FC2ブログ
科学・技術と自然環境について、教育を考える。
  • 07«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »09
五輪や万博に浮かれている時代ではない

五輪や万博に浮かれている時代ではない

  2025年の国際博覧会(万博)は大阪に決定したので、関係者や一般市民の喜びの声と共にマスコミは大々的に報道した。2020年の東京五輪に引き続き、大きな国際イベントが日本で開催される。そのことはそれほど喜ぶべきことなのか、疑問の念が湧いてくる。

その理由は、国民生活を犠牲にした経済優先、莫大な予算支出(出所は税金)、環境への悪影響にある。


五輪のテーマ「震災復興」といい、万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」といい、理念は肯定できるがそれらはスローガンに終わり、内実を伴わないように思える。本当の目的は経済効果のみ優先されるのではないか。五輪の設営・運営予算が、最初の予定より何倍にも大きく膨れあがるところにも、その本質が現れている。万博も同じだろう。カジノの開設と抱き合わせの計画を見れば、「輝く未来」の夢は浮かんでこない。本当に利益を得るのは、一部の関係者と財界であろう。

 温暖化ガスCO2の排出削減は遅々として進まぬどころかまだ増え続け、地球環境は悪化して、25年頃には取り返しの付かないところに達するだろう。20年の五輪では、マラソンのみでなく、他の競技にも支障がでて、まともな運営はできなく成るのではないかと、私は以前から言い続けてきた。気候異変に伴う大台風、大水害、大干閥、山林大火災など、年々ひどくなっている。

 大阪万博のテーマ「未来社会のデザイン」は、まず「地球環境の保護・改善」の上に描かれるべきであろう。お祭り騒ぎで浮かれている時期ではないと思う。 

 現在の人類は、地球温暖化・汚染を防ぎ、地球環境を救うことを第一に優先すべきで、やらなくてもすむ大イベントは当分止めるべきである。たとえば、五輪の会場はアテネに固定し、余分な経費を削減するため、誘致競争、会場設営(環境破壊を伴う)を止めるべきだ。そして国威発揚などと、夢中になってメダルの数を競うのもどうかと思う。
 温暖化ばかりでなく、地球は海も山も、そして陸地もゴミの山、「ゴミ屋敷」になりつつある。地球環境の悪化がこのまま進めば、人類の生活は脅かされ、生存すら危うくなる。経済効果を狙うイベントによって、一時的に景気が少し回復したとしても、生きるために生活防衛設備(台風・水害対策、冷暖房など)の経費が嵩んで、その後家計はそれ以上に苦しくなるであろう。
危機に瀕している地球
危機に瀕している地球

大気汚染:温暖化 
今年は殺人的猛暑続きであった。集中豪雨や、台風の発生数、台風の進路も異常である。この傾向は毎年急速に進んでいるように思える。これも地球温暖化のためであろうが、それが原因で大規模な山火事も頻発している。山林火災により緑が失われるので、これは二重に大気中のCO2を増加させている。
 また、民族間紛争や国内紛争は止まず、紛争の種はむしろ増している。戦争は武器弾薬の浪費と破壊によって、これも二重に環境破壊をしている。
 
地球はゴミ屋敷 
西日本の水害地で、ゴミの山が復旧作業の妨げになっている様子が、写真入りで報じられた。今度の災害に限らず、被災地では毎度ゴミの山が問題になっている。そのゴミの山を見て思い出した。
 最近「ゴミ屋敷」が増えていると聞く。テレビで見たある老人のゴミ屋敷のすさまじさには驚くが、翻ってみれば私たちが毎日出しているゴミの量の多さに気がつく。少しの間でもゴミを片づけて処分しないと、何処の家でもたちまちゴミ屋敷になりかねない。新聞・雑誌や広告の類の多いこと。スーパーで買う品物や宅配の食料品などを、その目で見るといかに無駄な包装が多いことか。安価で便利なビニール袋、プラスチック製品の多用、何でも必要以上(二重、三重)の包装である。毎週のゴミ収集には多量のゴミの排出だ。

 海も山も名所はゴミの山である。夏が終わった後の海岸や山に捨てられたゴミを見ると、唖然とし恐ろしささえ憶える。地球全体が「ゴミ屋敷」になりつつある。

海水の汚染 
  これらは陸上の現象であるが、気づかないのが海に流れ込む工場排水・洗剤などの化学薬品である。これは可なり以前から指摘され、その対策が義務づけられてきたが、まだ無視できない量である。最近はゴミの流入である。ポイ捨てゴミ、山や海の行楽地のゴミが河川を通して海に流れ込む。そして海水に溶け込んだプラスチック・ビニールの細片が、世界の海洋を汚染し、魚の生態系ひいては生存を脅かしているそうである。これは目に見えないので気づきにくいが、近い将来に大変な事態を引き起こすであろう。人類は、地球の大気ばかりでなく、陸も海もゴミで汚染し、全地球を「ゴミ屋敷」にしているのだ。
 この状態は加速度的に進み地球は瀕死寸前のようで心配である。杞憂ではなかろう。

地球を救う政治を 
  CO2排出量の削減とともに、無駄を省きゴミの削減と化学製品、電気器機などを制限すことは、その気になれば困難ではない。便利さをこれ以上求めることは止めよう。この事態を改善するように、各国の政府が協力して呼びかければ、実行できるはずである。人類の活動と開発競争を制限する世界政治を早く成立させねばならない。今や小手先の対策では地球は救えないところまで来ているように思う。
 それなのに、日本ではオリンピックが最優先課題である。猛暑対策として夏時間導入などと言っている事態ではなかろう。金まみれ、ドーピングまみれ、無駄の多いオリンピックは、本来の精神を外れて、環境破壊に一役買っているように思える。

 世界は競って、覇権争い、貿易摩擦、開発競争に明け暮れ、それは激しくなるばかり。トランプ氏の異常言動に世界は振り回されて、あらぬ方向に目が向き、地球の危機を忘れている。世界は協力して地球環境改善に取り組むべきなのに、いがみあっている時ではない。人類はもう目を覚ますべきだ。

 
  先日朝日新聞でコラムニストのT.フリードマン氏が、トランプ氏と民主党との争点を取り上げて、こんなことを言っていた。
 “2020年版の左右対立米国政治だ。私は重要な争点が眠っていると確信している。「母なる自然」だ。気候変動と関連する今年のあらゆる異常気象がさらに悪化し、損害を増大させるとしたら? 2020年の大きな争点が、右と左ではなく、暑いか寒いか、豪雨や干ばつなら? 誰がロシア政策や北朝鮮政策で失敗したかではなく、「誰が地球を失ったか」ならどうだろう。
 話題にしているのは自然界のことなので、慎重になるべきだ。だが、今夏だけでも世界に襲いかっているあらゆる破壊的な異常気象を見ると、まるで「母なる自然」がこう言っているかのようだ。「ああ、ここ数年、私があなたたちの肩をたたいていることに気づかなかったの?・・・」”
21世紀を照らし過ぎるLED照明
21世紀を照らし過ぎるLED照明

 青色発光ダイオード(LED)の開発に対してノーベル賞が贈られてから、早13年余になる。その受賞に際して、ノーベル委員会は「LEDは21世紀を照らすだろう」とその功績を称えた。確かにこの技術は画期的であり、称賛に値する。LED証明は電力の節約、器具は長寿命というメリットがあり、省エネルギー・省資源に大いに寄与するといわれた。技術評価としては、その指摘はもっともであり間違いない。しかし、そのためにかえって大量に使い過ぎになり、省エネルギーどころか、逆の効果をもたらす可能性があると予想して、その当時私はブログにも書いたし、話しもした。最近の状況はその予想通りになっているように思う。
 最近、名所のライトアップ、年末のクリスマス装飾やルミナリエなど街全体を何十万個という電球で大々的な照明で飾り立てるところが急増している。また、各種イベントもどんどん派手に飾り立てるようになった。オリンピックはその最たるものである。 
 神戸のルミナリエは昔から有名だが、昨年末に大阪の中之島と御堂筋を通ったとき、街路の装飾照明の規模と明るさに驚いた。そして、省エネについて市の行政姿勢に大いに疑問を持った。それをテレビなどのメディアが取り上げて「綺麗だ、素晴らしい」と宣伝するので、それに惹かれ人は集まる。だからこの風潮は益々流行し、全国に広まるだろう。このように大量に飾れるのはLED照明で電力が安いからであろう。まさに「21世紀を照らす」だが、その陰の部分に目を向けるべきである。エネルギー浪費による地球環境の悪化である。

 このような現象は、LED技術に限らない、それは単なる一例に過ぎない。画期的な素晴らしい技術が開発されると、それによって省エネルギー・省資源に多大の寄与をする。だが、その技術が画期的であればあるほど、それの活用は広範囲になり、多量になる。それゆえ、便利さを求めてかえって大量消費を生み出す。
 その典型例が、半導体ダイオードの発明である。真空管に代わって半導体のICチップス技術が進んだために,大容量メモリーのコンピュータの小型化で資源と電力の節約は計り知れないであった。これらの技術開発により,電気機器の小型化が進み,莫大な資源とエネルギーの節約が可能になった。だがコンピュータの小型化により,パソコンが一般家庭にまで大量に進出した。今では携帯電話、スマートフォンなどが氾濫しており、次々に新種が売り出されて、使い捨て時代である。これら大量のIT器機の氾濫によって、資源とエネルギーの消費は巨大になった。

 技術革新によって地球環境を救うと、国連や先進国政府は言うが、技術利用をコントロールしなければ、かえって環境は悪くなることを認識すべきである。規制のない市場原理優先の資本主義制度では技術によって地球環境は救えないだろう。
近年、地球温暖化が急速に進み、年ごとに世界中で異常気象が激しくなっている。エネルギー節減、CO2排出削減を急速に実行しないと、温暖化による異常気象は取り返しのつかないところに近づいている。科学者の国際協力機関「政府間パネル(IPCC)」は毎年その危険性を警告している。また、昨年には世界の1300の人科学者が地球環境の悪化は取り返しできない状況の寸前にまで来ていると警告を発した。温暖化対策の重要性は国際的にも認識され、行政も真摯に取り組を始めている(トランプ大統領のようにパリ協定脱退の声明もあるが)。しかし、一般的には環境異常にそれほど敏感ではないようである。
ここで取り上げたLED証明の使い過ぎも、IT器機の氾濫はその典型例である。

「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)報告2014年版」を読んで
「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)報告」
         2014年度版を読んで


 国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の新たな報告が4月に発表された。その報告書によれば、環境の激変を避けるためには、産業革命前の比べて気温上昇を2度以内に抑える必要があるが、その目標が実現されるか否かが今後の人類の課題である。そのためには大気中の温室効果ガス濃度(CO2換算)を480~530ppmに押さえねばならない。その実現には、たとえば電力生産に占める低炭素エネルギー発電(太陽光、風力などの自然エネルギー)の割合を80%以上に引き上げるなど、劇的な変革が求められるという。現在の濃度はすでに430ppmだそうである。 本格的な温室効果ガスの抑制に取り組まずこのままの状態を続けると、地球の平均気温は2050年には最大4.8度上昇すると予測している。

 世界全体の温室効果ガス排出量は、先進国の経済活動の増大と新興国を中心とした人口増や経済成長を背景として、増加の一途をたどり歯止めがかかりそうにない。CO2排出を減らす技術開発や、排出されたCO2を地下に閉じ込める二酸化炭素回収・貯留技術、原子力・自然エネルギー(「再生可能エネルギー」というのは科学的に矛盾した表現なのでやめるべきだ)利用に打開策を求めることを報告書は指摘している。だが、これらの技術利用にも限界があるし問題もある。完全な技術はないし、エントロピー増大則によって代償を伴うから、プラス効果だけでなくマイナス面もある。原子力はウラン濃縮や原子炉設備、および使用済み核燃料処理にも多量の電力が必要であるので、CO2減少の寄与は必ずしも多くない。

 したがって、この課題の本質的解決は、人類が生活スタイルを変革して、(電力)エネルギー消費を削減する意外にないだろう。先進国における生活は余りにも無駄が多い。震災後、日本の原発が停止してから節電努力が盛り上がり、原発無しでも電力は持ちこたえられることが分かった。この節電運動で、これまで如何に電力を無駄遣いしてきたかを多くの人が気づいたので、その後も節電の習慣はかなりの程度定着している。しかし、他方では、公共施設投資の増大、超高層ビルの建築などにより電力需要は増すばかりである。世界一、東洋一を誇る高層ビルや塔の建設競争、超伝導リニア-モーターカーの建設などはやめるべきではないか。

 世界に目を転ずれば、グローバル化による世界経済活動と技術開発競争は留まるところを知らず、特に新興国の急速な経済発展による資源・エネルギーの需要はまさに歯止めがない状態である。さらにもっと悪いのは、領有権や資源が絡む国際紛争や民族間闘争、そして宗教対立による紛争・テロの続発である。これらは軍事的闘争による破壊活動を伴い莫大な資産の破壊とエネルギーの浪費である。また、気候異変による災害と生活難を克服するために、多くの資源・エネルギーが必要になる。その量は環境破壊が進めば進むほど、指数関数的に増大するであろう。

 このような浪費と破壊により、エネルギー需要は増大の一途であり温暖化ガス排出も急増し、地球環境の破壊によって人類は自滅の道を加速度的に突き進んでいる。人類ばかりでなく、多くの生物種の生存も危機に追い込まれているから生態系が破壊され、それがやがて人類に返ってくる。いまや人口は地球の収容量を超えるほど増大し、人類は地球上での絶対的覇権者としてやりたい放題、すべての生物種の天敵になりつつある。地球環境の悪化は最早猶予はできないところまで来ていると思う。人類の人口減少も急務の課題である。地球環境異変がとことんまで突き進んでから、それに気づき慌てて対策をしたのでは遅すぎる。人類は頭をコンクリートにぶつけて痛い思いをしなければ分からないほど愚かではないはずだ。

 環境悪化の危機に気づいた科学者や知識人の声はまだ世界の人々を目覚めさせるほどインパクトは強くない。IPCCの報告は確実性を期するため控えめな表現をしているように思える。マスコミはこの深刻な事態を取り上げ、もっと強力に繰り返し訴えるべきである。そして、世界の指導的政治家がリーダーシップを発揮して、現状を変えるための「世界政策」を打ち出して訴えるべきである。G7やG20サミットで「こんな争いや、開発競争にうつつを抜かしている状態ではない。全人類が協力して地球環境の保全に取り組み、そのための知恵を結集しよう!」と声明をだして訴えるべきである。だが遺憾ながら、そのサミットでは当面の国際紛争や経済問題ばかり取り上げられ、このような環境問題についての真摯な発言がない。人類の生き方と世界の政治・経済の方向転換が必要な時期が迫っていると思うのだが残念である。

 環境汚染には国境はないから、一国や二国には留まらない広領域の問題である。だからそれに対する対策は全世界が協力しなければ不可能である。この危機的状態の克服には、政治・経済制度の根本的転換が必要であろう。近年、先進国の国家財政は累積赤字に苦しんでおり、改善の見込みはなく財政破綻の危機にある。それは現在の社会制度の構造的な欠陥によるものであろう。だから今の経済制度(歯止めのない市場原理優先主義)が続けば、新興国もやがて同じ道をたどるだろう。また、世界経済も基本的に不安定であり、ちょっとしたことが契機となって世界恐慌がいつ起こるか分からない状態が続いている。このジレンマから脱するには、人類の生き方、生活スタイルの本質的変革が不可欠であろう。

 2020年の東京オリンピックまでには、気候異変は加速度的に進み、大気汚染と気温上昇のために正常な競技ができなくなるのではなかろうか。その可能性を危惧している人はかなり多い。災害復興に名を借りてオリンピックを誘致したが本末転倒の感がある。「オリンピック成功のために全力を尽くす」などと暢気なことをいっている状態ではないだろう
地球環境の異変について
地球環境の異変について

 地球温暖化の原因について、多量のCO2排泄が指摘されて定説になっている。だが、その説に対するいろいろな反論は後を絶たない。その中でも目を引くのは、昨年発表された赤祖父俊氏の論文である(「『金融財政ビジネス』:「止まった気温上昇CO2犯人説の真偽を考える」2009.11.)。彼は世界的に有名な地球物理学者であるから、その主張は大きな影響力を持つだろう。このまま無視できないと思う。

・赤祖父氏の主張 
 赤祖父氏は「大気中のCO2が急激に増加しているにもかかわらず、地球の平均気温の上昇は2000年頃から止まっている。これは実際に観測された事実である。しかし、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の研究者はその事実を無視し、一時的変動だと主張している。平均気温上昇の停止は、CO2による気温上昇を打ち消す理由があるからにほかならない。それは自然変動、すなわち小氷河期の回復に乗った準周期変動による可能性が大きい」と言って、政治・経済的背景を指摘すると共に、実際の気候観測データに基づき一般的見解を否定している。さらに、COPの会議など無駄だから止めるべきだ、日本のCO2削減目標はナンセンスだという。

 赤祖父氏のうな気球環境の専門家に、その分野の素人の私が反論することは困難であるが、「地球温暖化」だけを採りあげて、CO2増加のせいではないというのは一面的判断であって危険であると思うので、敢えてその理由と私の判断を述べることにする。 

・IPCC批判について
 赤祖父氏は、IPCCの報告は誤りであるといって、背後に政治的意図があるかのごとく批判している。しかし、千人を越すこの科学者集団は良心的科学者の研究組織と思う。IPCCの発足に当たって政治的問題があったとしても、これだけ広範囲の分野にわたり世界中の多数科学者を政治的意図で長年研究させ、都合の良い結論を出させることはできないと思う。

 IPCC報告が地球温暖化の原因をCO2にあると結論づけたことは、それなりの理由があるだろう。以前のこれまでのIPCCの報告は、結論をだすことに慎重で、表現に配慮していたようであるが、最近の報告では、温暖化とその原因についてはっきりと結論した。ただし、100年後の温度上昇予測については、不確定要素があることは赤祖父のいうとおり幅があるだろう。地球は複雑系であり、長期気象予報はまだまだ難しい。
 IPCCが、温暖化の研究に関する「学者としてできることは終わった。後は政策者の仕事である」といったとすれば、とんでもない発言と批判されても仕方がない、と赤祖父氏はいう。 さらに、温暖化防止の国際会議は意味がない、CO2削減は待ったなしの問題ではない、日本の25%削減政策は馬鹿げているというのも、同様に一方的偏見であろう。

・「温暖化」ではなく「気候異変」「環境異変」というべきだ
 地球温暖化にのみ目を向けて、温度上昇は自然変動のうちだとか、CO2増加と自然変動の両方だとかいって、CO2増加効果を論じていることがむしろ問題である。温暖化は進んでいると思うが、自然変動の要素がどれくらいかは明らかでない。これだけで確定的結論は出せないかも知れない。だから、他の現象にも目を向けて多面的に判断すべきである。
 地球は一つのシステムとして高度の複雑系であるから、多くの要素が複雑に絡み合って変化・発展している。温度上昇だけを問題にするのでなく、気象変動、海洋変動、氷河減退、砂漠化など総合的に研究して判断しなければならない。
 地球の平均気温の変化ではあまりはっきりしなくとも、気象異常は明らかである。激しい気温変化、梅雨期のズレ、集中豪雨、台風の発生状況の変化、他方では砂漠化の進みなどは、コンピュータ計算をしなくとも肌で感じうることである。さらに、エルニーニョの変化、海水の酸性化、海水の表面温度の上昇、海流変化、氷河の減退と深海水流の変化などいろいろな要因が絡み影響し合っている。(ヒマラヤ山脈の氷河は2035年までに消失するという警告は、科学的根拠の薄いインド科学者のコメントを載せたNGOの報告をそのまま引き写したということがわかり、IPCCは撤回し謝罪した。しかし、北極やヒマラヤの氷河がかなり減退していることは観測されている。)

 大気の温度変化についても、一様に上昇しているのではない。1950年以降、北極圏では100年あたり2.29℃も上昇したのに対し、赤道付近では1.25℃との観測データがある。つまり南北間の温度差が相対的に小さくなっている。これが大気の大循環を変化させているそうである。また上下方向では、CO2効果で地表では温暖化しているが成層圏ではむしろ寒冷化が進んでおり、大気全体としては実は温暖化も寒冷化もしていないそうである。そうならば大気が不安定となって対流活動がより活発化することになり、気候異変の原因となる。

 地球環境の異変はいろいろな所にでているから「温暖化」ではなく「気候異変」、「地球環境異変」の問題として多面的に捉えるべきである。

・手遅れになったら取り返しはできない 
 だから、赤祖父氏のように「待ったなしではない問題」といって、CO2削減よりも温暖化についての研究に力を注ぐべきだといって、悠長に構えているのは危険であろう。
 コンピュータを使うまでもなく、経験的に分かる自然現象として明らかに気候異変は見て取れる。異変が決定的になってからでは、対策は間にあわない。相乗効果のために、ある変化が閾値に達するとカタストロフィックな変化が起こり、そのとき複雑系はカオス現象を起こし引き返しが効かない。巨大な玉が坂道を転がり落ちるように加速されていき止まらなくなる。

真の科学的判断は総合的判断による 
 科学史の教えるように、自然科学の説や法則の真偽は、一種類の実験や、一種類のデータだけで決定的なことは言えない。一つの理論をひっくり返すには、あるいは新たな仮説を承認し受け容れるには、多くのデータと多面的な綜合判断に基づいて問題点を絞り込み、最終的結論に到達するのである。
 まして地球のような複雑系の場合はなおさらのことである。地球の温暖化や気候異変はCO2によるものか否かは、平均気温の上昇のみ見て単眼的な判断ではなく、地球のあらゆる異常変化を基に多面的(複眼的)な総合判断が必要である。それが本当の科学的方法である。
Copyright © 2005 自然と科学. all rights reserved.