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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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ゴミ屋敷
ゴミ屋敷

 西日本の水害地で、ゴミの山が復旧作業の妨げになっている様子が、写真入りで報じられた。今度の災害に限らず、被災地では毎度ゴミの山が問題になっていた。そのゴミの山を見て思い出した。
 
 最近増えていると聞く「老人のゴミ屋敷」のこと、そして地球全体が「ゴミ屋敷」になりつつあることである。テレビで見た老人のゴミ屋敷のすさまじさには驚くが、翻ってみれば、私たちが毎日出しているゴミの量の多さに気がつく。新聞・雑誌や広告のパンフ・チラシの多いこと。スーパーで買う品物や配送の食料品などを、その目で見るといかに無駄な包装が多いことか。安価で便利なビニール袋のために、何でも必要以上に(二重の)包装である。毎週のゴミ収集には多量のゴミの排出である。ゴミ出しを少し怠ると、あっという間にゴミ屋敷になるだろう。

これらは地上の現象であるが、気づかないのが海に流れ込むゴミである。山や海の行楽地のゴミを見ても呆れるが、河川を通して海に流れ込み、そして海水に溶け込んだプラスチック・ビニールの細片が、全ての海洋を汚染し、魚の生態系ひいては生存を脅かしているそうである。これは目に見えないので気づきにくいが、近い将来に大変な事態を引き起こすであろう。人類は地球の陸も海もゴミで汚染し、地球を「ゴミ屋敷」にしているのだ。
 
 CO2排出量を削減とともに、無駄を省きゴミを減らすことは、その気になれば困難ではない。この事態を改善するよう呼びかければ、実行できるはずである
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日本国中を覆う「虚しさと閉塞感」
日本国中を覆う「虚しさと閉塞感」

 「濁った暗雲と閉塞感」が、日本国中を覆いつつある。嘘で固めた安倍政権の言動を毎日見せられ、やり場のない怒りが日本国中に渦巻いているが、突き崩せない苛立ちで、空しさが増すばかり。 
 
 立憲民主主義を破壊し、政権を私物化する安倍政権を倒す好機と思われた「森友問題」であるが、安倍首相と彼を取り巻く政官は、隠蔽と見え透いた嘘を次々考え出して、逃げに徹している。よくもこんな嘘を考え出し、平気で言えるものと呆れるばかりである。そんなにしてまでも政権の椅子にかじりつきたいのであろうか。

 この閉塞感に国民はうんざりして、空しさと遣り切れなさに疲れて諦めるのを、安倍政権は狙っているのだろう。先日、毎日新聞記者の嘆き、「嘘・空論と分かっていても、取材して報道する「むなしさ」とやりきれなさ」が報じられていた。これを読んで、私は背筋が寒くなった。 

 日本を覆うこの閉塞感と空しさと、平気で嘘をつく風習は、やがて日本人の精神力を蝕み、やる気を無くして、日本を駄目にするだろう。まさに日本国家の危機である。そのことを安倍首相と与党は認識しているだろうか。

 かって「50年体制の自民党」政権が続いた10余年前にもこれに似た閉塞感とマンネリズムはあった。その時は選挙で自民党は没落し、政権交代が起こった。だが今度の場合は、過半数の世論が阿倍政権に反対しても、小選挙区制では自民党は過半数を維持するだろう。どうすればこの状況を打破できるのだろうか。

 阿倍政権の危険性を認識し、倒閣運動を起こさねば成らないのだが。
  
オリンピックの運営について
オリンピックの運営について

 この半月ほど連日、平昌冬期オリンピックのニュースで賑わった。多少辟易したが、日本は過去最高のメダルを獲得したこともあって、国中が湧いた。選手はもちろん関係者の喜びは一入大きいだろう。次は東京オリンピックに向けてと、張り切って動き出そうとしている。
 スポーツを通して世界に平和と活力をもたらそうと呼びかけるオリンピック開催の意義は素晴らしく、そうあって欲しいと思う。しかし、ことはそう単純ではない。オリンピック開催とその運営について昔から問題が多々ある。そのことは以前から指摘されていたが、近年その憂慮が顕在化してきた。オリンピック開催に水を差す積もりはないが、オリンピックの運営について疑問に思うことが多いので、それをここに率直に述べたい。

まず、第一の悪弊は「金まみれ」、「薬(ドーピング)まみれ」の状態である。
近年まで、オリンピック誘致競争には手練手管の根回しと駆け引きが必要で、相当な誘致費用が要るといわれてきた。それでも国威発揚と経済効果を狙ってか、誘致合戦は激しさを増してきた。それゆえの裏金使用、汚職が問題になった。

その誘致競争に勝った開催地では、会場設営と運営に莫大な経費が必要であるから、相当のエネルギー・資源の消費と環境破壊がある。閉会後は、それら会場の維持管理が負の遺産となって、開催地に重くのし掛かった。それゆえ、近年オリンピック開催国の立候補が減り、激しい誘致合戦は影を潜めたそうである。それは結構なことである。

  だが、平昌冬期オリンピックにおいて、経済優先の弊害が顕わになったことは見逃せないだろう。テレビ放映権の莫大な金額のために、そのスポンサーの都合のよいような放映時間に競技時間が設定されたそうである。そのために選手(アスリート)の生理や体調などを無視して、テレビ放映の都合に合わせて競技が行われたといわれている。これも、「金」に支配されて運営されているからで、本末転倒である。
本来オリンピックはアマチュア選手の競技の場のはずであるが、国威発揚の場として国家事業になってしまった。選手の組織的ドーピング使用、そしてアクロバット的な演技のための過酷かつ危険な練習は、アマチュアスポーツの域を超えているように思える。もはや、オリンピック選手は真のアマチュアではなれないだろう。その技量を売り物にしないだけであって、練習に必要な多額経費は国やオリンピック委員会などの競技団体がスポンサーとなって支えているからであろう。選手はセミプロであり、国の代表として重い荷を負わされている。それゆえ、国威発揚とばかりに、メダルを何個、誰が取ったということが喧伝されて、偏狭なナショナリズムをあおる。そのナショナリズムが嵩じて感情的な対立にまで発展しトラブルを起こしたこともある。本来のアマチュアスポーツとしてのオリンピック精神は失われているように思える。オリンピックは政治から独立しているといわれているが、それは立て前であり、このナショナリズムがある限り、現実は政治とは無関係ではない。組織的ドーピング問題も根底にナショナリズムがあるからであろう。 
ドーピング問題は厳しい検査によって減ったようであるが、それでも手を変え品を変えてして続いている。

  もう一つ気に掛かることは急激に悪化する地球環境の問題である。オリンピック会場の設営には土地開発による環境悪化を伴うものが多かった。さらに莫大な運営経費を必要とする資源・エネルギーの浪費である。
環境破壊(森林破壊、埋め立てなど)、環境悪化による気候変動(地球温暖化)、異常気象は、年々加速度的に増加している。このペースで行くと東京オリンピックの2020年には、高温化(猛暑)のためにまともな競技ができなくなるのではないかと危惧される。お祭り気分で喜んでいる状態ではないように思う。 

 毎年の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の警告によれば、この異常気象の主な原因は人為的なCO2やメタンガスなどによるものである。異常気象は年々加速度的に進んでいて、近年における地球の平均温度の上昇は直線から急カーブの曲線に変わっている。最近の世界的異常気象には驚くが、来年はさらにひどくなるであろう。臨界状態に達すると、相乗効果でカタストロフィックにガタガタと急変するが、その臨界状態に近づいているそうである。地球環境は多くの要素が複雑に絡み合い微妙なバランスの上に保たれている。環境変化が臨界状態に達すると、わずかの変動が巨大な変化を引き起こす(カオス現象)。そうなっては取り返しがつかない。素人の個人的予想だが、2050年とか21世紀末などと悠長なことでなく、臨界状態になるのはあと10年のオーダーではないかと心配している。東京オリンピックすら、安心できないだろう。

 以上のように、利権絡みの金まみれ、薬まみれ、アマチュア精神逸脱、ナショナリズム、環境破壊など、多くの問題が顕在化しているオリンピックの運営を根本的に変革すべきであろう。
 これらの悪弊をなくす手立ての一つは、オリンピック会場をギリシアのアテネに固定することである。数年前の東京誘致の頃に、筆者は友人との対話のとき、この案で意見一致したことがある。こうすれば、少なくとも誘致合戦と運営経費の浪費、および会場設営の無駄をなくし、環境保全にもプラスになるだろう。この案は真摯な検討に値すると思い、当時ブログにも書いて訴えた。


 ところが、図らずも昨年7月に朝日新聞の「天声人語」に、オリンピック会場をアテネに固定する案が提案された。それを読んで気をよくし、以前書いたブログのことを思い出して、その内容を担当者に送った。それに対する返信葉書に「オリンピックにからんだナショナリズムはやっかいな問題ですね」とあった。会場をアテネに固定することで、ナショナリズムの問題は解決しないかも知れないが、オリンピックの抱えている諸問題の根底にはナショナリズムがあると「天声人語」氏には映ったのかも知れない。それは解決すべき大きな課題であろう。 

 以上が、平昌冬期オリンピックのテレビ放映を時々見ながら強く感じたことである。
人間としての理解を超える理不尽
人間としての理解を超える理不尽なテロ 

 今回のバングラディッシュのテロは何ともいいようがない。
 そこの住民の暮らしをよくするために真摯に奉仕していた人たちを、容赦なく殺害したテロリストの行為は人間としての理解を超える理不尽、非道である。 
今こそ声をあげねば悔いを千載に残す
今こそ声をあげねば悔いを千載に残す
 報道の危機は民主国家の危機
 
 

安倍政権のメディアへの干渉、報道自由の制限・抑圧は目に余る。特に、テレビへの干渉はひどい。この事態は海外でも注目され、批判の声が上がっている。「国境なき記者団」は日本の報道の自由度は世界72位と発表した。

 安倍政権は「特定秘密保護法」を手始めに、情報公開の制限、報道自由への抑圧など次々と手を伸ばしてきた。NHKの籾井会長の発言は常軌をを逸している。NHKを政府の代弁者にしようとしている。そして、ついに高市総務相はテレビ報道の許認可権に言及して恫喝するまでに至った。安倍首相が「報道は偏向している」といって、マスコミを批判してから、マスコミの自己規制が始まった。何が偏向かを決めるのは政府ではない。国民の良識が基準である。安倍政権の偏向こそが問題であり、偏向した政権から見れば中立は偏向と見えるだろう。それを正し批判するのはむしろマスメディアの義務である。
 
 言うまでもなく、 報道の自由は民主主義の生命線である。このままマスコミの自粛が続けば、日本の民主主義は窒息する。一部のマスコミ関係者が、今の事態に対して報道自由の危機を訴えているが、もっと多くの人たちが立ち上がるべきである。
 
声が出せないような事態になる前に、取り返しがつかなくなる以前、今こそマスコミ界を初め、各界・各層の心ある人がこぞって声を大にし、政府を批判し報道の自由を叫ばねばならない。この機を逃すと悔いを千載に残すことになる。
戦前の日本で原論統制からファシズム国家になった過程を学ぶべきである。

 国家の機構を私物化して破壊している安倍首相の怖さを認識すべきだ。自民党員もすでに自由な発言ができない状態である。やがて自縄自縛に陥るだろう。

 「報道の自由」を取り戻すために、大運動を起こそう。
 インターネットでその声を拡げる連鎖反応を起こそう!
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