の仕組みや法則を深く追求することを止める、思考停止の姿勢である。この自然観からは近代科学的な法則概念は生まれないだろう。しかし、見方を変えて、現代的な自然科学の法則観に立てば、自然には自己組織化、自己発展の能力が備わっていて「自ずから然る」という観点、すなわち複雑系科学の自然観になる。
  自然自体、および自然の部分系としての物質系(物質と時空からなるシステム)には自己運動、自己発展する能力が内包されている。ある一定の条件(構成要素の数、相互作用の種類、境界条件など)を満たす物質系には自らの内的相互作用によって起こる運動変化により、新たな質や機能が発現する。この己組織化、自己発展を創発(emergence)という。これが自然の進化力であり、その原理・法則を追求するのが複雑系科学である。
自然界の創発はいかにして起こり、いかなる方向に進むのかそれはまだほとんど分かっていない。生物の進化は、突然変異と自然淘汰によるのではなく、内的条件と境界条件(環境)に規定され、自然環境に適合した創発(適応的自己組織化)によるものと思われるが、自然進化の方向もそれと同じメカニズムによるものであろう。
創発の機構を科学的に解明しようとしても、科学の不完全性により、完全な解明は不可能である。だが、完全な解明は不可能でも、できる限りその真相に近づくことは可能である。

自然(宇宙)の自己実現
  自然(宇宙)はその内的能力により、開闢以来次々に新たな組織や機能を自ら生みだしつつ進化してきた。それは、「自然自体の自己実現」の過程といえるであろう。だが、その創発の方向は、何かある目的が定まっているわけではない。
 では「自然の自己実現」とは何か。自然(宇宙)の生成時に、自然に備わっていた内的条件(時空的、物質的条件)と境界条件により、その創発能力は定まる。その創発能力が発揮されて、いかなる方向に宇宙は発展進化するかは、外的条件(境界条件、環境)にも規定される。そして、創発の発現形態(様相)はその時々の内的・外的条件により定まるから、前もって予定されたものではない(初期条件で決まる必然的決定論ではない)。

  自然(宇宙)に具わった創発能力を十全に発揮して、自己発展(進化)しうる限界状態(最適応状態)を実現することが、自然の「自己実現」だといってよいだろう。このような創発による自己実現は目的論のように前もってその目標が定まっていないゆえ、発展過程の途中の状態でも、その時々で自己実現の過程にあるわけである。(人間が先祖から受け継いだ自らに備わった能力をもって、環境に適応して自己実現するのと同じ。)

  自然の一部である人類の営為も、この自然の自己実現の一環である。科学は自然の自己発展の原理と仕組みを解明し認識するものであるが、「科学は自然自体が人類を通して自らを解明する自己反映活動」であるから、その科学活動は自然の自己実現の様相と仕組みにマッチしたもののはずである。したがって、「自然科学」は、自然を対象化し切り離して、人間の欲望に従って、自然に関する知識を切り取り利用するのではなく、自然の自己実現の過程に繰り込まれていることを意識しつつなされるべきである。これが「自然との共生」のための科学の姿であろう。
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宇宙の自転について
宇宙の自転について 

  2019年度の京都賞(稲盛財団)の基礎科学部門に、「宇宙の3次元地図を作る国際プリジェクト」のリーダ-(プリンストン大学名誉教授ジェームズ・ガン氏)が選ばれた。

宇宙の3次元地図の作製は、目立たない地道な研究であるが、宇宙の構造ばかりでなく、宇宙進化の解明にも欠かせない重要な基礎資料であろう。この研究と関連して、私に興味のあることは「宇宙の自転」である。以前から、宇宙の自転の問題に関心があった。昔は、宇宙は全自然そのものであるから、宇宙の自転など問題にならなかった。しかし、多宇宙論まで考えられる現代の宇宙論では、宇宙の自転に意味があるだろう。

宇宙の誕生と発展進化論のシナリオが分かってくると同時に、宇宙は一つではないという多宇宙の可能性が論じられるようになった。それらの宇宙は孤立しているのか、連結しているのか確かなことはまだ言えないが、何らかの相互関連があるであろう。いずれにせよ、自然界の構成が、宇宙は一つでなく他の宇宙が存在するのであるならば、この宇宙の自転の可能性を考察することは意味を持つだろう。全ての系は静止状態にはなく運動・変化をしているから、この宇宙も絶対静止ではなく何らかの回転運動をしているだろう。

 宇宙に自転があれば、その自転の様相(自転軸とその方向、自転の向きなど)を決定することは、宇宙論の基礎的研究に大いに貢献すると思う。
 
  宇宙には右手系と左手系について、非対称な現象やものがある。たとえば、素粒子の基本的相互作用の一つ、弱い相互作用では空間反転に対するパリティ保存則が破れている。化学物質にも生物を構成しているアミノ酸は左旋光のみである。これら非対称性と宇宙の自転とが関連していないだろうか(マッハ原理)?そこで、宇宙の自転に関心を持ったのである。

 もし、この宇宙が自転しているならば、その検証は渦巻銀河の向きの分布状態から分かるはずである。地球上で台風の回転方向はコリオリー力により、北半球で反時計回り、南半球では時計回りであるように、銀河や銀河団の回転の方向の分布を調べれば、宇宙の自転軸とその方向が分かるはずである。

  宇宙創生期のビッグバン後、原子核や原子から成る一様なガス体が膨張を続けながら、ガス体が千切れて銀河・恒星が形成された。その千切れたガス体は重力により収縮を始めて銀河が形成された。もし宇宙が自転していれば、コリオリー力によってそのガスの収縮過程で銀河の渦巻きの向きが自転軸に対して決まるはずである。宇宙を球形とみなすと、自転軸に対して上半分(北半球)では左巻、下半分(南半球)は右巻となるだろうから、渦状銀河の回転状態の分布は一様でなく非対称になる。ただし、宇宙は生成以来膨張してきたから、コリオリー力にその膨張速度を考慮しなければならないので銀河(団)の回転面がずれる。それゆえ、膨張速度の影響が大きい宇宙生成の初期に生まれた遠方の銀河(団)でなく、なるべく遅く生まれた近くの銀河(団)の回転分布を調べるのがよい。それには、宇宙の3次元的地図が是非とも必要である。


 渦状銀河の回転方向の分布を観測すれば、宇宙の回転軸が判定できて、自転が検証されるはずである。回転軸から遠く、また回転軸に対して中央(赤道面)から離れた上下の領域で非対称性は顕著になるだろう。したがって、銀河の渦状態の分布について、方向のみでなく立体的な観測データが必要なのである。 宇宙創生以来、銀河が形成された後、移動しており、衝突もしているから、渦巻きの分布状態は初期のままでなく変化しているだろう。だから、シャープな分布データは得られないかも知れないが、非対称性は残っているだろう。 

 銀河のみでなく、さらにマクロな構造をもった銀河団にも回転の非対称性があるかも知れない。銀河の移動・衝突を考えれば、むしろ銀河団の回転の非対称性を見る方がよいかも知れない。

 私は30年以上前に、この問題に気づき、ずっと関心を持ち続けている。その当時、国立天文台のI氏にお願いして、銀河の渦巻き分布のデータを送って頂いた。しかし、その頃は、データの数も少なく、銀河の方向だけで、距離を含めた立体的分布は全く判断できなかった。
  その後も、その様なデータは増えていないようである。この「宇宙の3次元地図を作る国際プリジェクト」の中に、銀河(団)の渦巻き分布測定を入れてほしい。その結果に期待している。
大隅良典氏のノーベル医学・生理学賞の受賞
大隅良典氏のノーベル医学・生理学賞の受賞               

 今年はノーベル医学・生理学賞を東京工業大学栄誉教授の大隅良典氏(71歳)が受賞した。細胞が不要になった、蛋白質などを分解する「オートファジー」と呼ばれる仕組みを解明したのが受賞理由であった。日本科学者の3年連続ノーベル賞受賞は誇らしく、大変喜ばしいことである。

 だが、近年は基礎科学の分野で研究費が少なく、若手の後継者が落ちついて基礎研究を続けにくい環境であると大隅さんは憂慮している。もっと基礎科学を重視し、その研究環境を整えよと力説している。最近は特に短期競争的研究費が増え、すぐ成果の出る研究が評価されがちである。これでは基礎科学も若手研究者も育たない。基礎研究がしっかりしてこそ、その上に全分野の科学・技術が開花する。このままでは将来ノーベル賞の受賞も期待できないと、繰り返し述べている。

 科学は技術として役立つだけではなく、精神文明の一翼を担っている。大隅さんのいわれるように「科学は文化」である。文化国家に相応しい科学・技術政策が望まれる。それには「精神文明としての科学の復権」を計るべきだろう。私は以前からずっとそれを主張してきた:拙著『科学は自然をどう語ってきたか』(ミネルヴァ書房 1999年 「技術・科学図書出版優秀賞」)。

 それにしても、いつも思うのだが、日本はノーベル賞となると異常に大騒ぎをする。ノーベル賞は学術界で世界最高の賞であるから、特別視するのはわかる。だが他にも素晴らしい賞は多くあるのに、その受賞はほとんど無視され採り上げられない。受賞者の業績と研究内容を紹介して欲しい。そうすれば科学者になろうとする青少年も増えるだろう。この偏った風潮はマスコミの姿勢によるが、日本人の文化の対する理解のアンバランスを表すものだろう。
自己組織化におけるエネルギー,エントロピー,シナジー 
 自己組織化におけるエネルギー,エントロピー,シナジー 

 (これは日本科学者会議総合学術会議の分科会「複雑系科学シンポジウム」で報告したものである。)

  1.はじめに
発展・進化の現象で普遍的、かつ中心的役割を担うものはエネルギー、エントロピー(負情報)およびシナジー(協同性)である。これら3要素は自然界のすべての現象に関連している。
 エネルギー保存則はすべての現象を、エントロピー増大則は多体系すべての現象を普遍的に貫く法則である。シナジーは物質の相互作用により生ずる相互連関性、すなわち協同性であるから、質や機能の創発の基である。これも多体系の現象には普遍的にみられるものであるが、まだ普遍的な法則として定量化されてない。
 
 複雑系の進化現象(創発)の必然的予測は不可能であって、確率的にしか予測できないとプリゴジン派は主張した。確かに発展・進化過程で、いかなる質や機能が創発されるかの予測は、今のところほとんど不可能のように思える。また、非線形法則の場合、発展過程に見られる分岐枝の選択予測はできない。カオス現象の未来の結果を予測することも困難である。
 しかし、既存のアプローチ法では法則化は無理でも、観点を変えれば別の新たな法則性が見えてくるはずだと思い、プリゴジン派の見解に批判的意見を持っていた(『複雑系科学の哲学概論』終章)。たとえば、1体系や2体系にはない物理的概念や物理量が多体系には現れる。温度、圧力、内部エネルギー、エントロピーなどは多体系に特有の概念である。分子統計力学はこれらの物理量を用いて、全く無秩序な分子運動の中に熱統計力学の法則(新たな秩序)を見出した。このように、複雑系現象の中の予測不可能なものでも、観点を変えれば別次元の法則性が発見されるであろう。そのようなアプローチには、普遍的法則であるエネルギー、エントロピーが有効かつ不可欠な役割を果たすと考えられていたが、シナジーも重要である。複雑系科学においてシナジー作用の役割を強調したのはH.ハーケンであるが、まだ定量化も法則化もあまり進んでないので、その役割は未知数である。それゆえ、エントロピー増大則でかなり広範囲の現象が理解されると考えられていた。

2.「コンストラクタル法則」について
 E.ベジャンの「コンストラクタル法則(constructal law)」はまさにその一つであろう。ベジャンは、自然界のすべての事象は、流れの中にあり、その中でシステム(散逸構造)はその構造を存続するために「より良く流れる形に進化する」と捉え、それを「コンストラクタル法則」と呼んだ。この法則は、すべての流動系の構造は「エントロピー生成が最小に近づくように設計されていく」と解釈できる。
 彼はこの法則を普遍的基礎原理に据えた。無生物、生物、機械、社会などすべてのものの発展・進化に適用できると主張し、具体例を挙げて分析している。つまり、自然界のすべての存在はこの法則によってデザインされ、形成されていくというわけである。例えば、河川、樹木、肺の気管などはその中の流れを効率よくするように形成されている。そこにフラクタル構造とスケーリング則がみられるという。
 この観点は自然界の発展・進化の方向(適応進化)は必然的であるとし、それを統一的に捉えた優れたものだと思う。進化はダーウィンのように突然変異によるものでなく、この法則に従って「成るべくして成る」といい、またプリゴジンの予測不可能性や確率的予測を否定する。
コンストラクタル法則は適用範囲が広く、進化の方向を統一的に説明する普遍的法則とみなすことはできるだろう。だが、それは進化の方向を決める現象論的法則といえるだろう。その変化の機構をそのシステムを構成する物質の相互作用に基づいて実体論的に法則化する必要がある。
 E.ベジャンの理論のことを最近知り、それに触発されて次の事を考えた。コンストラクタル法則は、第一近似としてはこれでよいだろうが、それだけでは不十分と思うからである。以下にその理由を列挙する。

3.シナジー効果を考慮した法則を
1)コンストラクタル法則は、物事の構造と進化を、エントロピー増大則をベースにして、現象論的、あるいは構造論的に法則化したが、もう一つ掘り下げて実体論的法則を探るべきだと思う。そのためには、システム構造の形成とその変化を構成要素の相互作用にまで立ち入って解明すべきであろう。それには要素間の相互作用によって生ずるシナジーを考慮する必要がある。

2)ベジャンは、地球圏における種々の形態の「流れの存在」を前提にしているが、そもそも「流れ」は如何にして起こるのか。その流れを生むのは物質の相互作用によって生ずるエネルギーであるが、流れの発生機構も解明すべきである。ベジャンは地球上の流れの源を太陽エネルギーと重力としているが、この法則を宇宙規模で考える場合、もっと広いエネルギー源を採り入れるべきである。また、エントロピー増大則と矛盾しない宇宙進化を論ずるには、宇宙膨張も考慮する必要がある。

3)流れの中での構造変化、すなわち発展・進化はいかなる条件の下で起こるのか。その機構が問題である。それは流れとシステム構造の対立拮抗(摩擦・流圧と抵抗)が臨界点(カオスの縁)に達したときにおこるが、そこに至る過程と機構を分析し、理論化すべきである。変化には進化ばかりでなく退化・崩壊もある。一般的に進化には退化が伴う。

4)流れの中でシステム(散逸構造)を形成するとき、またその構造を維持するために、外形と内部構造が問題になる。流れを良くするには抵抗が少なく、高速流に耐えうる構造が有利である。また内部で使用した高エントロピーのエネルギーを吐き出す有効な機能が必要である。そのためには構成要素間のシナジー(協同性)作用が不可欠である。さらに、システムの構造が変化してより良き構造が創発されるときも、シナジー作用が重要な役割を演ずるはずである。

5)自然界の現象の基礎には、現状維持の傾向(慣性)とそれを否定する外的作用との対立拮抗があり、両者の拮抗の破れで運動・変化が決まる。それゆえ、科学理論はみな二つ以上の原理の組み合わせで構成されている。演繹的体系は相互規定的、あるいは相補的原理の組み合わせで構成されている。
この場合も、エントロピー原理に基づくコンストラクタル法則だけでは不十分であり、その補足としてシナジーと関連する法則が必要である。

4.進化におけるエネルギー・エントロピー・シナジー(協同性)の役割 
 散逸構造は周囲(環境)よりも低エントロピー状態にあるから、その体系を維持するためには、絶えず低エントロピーのエネルギー(物質)を採り入れ、それを利用した後に高エントロピーの老廃物を外部に放出している。これも一種の流れ現象である。その点に関しては、外部から採り入れた低エントロピーエネルギーを効率よく利用する機能および老廃物(高エントロピーのエネルギー)を効率よく排出する機能ほど進化している。すなわち、その利用過程でエントロピー増大率をできるだけ少なくする機能を備えた体系ほど進化しているといえるだろう。
 散逸構造が現状を維持し定常状態を保っているのは、一種の慣性とみなせる。しかし、定常状態は永久に保たれることはなく必ず変化し、進化か退化(崩壊)が起こる。その場合、定常状態を維持しようとする慣性と変化しようとする作用との対立拮抗が常にそこにある。その均衡が破れて変化が起こるとき、その拮抗の破れ方(どちらが優位になるか)により進化・退化の仕方が決まる。
進化はエントロピー生成を少なくする体系への変化であると同時に、その局所的部分に限れば、体系自体がより低いエントロピー状態へ移行する変化でもある。ただし、進化により体系が大きくなると全エントロピーは増大するから、単位体積当たりのエントロピー(エントロピー密度)が減少するという意味である。
 
シナジーと機能の創出について
 機能性を有する状態は、無秩序状態よりも低エントロピーの状態にある。たとえば、多数の分子が並んで膜を作れば機能が生ずるが、ランダム状態の分子状態よりも秩序性のある膜状態の方がエントロピーとエネルギーは低い。ランダム状態から膜状態への転化は相転移である。それゆえ、すべての自己組織化と同様に、機能性の創発はエントロピー増大則に逆らった現象である。
 進化の過程では新たな機能が創発されるが、機能性は構成要素間のシナジー作用(協同性の作用)により生まれる。したがって、エントロピーを減少させるシナジー作用はエントロピー増大則と対立拮抗する。
 シナジー作用は構成要素間の相互作用により低エントロピー状態への転化(進化)を引き起こす。物質の自己組織化では、一般的にシナジー作用によりエネルギーもエントロピーも共に低い状態への転化を伴う。システムの維持には適度の安定性が必要であるから、エネルギー的にも低い状態となる。その転化の際に、エネルギーと共にエントロピーが外部に放出されるわけである。それゆえ、シナジーは引力的相互作用により生成される。ただし、エネルギーが低すぎると機能性は逆に抑制されるから、適度のバランスが必要である。 
 相転移はシステム内の非線形的力によって起こる。体系を維持する傾向(慣性)とそれを破る作用との対立拮抗、あるいはエントロピーを減少させる作用(シナジー力)と増大させる作用(エントロピー力)との対立拮抗が臨界点に達したとき不安定になる。さらに、臨界点を超えると相転移によって体系の構造が変化する(質的転化)。 
 相転移は秩序を保とうとする協力的力(シナジー力)と無秩序へ移行しようとするエントロピー的力との対立拮抗の破れによって引き起こされる。すなわち、エントロピー増大作用と減少作用との対立競合である。例えば、温度が下がり臨界点を超えると協力的力が勝ちエントロピーの低い秩序状態に突如として相転移する。
 
 水を熱して生ずるベナール対流も、水流のシナジー効果により生ずる機能である。対流は熱伝導よりも熱の拡散をよくする。その対流により生ずる6角形模様は秩序性の生成であり、それは水流(対流)のシナジー作用による熱拡散機能の生成である。  

5.エネルギー、エントロピー、およびシナジーの関係
 周知のように、エントロピーはエネルギーの質を区別する指標である。シナジーはエントロピーの質を区別する概念とみなされるだろう。その理由は、同じ分子配列(統計力学的エントロピーは同じ)でも相互作用の違いによりシナジー性は異なるからである。同数の分子が並んで膜を形成する場合、分子配列のパターンが同じなら統計力学的エントロピーは同じである。しかし、それら分子間の結合状態により膜の機能は異なる。
 単なる遮蔽膜なら機能は振動の自由度しかないが、半透膜や透過性のある膜であればさらに高度の機能を有する。透過性の機能は分子配列以外の要因、分子間の相互作用によって生ずるシナジー効果である。それゆえ、構成分子間の相互作用が異なれば膜のシナジー性が異り、膜の機能も変わりうる。このように、統計的エントロピーは同じでも、構成分子のシナジーによりエントロピーの質が異なるといえる(その場合、エネルギー状態も変わるだろう)。それゆえ、シナジー性はエントロピーの質を区別する指標となりうるだろう。シナジー性を採り入れた「エントロピー」は統計力学的エントロピーとは異なる概念であり、単純な加法則は成り立たないだろう。
二種類以上の分子からなるシステムでは、さらに多くのシナジー性が現れるから、エントロピーを区別する仕組みは一層複雑になる。
シナジー性によってエントロピーを区別する指標を定義し、その定量化をする必要があるが、それは難しく、まだそこまで行けない。
上記のように、散逸構造が安定的に維持されるにはシステムのエネルギーとエントロピーがある程度低くなければならないが、余り低すぎると機能性が損なわれる。それゆえ、進化はこの3要素が巧くバランスした新たな状態への転化である。

6.川の流れの例
 水流が定常のときは、川底・岸を維持するシナジー力と水流の圧力とは拮抗しており変化はない。しかし、土砂の堆積で徐々に水流の摩擦(水圧)が増しエントロピー生成が増大するとバランスが破れる。その結果、川幅が徐々に変形し水の流れをよくする。その結果、川岸や川底を作る土砂の新たなシナジー力が生まれて水圧とバランスする。これは水を流れやすくする方向への変化(進化)である。この過程では、水流の摩擦の増加で水圧が徐々に増し、岸壁の抵抗が臨界点に達すると、その拮抗が突如破れて川が変形する一種の相転移である。変形後の川の形は、岸壁や川底の土砂の性質により作り出された新たなシナジー作用と水圧とのバランスにより決まる。
 また、水流が増加し勢いが増す場合の変形もある。水圧(エネルギー)の増大により岸壁の抵抗力と水圧との拮抗が破れ、岸壁のシナジー力が負けて岸壁は水圧に耐えられなくなり決壊する。この決壊/氾濫で無秩序状態となり、エントロピー最大の状態である。その結果、水は流れやすい低地の方に移動することにより川の形が変わる。水は流れやすくなりエントロピー生成は減少し(摩擦力が減少)、川岸の抵抗と水圧が拮抗して定常状態となる。これも一種の相転移である。
いずれにせよ、この対立拮抗する力と、臨界点付近の相転移を定量的に扱える理論が求められる。

 この議論は人間社会の人口移動や物流にも適応できるだろう。

 どんな理論でも最初から完全なものはない。コンストラクタル法則を補足する法則が求められるが、まだ定性的なレベルの問題提起しかできない。

 
参考文献
1.E.ベジャン、J.P.ゼイン著“Design in Nature”
柴田裕之訳『流れとかたち-万物のデザインを決める新たな物理法則』(紀伊國屋書店2013)  
2.H. Haken “ Synrgetics” (1980)
牧島邦夫、小森尚志訳『協同現象の数理』
  東海大学出版会(1980)
3.菅野礼司著『複雑系科学の哲学概論』本の泉社(2013)
続 「STAP細胞」その後
続 「STAP細胞」その後

「STAP細胞」の論文に対する疑問が次々に報道されて、今や論文と小保方さんの信頼は完全に失われた感がある。
写真の取り違えとか、他人の論文の文章を盗用したとか、博士論文のデータ再利用とかいったレベルの問題ではない。「STAP細胞」を確認するための資料を差し替えて共同研究者に送ったとなると、研究者としてのモラルを犯した
最悪の行為である。弁護の余地は全くない。折角面白い研究テーマだと思ったのに残念である。

 最初にマスコミが余りにも大きく取り上げ持ち上げたので、その反動も大きい。それにしても、マスコミの報道姿勢も批判されるべきである。これだけ大発見であるから、真実なら大々的に取り上げる価値はあるが、大発見であればあるほどその真偽の裏づけをとる慎重さが必要であったろう。これまでにこのような事件は何度か在った。
 小保方さんの個人的なことまで大々的に持ち上げておいて、疑問視され出すと手のひらを返すように、そこまでほじくり出して批判するのかと思うほど個人的な攻撃が続く。
  
 これで「STAP細胞」の可能性は完全に否定されたのか、それとも別の研究方法も含めて検討の可能性はまだあるのか知りたい。生物の能動性、柔軟性を思えば可能性はあるのではないか。この分野の研究の可能性について聞きたいものである。


 このような研究操作、論文操作がなぜ起こるのか、その理由も考える必要がある。現代では研究者はサラリーマン化している。研究内容よりも論文数を増やすことが業績評価に繋がり、研究費も取れる。研究費を多く獲得できる者(必ずしも研究者として優秀とは限らない)が大学・研究機関で権威をもつようになってきた。そのような者がボスとなり弟子を使って論文を製造し、権威を高めるのである。かってのアメリカがそうであった。
 日本では国公立大学が独立法人化されてからこの傾向は一層顕著になった。今の大学は教育・研究機関としての色彩が薄れて、索漠たる状態になっているような感がある。
 
 論文の数を増やすため、即席研究が増え、論文の質も落ちている。功を焦るから今度の「STAP細胞」のようなスキャンダルが起こるのであろう。だから、この種の問題論文や疑わしい論文は他にも多く隠れているだろう。これは悪しき競争原理の結果である。

 
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