科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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AIの発達した未来社会
AIの発達した未来社会

AIの急速な発達により、未来社会の予想も盛んである。その予想において問題となっているのは大きく分けて二つあう。

1.悲観論:現在社会における人間の仕事の大半はAIに奪われて、失業者が増える。
2.楽観論:人間のすることがなくなり、暇ができて余暇をどう過ごすのか。


この予想はいずれも的外れである。その理由:

現在社会における人間の仕事のうち、AIが取って代わるものは、規則的でルーチン化されやすい仕事はである。しかし、抽象的概念作りや、協調性が必要な仕事は当分残るだろう。創造的な仕事は人間の領域だといわれているが、それでも、人工知能が将来全く進出しえない仕事はないだろう。創造的仕事とは何かが問題ではあるが、人間がまだしてない(やり残した)創造的仕事をAIはかなりのレベルでなしうる。たとえば、技術・芸術分野。

それよりも重要なことは、AIの開発により、次々に新たな仕事が生み出されることである。AIによって能率が上がり、仕事を遂行する時間が短縮されても、その時間を余暇に回すのではないということである。社会活動のテンポが早くなり、社会全体の仕事量が増して余暇は(それほど)増えない。AI技術を用いた仕事、AI運用に関連した仕事が新たなに生まれることと、社会活動のスピード化により、全仕事量はかえって増える可能性がある。
過去にもこれと同じようなことが言われた時期があった。自動機械化、ロボット化が進めば、人間は今の半分働けばよい時代がくると。しかし、これだけ自動化が進んでも、労働時間は減らず、労働力不足で、長時間残業、過労死が絶えない。
その理由は、一つの画期的技術が生まれると、それに付随する仕事と、その技術を利用した新たな仕事が急速に拡がり、その技術による能率アップ以上の仕事が社会全体で増える。その典型例は、新幹線、パソコン、携帯電話などである。それによってスピード化が進み、人間は機械に使われ追いまくられるようになった。(拙稿「人工的社会と人類の未来」『唯物論と現代』No.20,1998、を参照されたい。)


他方の楽観論について:たとえ、AI化により余暇ができたとしても、遊んで暮らせるのは極一部の人である。誰でも少し働けば生活できる給料を得られる社会でなければ、皆がそのような生活を楽しむことは不可能だ。そのためには仕事と富を分け合う社会制度、格差のない(少ない)社会、福祉充実の社会、激しい競争のない社会でなければならない。資本主義社会ではそれは無理である。その楽観論が実現される理想的社会制度を模索すべきだ。
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「軍学共同研究」を憂う 
防衛省と大学との共同研究:「軍学共同研究」を憂う  

急速に進む大学・研究機関における軍事研究を憂い、それに反対するアピール「学問・研究は平和のために」(「軍学共同反対連絡会」)に賛同する。

 防衛省は、大学や研究機関を軍事研究に取り込む「軍学共同」の動きを強めている。防衛省防衛技術研究本部と大学・研究機関との間で締結された共同研究の件数と、研究費は2010年ごろから加速的に増加する傾向にあることが報道されている。

 防衛省との共同研究に応募する研究者の言い分は、防衛省の誘いと同じく、「直接的軍事研究でない有益な技術開発」、「デュアルユースの技術」、「成果の原則公開」なら許されるだろうということらしい。だがその考えは戦前の歴史を無視し、過去の過った道を再び歩み出す一歩であることに気づいていないと思う。直接軍事研究にかかわるか否かの判断よりも、研究費を軍からもらうこと自体がすでに心身を委ねることになる、その危険性が問題なのである。 その潤沢な研究費の魅力は、研究者にとっては麻薬のようなものである。一度手を染めたら抜けられない、その依存度は増すばかりである。

 かって戦争協力に総動員された研究者たちが、戦後に痛切な反省をし、「戦争を目的とする科学研究には絶対に従わない」(日本学術会議の総会声明、1950年)と誓った。この宣言に日本の科学者は賛同したが、この誓いは近年風化しているから、防衛省との研究に応募するものが増加しているのであろう。この軍学共同研究はこの宣言の精神を放棄することである。その風潮に対して、軍学共同の危険性を訴えた「軍学共同反対アピール署名」などの運動で、今年の応募件数は激減したそうである。幸いにまだ大多数の研究者の良心は保たれている。 

  「軍学共同研究」に応募する研究者が増えて、そのような体質が蔓延し制度化すると、研究者の良心は麻痺しやがてそれが当たり前になる。そうなっては、研究者は精神的にも支配されて、攻撃用の軍事研究でも拒否できなくなるばかりか、積極的に行う研究者も現れる。

 国公立大学・研究機関の特殊法人化により、研究費を外部から獲得する競争が激しくなってた。科学・技術の開発競争により研究費は増大する一方である。大学・研究機関の特殊法人化によって経常研究費が削減された研究者は、研究費を取れるなら何処からでも取りたい気持ちになる。大学の特殊法人化は、兵糧攻めによってその土壌を培った。特殊法人化はこんなところにも効果を発揮している。他方では、「安全保障関連法」により、軍事研究の必要性が益々高まるだろうから、 政府は軍学共同研究の政策を一層推し進めるであろう。防衛省の共同研究の誘いは、その政策の一環である

この「軍学共同研究」の問題について、学術会議で議論が始まっているが、以前の学術会議の「宣言」の精神を維持することを強く望む。
人口知能(AI)と未来社会
人口知能(AI)と未来社会 

I.学習するコンピューターソフトの出現
 以前のコンピューターは情報を記憶し、必要に応じてその情報を引き出し活用するというもので、情報機器の開発は、記憶容量と計算速度の増進にあった。だが、最近情報機器の開発に(革命的ともいえる)質的変化が起こった。
 単純学習から深層学習(ディープラーニング)への飛躍的進歩-人工知能AIの出現である。 


 介護ロボットが同一人間を長期に世話していると、その人の性格や癖を覚えて、巧く対応できるようになる。最も難しいといわれていたゲーム囲碁で、トップのプロ棋士に勝った。「感情」も芽生えるアンドロイドも現れた。

(1)深層学習とは
 深層学習の成功はAI研究に関する障壁突破(ブレイクスルー)であり、学習方法に関する技術的な大革新であり、AI世界における革命といるだろう。

 深層学習とは、ニューラルネットワークを多層化(特に3層以上のも)したものに対して、脳の研究、特に視覚野の研究や「一つの学習理論(One Learning Theory)」に、スパース・コーディング理論(sparse coding)を基にしたアルゴリズムが実装されたものを指す。
 ニューラルネットワークとは、人の神経を模したネットワーク構造のこと。そのような構造を持った人工知能もそう呼ぶ。このニューラルネットワークでは、神経細胞を模したパーセプトロンと言う小さな計算機をたくさん用意し、一つの計算を協力して行わせるように作られている.。

スパースコーディングとは、大脳の一次視覚野(最も単純で最も初期に活動する視覚野で、静止、または運動する対象に関する情報の処理に特化し、パターン認識に力を発揮する)の情報処理をモデル化した数式のことで、情報表現法の一つである。沢山あるニューロンのうちほんの一部のニューロンだけが活動して、情報の重複をできるだけ抑えて情報を表現する方法。
 人の神経細胞の最大の特徴は一つ一つの神経の繋がりの強さが自在にコントロールされているという点にあり、この繋がりの強さを目的に合わせてコントロールすることで、効率的な計算ができるようになっている。 

 多層ニューラルネットワークに画像などのデータを入力すると、情報が第1層からより深く下層へ伝達されるうちに、各層で学習が繰り返される。この過程で、これまでは画像や音声などそれぞれのデータを手動で設定していた特徴量が自動で計算される。
 特徴量とは、問題の解決に必要な本質的な変数や、特定の概念を特徴づける変数である。この特徴量を発見できれば、あらゆる問題の解決につながる。パターン認識精度の向上や、フレーム問題の解決につながったりすると期待されている。この階層的な特徴量の学習こそ、深層学習が従来の機械学習と決定的に異なる点である。
 特徴選択( feature selection)とは、学習モデルの構築のため、特徴量の集合のなかで意味のある部分集合だけを選択する手法のことを指す。特徴量選択、変数選択、特徴削減、属性選択、素性選択、変数部分集合選択などとも呼ばれる。
この技術は、画像認識や音声認識等の分野に活用される。2012年には、Googleの開発したグーグル・ブレインが、猫の概念を学習することに成功した。何千枚ものいろいろなスタイルの猫の画像を、深層学習ソフトに記憶させると、特徴選択の学習により猫の概念像を自ら作り、「猫」を認識するようになる。
ゲーム(チェス、将棋、囲碁など)ソフトのモンテカルロ法で、不要な枝切りをし、有効な枝を選択するのは特徴選択の例である。

(2)深層学習ソフトの限界と今後の可能性 
 特定の個別分野では、人間を凌ぐ学習ソフトが作られ、かなり高度の行動ができるようになった。だが、現段階の深層学習は、結果や目的の分かっている事柄についてのみ可能であるから、適用範囲が狭く汎用性はない。経験的情報を蓄積し、帰納的に学習する方法(一種のheuristic法)には限界がある。このソフトは、それぞれ限定された目的にのみ適用可能であり、応用範囲は限られている、それゆえ、答えの分かっていない課題へのアプローチ、創造的学習とは異質である。
 人間の本当の優れたところは、起こりうること(可能性)を想定して自ら問題を見出し解決する能力にある。それのできるAIは、演繹的な理論体系(公理あるいは定義から論理的推論によって結果を導く)のアルゴリズムを備えてこそ可能である。特定の分野で人間に勝ったからといって、総合的な能力では人間を超えたとはいえない。
 

 囲碁・将棋などのゲームソフトの「学習」は、主として多くの情報(棋譜)を集めて記憶させ、繰り返し学習することで、法則性を見いだす帰納法による学習である。それは論理的証明に繋がる学習とは異質のものである。パターン認識や囲碁・将棋の学習には帰納法的学習が必要であり、論理的証明(演繹法)の能力は今の段階では要らない。   
ちなみに、演繹的証明法は帰納法的証明よりも遙かに難しいから、それはコンピューターには当分できそうにないと思う。

 ゲームや単一労働などの個別的能力では今のコンピューターは人間を超えることは可能だが、すべての点で、あるいは総合的な能力では容易に人間を超えられない。論証の能力や創造性は、帰納的法則の学習で得られる能力とは次元の異なるものである。つまり、技術的学習には適しているが、問題を自ら見出し探究する想像的学習にはほとんど無力である。それは、いわば技術と科学の違いに対応するだろう。
 人間の意識と思考能力は複雑多岐、かつ高度であり、そのメカニズムは未知な分野が多い。最近の脳の研究でその機能の複雑さ奥深さが改めて認識されている。それゆえ、「人間とは何か」が判るまでは(人間が人間自身を完全に解明することは不可能であるが)大変な年月がいる。それまでは、総合的に人間を超える「知能」は作れないだろう。     

 だからといって侮れないものがある。特定の分野に限定されたとはいえ、この種の深層学習を備えたプログラミングをいろいろな分野で作り、それらを次々に連結統合することで、異質の学習法や人口知能が創発されるかも知れない。AlphaGOが人間の発想にない(考え及ばなかった)新手を打って勝ったように、人間には盲点がある。人間の思考法にない思考の論理が、この種の深層学習の組み合わせから生まれる可能性は否定できない。多体系には単体にはない高度の質が創発する。それは「量による質の転化」の弁証法である。だが、その方法によって何処まで進化しうるか、その予測はまだできない

II.人間の仕事の半分はAIに奪われる?
(1)AIは情報化社会のネットシステムとの結合で威力を発揮する。
 単独のロボットやAI機器はばらばらでは威力に限界があるが、インターネットで結ばれた情報化社会の基盤の上で、AI機器が互いに結合されると相乗効果によりすごい威力を発揮するだろう。
AIの波及効果、活用度はインターネットによって格段に増す。AIによるビッグデータの操作・利用法の発達などその典型例である。

 将来、AIやロボットの技術がさらに進歩した時、AIに人間の仕事が奪われていくだろうが、AIに奪われにくい仕事も多々ある。その中には、人間にしかできない仕事もあれば、人間にやってほしい仕事もある。
 規則的な仕事、ルーチン化されやすい仕事はAIに奪われる。しかし、抽象的概念作りや、協調性が必要な仕事は残る。それでも、人工知能が全く進出しえない仕事はない。
 創造的な仕事は人間の領域だといわれているが、かなりのレベルで小説を書くAIや絵を書くAIは既に作られている。構想は人が与えたが、AIが作文した小説が、ある文学賞の候補になった。AIにも得手不得手はあるが、どんな分野においてもAIは人のライバルになりうるだろう。要は活用次第であり、味方にもライバルにもなりうる。

人間が有位を保てる仕事:大別すると以下の分野が挙げられる
「創造系」 -執筆・デザイン・企画など
「芸術系」 -芸能・映像・音楽・美術・美容など
「発展系」 -研究・開発・ビジネス・政治など
「厚生系」 -医療・福祉・特種な介護など
「教育系」 -教授・指導・養育・訓練など
要するに、新しいもの、創造的なものが必要とされる分野や人間性に深く関わる分野はAI機器に置き換えにくい。

(2)技術革命の歴史:機械とAIの場合の比較
機械化文明からAI化文明へ
・機械文明の特徴:手動技術と科学の結合で動力機械の技術が発達した。動力源は石炭・石油エネルギーである。 
機械の大型化と精密化で量産化と品質を競う-→エネルギー革命を必要とした。
機械技術の発達により、産業革命を起こして物質的豊かさをもたらした。
人間の肉体労働に機械が取って代わった-→資本主義社会の発展を促した(機械打ち壊し運動)。
 物質文明の急速な発展は、人間の精神を変えた:地球支配、環境破壊、消費社会―→精神的荒廃。

AI(情報化)文明の特徴:記憶素子(半導体ダイオード)と情報論理の結合でコンピューター・情報機器が発達-プログラミングの開発→人工知能(AI)、
AI文明の資源は情報、動力源はアルゴリズム。
情報化社会では記憶容量と計算速度の進歩を競争-スピード革命
情報機器の発達、特にAI機器は知能労動の分野で人間の代わりをする。
AIは人間の知的豊かさを増すが、逆に人間の思考力を低下させる。
精神への影響は機械文明よりも大きい-精神革命が起こる?

(3)未来社会
 情報化社会では、グローバル化と同様に、AI化社会は必然的に進む。資本主義社会ではAIは急速に発達するだろう。だが、急激なAI開発は、行き過ぎると危険である。大規模機械技術が公害、環境破壊をもたらしたように、AI公害が起こる。
   
 ロボット、アンドロイドは人間の仕事を奪ってゆき、人間疎外は一層進む。労動システム(技術的・制度的)、生活スタイルは質的に変わる。たとえば、家事・会社の仕事など、すべてのプランを設計し、自動化する。
 家事の一日の全行程の手順を設定し、その指示に従って家事をまかなうようになる。すると、AIやロボットに操られる「ロボット人間」が増える。食事のメニューや日常プランなどを、自分で考案し工夫する必要が無くなり早期ボケ(認知症)が増える。その予防対策が必要となる。

 インターネット社会、ロボット社会は政治・経済の仕組みと社会形態の革命的変化を起こすだろう。会社で人間が直接手を下す仕事は減り、通勤せずに家にいてインターネット通信でかなりの仕事がこなせるようになる。労働形態と賃金体系の合理的システムはどうあるべきかが大きな課題となる。今の社会制度、雇用体系では格差はどんどん拡がる。

 ロボット・アンドロイド技術の開発規制、そのルール作りが必要だが、その規制を破る者がでる。それにどう対処するか。特にテロに利用される危険性をどう防ぐか、またAI機器・ロボットを使った戦争を防止する方法が重要課題となる。

それに対する必要な対策
AI・ロボット技術の進歩した社会での労働と余暇と富の合理的配分。希望する者は誰でも働き、生活に必要な十分な賃金を貰える 制度。特に労動配分(ワークシェア)の制度が不可欠である。
・みなが十分な余暇を持ち、余暇を有効に過ごせる社会の形態は?(豊かさとは何か?)
・ロボットやアンドロイドとの共生(棲み分け)が上手くいく仕組みの社会を。
・地球環境を守りながら人類が生き延びる方法:「持続可能な開発」を維持する科学・技術の開発が可能な政治・経済制度を。

追加:
 AIの進歩発達で人間労動はどんどん奪われていくことは必然である。だが、新たな産業と仕事が登場することも確実である。 昔、しばしば言われたことは、将来技術が進歩して、自動機械化、ロボット化が進むと、人間の労動時間は半分以下になる、そのとき人間は余暇をいかに過ごすかが問題になるだろうと。だが、それは幻想であった。技術の進歩とともに、新たな産業が生まれて別の仕事が現れで、社会の全仕事量は増加し人間の労動量はかえって増えた。その結果、残業や過労死が急増している。
 この不合理な結果は、今の社会制度、経済制度(資本主義)のせいである。なぜならば、以前は、人間の自然発生的欲求(需要)に答えるために技術が開発されてきた。「必要は発明の母」であった。しかし、現代は、新たな技術が開発されると、金儲けのためにそれを利用して必要以上の物作りをし、宣伝による精神操作で無理に需要を創り出している。それが労働力が不足する最大の原因だと思う。 このままでは、AI革命はその失敗をまた繰り返すだろう。
 今の社会制度は複雑化しすぎている。経済ばかりでなく、人間関係も複雑になり余分なものが多すぎるからぎくしゃくする。人間社会は余分な物を切り捨てて、もっとスリムになるべきだ。
 AI技術の開発研究ばかりでなく、むしろ経済の仕組み、社会の仕組みをどうすべきかを真剣に研究すべきである。


日本の原発政策:再稼働のうねりが高まる
日本の原発政策:再稼働のうねりが高まる  

鹿児島の川内原発2号機は再稼働し、福井の高浜原発3,4号機は再稼働の準備が完成したと伝えらた。安倍内閣の甘い原子力推進姿勢に乗って、福島を除き全国の原発を再稼働させようとすべての電力会社が一斉に動き出した。この全国的稼働のうねりは大きく高くなりつつあり、事故前のもとの状態に戻ろうとしている。

 政府は「日本の原子力安全対策は世界一のレベルである」といって再稼働を認めようとしているが、日本は世界一の地震国・火山国であるから、安全対策は世界一が当然であり、自慢できることではない。しかも、「世界一安全」ということは「絶対安全」とは違い、事故のリスクは依然としてある。原子力規制委員会も、新基準では安全度は以前より高くなったが事故が起こりうることを認めている。

 そもそも、福島原発事故の原因、事故状況の調査十分にせず、しかも各種事故調査委員会の報告の分析もきちんとしないまま、折角行った調査が活かされず報告書はお蔵入りの状態である。事故後5年近くなった最近に、原子炉内での燃料の溶融落下(メルトダウン)の状態がやっと判明したし、また事故のさいの避難通知は8割の住民に伝わってなかったことが明らかになった。今後もまだまだこの類のことはでるだろう。東電の事故処理でも想定外の綻びが次々に出てきたように。事故原因、事故状態の徹底調査をした上で、原子力政策を検討し方針を出すべきである。

 それなのに、事故調査がまだろくに済んでないにもかかわらず、使用済み核燃料処理施設もないまま、安全対策は世界一だと言って、国内では再稼働を認め、外国に原発輸出を行おうとしている。

 日本の諸制度はすべて無責任体制である。今度のオリンピック組織委員会も、国立競技場やエンブレムの失敗で見るように、責任の所在が曖昧で誰も責任を取らない。原発政策も無責任体制で、政府と原子力安全規制委員会は互いに責任をなすり合って最終決定責任を取らない仕組みになっている。だから電力会社はその隙をぬって再稼働に漕ぎ着けようと策動しているわけである。しかも、安倍内閣の基本的姿勢は原発推進であるから、電力会社はそれに便乗して再稼働ムードをかもし出している。昔の科学技術庁や通産省時代から、今の文科省や経産省の強い原発推進政策の上にあぐらをかき、原子力分野は何をやっても少しくらいのことは大目に見られ、許されるという甘えがあった。だから、手抜き、予算流用など次々に不祥事が裏で起こり、杜撰な運営をしてきた。その体質が事故をエスカレートさせ、その結果が福島の過極事故であった。今またその路を辿ろうとしている。

 日本には空気を読んでその風潮に載りやすい風土である。今またその雰囲気に戻ろうとしている。安倍内閣は、インドへの原子炉輸出協定を結んだ、だが、インドは核拡散防止条約にも加盟せず、原爆を保有している国である。だからインドへの原子炉輸出は原子力3原則にも反する。集団的自衛権行使は憲法違反であるとあれだけ言われても安倍首相はそれを無視したし、昨年秋に野党が臨時国会招集を要求しても無視した(これも憲法違反である)。それくらいだから、原子力3原則違反などは何とも思っていないのだろう。

 日本は法治国家ではなくなった。安倍首相は今後何をやり出すか判らない。今夏の参議院選挙で憲法改定派で2/3を占めて、改憲をしたいと明言している。安倍内閣をこれ以上存続させては、民主主義は崩壊しこの先が危険である。小選挙区制度の危険性を選挙民は強く認識して野党を増やさねばならない。たとえ頼りない野党でも、ファシズムよりは絶対にましである。今年は是非とも政治の風向きを変えねばならない
原発再稼働-これでは原子力ムラの再現だ
原発再稼働-これでは原子力ムラの復活だ

 九州電力の川内原発1,2号機の再稼働については、規制委委員会審査と地元自治体の承認も済んで再稼働は本決まりである。関西電力の高浜原発3,4号機も規制委員会の安全審査をパスして、残る手続きや地元の同意などがこれから必要で、再稼働は春以降になる見通しであるが、すでに決まったように事態は進んでいるようだ。
 だが、原発再稼働については、その前になすべき諸問題が残されたままであって、反対せざるをえない。福島第1原発事故の状況と原因について十分な調査と分析、および反省がなされていない。いくつかの事故調査委員会の調査も不徹底であり、その報告内容すらほとんど活かされていない。報告内容の徹底的検討と、それに基づく反省および今後の対策が立てられないまま、規制委員会の安全審査基準が制定された。そして、それさえパスすればOKであり、地元自治体が承認すれば再稼働できるというのは、余りにも拙速である。

 元政府事故調査委員長の畑村洋太郎氏は、「事故調の提言は全然活かされてない」と証言している。そして、安全規制のハードルが少し上がったほかは、事故前と同じ状況に思える。どんなに準備しても、想定から外れたことを原因とする事故はこれからも起こるし、避難計画も実施可能か判らない、と。(3月10日朝日新聞朝刊)

規制委員会の安全基準は事故前より少し高くなったが、それは地震・津波やテロ対策など原発の強度と安全設備について、いわばハード面のみに関するものであり、しかもそれは万全ではない。そもそも技術は原理的に完全ではありえない。科学理論とても完全なものはない。ましてその応用である技術に完全なものはない。日本の原発の安全対策は世界一であると政府は公言しているが、日本は世界一の地震国であるから当然であるが、それで安全であるという補償などない。このような慢心が「安全神話」を生む土壌を育てるのである。福島の原発事故に対する東電の対応を見れば、日本の技術は抜け穴が如何に多いか判る。想定外の欠陥が次々に起こり、自慢できるようなものではないことは明らかである。

いくら技術的に安全度の高い設備を供えても、使う人間の方にそれを活かす体制や心構えができていなければ、いざというとき役に立たない。つまり、ハード面だけでなくソフト面の方もそれに劣らず大切である。高度の技術を活かすも殺すも組織とその構成員の能力と心構えである。福島の原発事故の際に、用意してあった設備も活かされなかったことが多々あった。使用済み核燃料の処理についても、処理技術はあっても処理場が決まらず延び延びになっていたし、稼働も思うようにいかない。それゆえ、日本の原発はトイレのないマンションに例えられている。こうなった原因や状態に関する検討と反省を徹底的に行い、その結果えられた知識を活かす体制を整え、人の訓練をなすべきだが、それがなされないままの再稼働である。事故調の報告も不十分だが、その提言すらも活かされないまま、政府と電力会社、および原子力産業界は原発再稼働を当然のように推し進めようとしている。「原子力ムラ」は以前の体質をそのまま引き継いで生まれ変わろうとしている。 

 住民の避難計画についての地元の同意にしても、利害関係が絡んで複雑である。福井県の知事、高浜町の町長は再稼働に同意する意向を表明した。しかし、住民避難計画が必要な原発から半径30キロ圏には、福井県のほか京都府や滋賀県の一部が入る。京都府の知事は「(立地自治体に準じた)原子力安全協定なしでの再稼働には反対」との立場を明確にしている。滋賀県の知事も安全協定の締結を求めて早期稼働に反対している。原発立地地区への交付金や電力会社の寄付を期待し、そして地元産業の活性で経済的に潤う地元自治体は再稼働を承認するが、現状では隣接自治体は事故の時の被害を蒙るだけであるから当然反対する。この複雑な問題も未解決にまま再稼働に動き出そうとしているわけである。

 このような日本の状態では、脱原発と言わざるをえないし、まして今の再稼働は許されない。経済性を優先させた原発政策を推し進めてきた結果が、原発事故による大惨事である。まだ12万人の原発避難民がおり、事故原発の汚染処理、汚染水の制御もできてない状態のまま再稼働を進めるなら、また事故を招きかねない。「安全神話」に替わり、今度は「想定外逃れ」である。

原発の稼働なしでも、現在は国内の電力需要はまかなえているし、もっと節電を奨励すべきである。最近は、一時の節電精神を忘れて、かなり無駄な電気使用が(例えばイルミネーションやライトアップ競争)拡がっている。
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