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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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地球環境を救うための科学・技術の限界―生活スタイルの改変を!
地球環境を救うための科学・技術の限界―生活スタイルの改変を!

(前回、「科学・技術革新で地球環境は救えるか」において科学・技術のみでは地球環境は救えないことを述べた。今回、その続きとして、人間の性格と社会制度の観点から、それを敷衍する。)

・地球環境の破壊、汚染は急速に進み、取り返しのできない状態に近づいている。CO2による温暖化やゴミ(プラスティックだけではない)の氾濫など地球環境は危機的状態にある。その危機を救うために、科学・技術の活用が提唱され、勧められている。そのための科学・技術はある程度有効であるが、しかし限界がある。そればかりでなく、科学・技術はむしろ環境破壊の手先となっていることを認識すべきである。地球環境を保全するには、人間の生活スタイルの改革、そのための思想改革が必要である。

・人間は生活を豊かにし、自然の脅威から身を守るために、創意工夫をして技術を開発してきた。昔は「必要は発明の母」と言われた。必要に応じて需要が高まり、それに応えて発明し、技術を開発してきた。このことは自然の流れで当然である。
だが現代では、必要と発明の順序が逆転し、利用可能な科学・技術を駆使して発明することで、需要を創り出している。
その最たるものが1960年代に「消費は美徳なり」といって、当然であるかのごとく使い捨てが流行したことである。その原因は、資本主義の市場原理優先により、利潤追求、金儲けのための経済法則のためである。大企業・大商店は鳴り物入りで浪費を煽った。それを支えた土壌は、便利さと効率を求めて止まることのない人間の性格(欲望)である。さすがにこの行き過ぎた浪費生活は、反省され改められたが、「必要と発明の順序の逆転」傾向は続いている。 

人間は環境に慣れ、その時代の生活スタイルが当たり前と思うようになる。それゆえ、技術開発により生活レベルが向上すると、その環境に慣れた人間は次の便利さを望む。つまり、人間の欲望は、常に技術進歩を超えて無限に進む。その欲望のレベルが高すぎなければまだよいが、現代のように高いレベルになり、その上人口が増大すると地球の収容容量(キャパシティ)を超えて、地球環境の破壊に至る。同一種で人類のような巨大数に膨張した種は他にはない。世界人口はすでに地球の収容容量を超えている。この人口の巨大化をもたらし、それを支えているのも技術の力である。   
 地球の容量は有限であるから、経済成長にも限界がある。永久に成長を続けることは不可能である。環境破壊を防ぎ、省エネを目的とする技術開発も、新たな製品を次々に生みだし、その大量生産により却って環境の悪化を招いている(前回の「科学・技術革新で地球環境は救えるか」参照)。
 今の社会制度(資本主義的市場原理)の下では、人間の欲望増大と自然環境保全の観点からすると、技術革新は自己矛盾の関係にあるといえるだろう。

温室効果ガス排出を抑えて大気汚染と地球の温暖化を止めるために、自然エネルギー発電(注)(水力、風力、地熱など)の利用を促進すべきであるが、それにも限界がある。自然エネルギーの技術開発と普及は、温暖化の防止に是非とも必要であるが、同時にエネルギーの使用量を抑える努力も不可欠である。いくら.自然エネルギー利用を増しても、エネルギー消費がそれを上回れば、この技術にも限界があるだろう。ここにも技術開発と人間の欲望とのイタチごっこが見られる。

精神改革で「知足」を!地球環境を保全し、地球で生き続けるためには、人間は発想を転換し、生き方を変えることは、今や不可避である。地球の有限性を認識し、止まるところのない欲望を抑えて、「足を知る 知足」の精神を持たねばならない。「消費社会」から脱出して生活スタイルを変え、無駄を省き、使い捨てを止めることだ。そのためには、資本主義的市場原理、経済優先の社会に代わる、社会制度を模索することが必要であろう。

(注)「再生可能エネルギー」という表現は科学的に不合理の言葉である。一旦利用したエネルギーを元に戻し、再利用できるよう再生するには、利用可能なエネルギーよりも多くのエネルギーを必要とする。それゆえ、「再生」ではない。このことは「エントロピー増大則」という物理法則の示すところである。
水力、風力、地熱エネルギーなどは、「持続的利用可能な自然エネルギー」というべきである。だがこれでは長すぎるので、単に「自然エネルギー」と呼ぶことにする。長すぎるので「自然エネルギー」とすべきである。


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科学・技術革新で地球環境は救えるか
科学・技術革新で地球環境は救えるか

 この前の記事「プラスティックゴミ問題で思うこと」を科学・技術と関連させて「科学・技術革新のみでは地球環境は救えない」と題して、「私たちの教育改革通信」(257号、1月)に掲載したところ、反響があり関心が高いことが分かったので、10年ほど前に書いた小論:「科学・技術革新で地球環境は救えるか」(『日本の科学者』Vol.44,No.6 (2009))を思いだし、ご参考までにここに転載することにした。

 地球環境の悪化,特に地球温暖化は急速に進んでいて,もはや猶予できないところにきているように思える.国連機関のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第4次報告(2007年)は,この温暖化は人為によるものであることを指摘した.ドイツで開かれたG8サミットに引き続き洞爺湖サミットでも,地球温暖化防止のためにCO2排出の削減目標が大きな議題になっている.このニュースは地球環境の問題を世界の人々にアピールする効果はあったろう.しかし,その目標を実現する手だての具体的議論には,各国の足並みが揃わず真剣みが感じられない.アメリカや日本政府の提案は悠長過ぎるし,中国,インドは危機意識が薄い.
 ところで,地球環境保全のために,CO2排出の削減や省エネルギー技術の開発の必要性がしばしば唱えられている.国連を初め日本政府もその方針を打ち出している.環境破壊を防止して地球を救うのも,科学・技術での力が大変有効かつ不可欠であることは間違いないから,その方針に反対するつもりはない.しかしその方法には限界があるし,そればかりでなく,その新技術も使用法によっては逆にエネルギー消費を増やしたり,新たな環境破壊の要因を生み出したりする可能性があることを認識すべきであろう.営利追求の資本主義社会における市場原理優先の政治・経済制度を改め,同時に人類(特に先進国の人たち)の意識改革なしには,科学・技術革新のみでは地球環境を救うことは不可能であると思う.

技術革新のもつ矛盾  
 環境保全対策のための科学・技術の開発には,主に(1)省エネルギー・省資源のための機器・装置の小型化,(2)環境汚染物質の排出量を減少する技術や,それに替わる代替物質の発明がある.
 (1)の小型化では,大型機器を小型することにより,製造のための資源が節約されるし,そして運転のためのエネルギー消費量が大幅に減る.それゆえ,環境破壊を阻止するのに大変有効であるように思える.たとえば,コンピュータの場合,半導体のICチップス技術が進んだために,大容量メモリーのコンピュータの小型化で資源と電力の節約は計り知れないであろう.また,超微細物質を操作し細工するナノテクノロジーの進歩は,多方面で機器の小型化を可能にしつつある.
 これらの技術開発により,非常に多種機器の小型化が進み,莫大な資源とエネルギーの節約が可能になった.だが喜んでばかりはいられない.コンピュータの小型化により,パソコンが一般家庭にまで大量に進出した.今では携帯電話機がそれに替わろうとしている.その結果,社会全体で見れば,パソコン・携帯電話の全台数は指数関数的に膨れ上がり,その製作に必要な資源量と電力消費量は大型コンピュータ時代に較べて却って増えた.技術革新によるIT機種の改良で次々に新機種が売り出され,売れ残り物の廃棄と使い捨ての無駄は目に余るものがある.他方,IT技術の発達に伴い情報化社会は急速に進み,巨大コンピュータの大量稼働による大量の消費電力のために、その発熱による「IT温暖化」とその冷却法が問題になっている.
 この状況は一例に過ぎず,身の回りを見れば家庭電化機器をはじめ,事務機,医療機器などいくらでもある.この種のものは,その機器が便利であればあるほど,また情報化社会が進めば進むほど,需要が増大し普及する.それにつれて人間の欲望も増大する.一つの優れた技術が開発されると,その技術は多方面に応用されて,逆に資源・エネルギーの大量消費をもたらす結果となる.小型化はその需要に応えやすいから,歯止めのない市場原理優先の経済社会ではその動きを止めようがない.
 次に(2)の代替物発明の技術はどうであろうか.結論を先に言うと,新たな環境破壊をもたらし,下手をすると環境破壊の拡大再生産の可能性がある.
 その典型的な例は原子力発電であろう.化石燃料の枯渇対策として,またCO2の排出を抑制できるといって,かつて大宣伝された.日本でもかつての科学技術庁が原子力発電に熱心に肩入れした.その推進理由には一理あったが,その政策は杜撰であり,安全性対策は疎かにされた.使用済みウランの処理(原子炉の灰),老朽原子炉廃棄処理の対策に関する見通しが甘く不十分であったために,今になってそれらの処理に困っている.しかも,これには莫大な経費がかかることに蓋をし,原子力発電コストを不当に安く評価している.処理できない使用済み放射性廃棄物は蓄積する一方で,下手をすると将来地球の広範囲が放射能で汚染されかねない.それゆえ,原子力発電は新たな地球環境汚染の要因となりかねない.
 代替物のもう一つは,冷媒ガス用のフロンガス(クロロフルオロカーボン)の利用である.それ以前に使用されていたアンモニアなど有害な冷媒ガスに替わってフロンガスが発明された.フロンは無色無臭,不燃性で化学的に安定しているなどの特性があり,人体に無害であるうえに大気汚染の問題もないともて囃され,エアコンや冷蔵庫の冷媒,電子部品の洗浄,発泡スチロールの発泡材,スプレーなど,広範囲に大量に使われた.しかし,大気中に放出されたフロンが,有害紫外線を吸収するオゾン層を破壊することがわかり,たちまち使用禁止になった.しかし,すでに大量のフロンが上層大気中にあり,オゾンホールは拡がった.またすでに使用された機器中のフロンの回収は容易でなく,今も少量ながら放出されている.フロンガスは,代替物が新たな環境破壊の要因となった典型的例である.これ以外にも洗浄剤などには「環境ホルモン」とされる成分を含んだものがある.

2次,3次効果の予測が必要 
 現代では,科学・技術の規模は巨大化され,一挙に大量の物が製造されるようになった.地球環境保全はスケールが大きいので,そのための技術は必然的に大規模となる.従って,新技術が開発されて一気に使用されると,たちまち全地球にその影響は及ぶ.それゆえ,十分なテストで安全性を確認せずに使用すると,後から気づいたときには遅く,取り返しがつかないことになる.
 CO2を凝縮して地中に埋める方法や,海水に吸収させる方法などいろいろ研究されているが,その2次的,3次的効果を十分検証しないと思いも寄らぬところに影響がでるかも知れない.また,遺伝子組み換え技術も,病害虫に強く生産量を上げるための植物を作り出すが,人体や生態系への直接影響のみでなく,耐性菌の出現など2次効果も検証しなければならない.DNAのうちの大部分はまだその役割がわかっていないから,組み換えの際にその未知の部分が換わっても,その影響はすぐ表に出ない可能性があるからである.このような事例はいくらでもあろう.環境保全の問題は温暖化だけではない.
 地球は一つのシステムとして多くの要素が複雑かつ微妙に絡まり合って動いているから,小さな作用でも相乗効果で拡大され,2次,3次効果の方が大きくなる可能性もある.人間の知恵はまだ不完全であり,技術には予知できない抜け穴がある.技術への過信は禁物である.

資本主義の市場原理に歯止めを 
 環境破壊を救うのも科学・技術の力ではあるが,現代ではそのための新技術は環境保全以外に多方面で利用され,むしろ金儲けのための技術開発の方が優先される傾向が強い.便利な生活環境で育ちそれに慣れた人間は,その生活が当たり前と思ってさらに便利さを求める.だから,生活に便利な機器はどんどん売れるので,資源・エネルギー消費の増大に繋がる.何か重大な問題が起こらなければ,この連鎖は止まるところなく続くだろう.
 技術開発による新技術の発明は仕事の能率を大いに上げるが,多くの場合は逆に新たな多量の仕事を作りだし,むしろ社会全体の仕事量を増やしてきた.便利さを求める新技術は社会の活動力を高める潜在能力を持つ.それゆえ,便利な新機械ができると,それが無ければなしですむ余分な仕事を作り,関連産業を生みだすからである.たとえば,複写機の発明はその例である.大量のコピー機の普及は資源と電力の大量消費をもたらしたばかりでなく,それに付随する多くの仕事を増やした.それまでは,無くとも済ませたものをコピーし,無駄なファイルが急増した.その結果,コピー作業,事務量の増加,紙の大量消費,紙屑処理,電力消費といった,環境にとって負の効果を大量に生みだした.コピー機は携帯電話などと併せて情報公害をもたらしたと私は思っている.
 これまでの経験で,新技術により便利なものができても,社会全体で見ると仕事量が大量に増えて,人間の一日の労働時間はあまり減らなかった.ロボットの進歩は人間の労働を軽減し,労働時間を短縮するのではなく,生産量を上げるためにだけ利用され,人間の余暇をあまり増やしてくれなかった.日本では機械化が進んだ結果,むしろ労働時間は延長され過労死がでたが,それは依然あとを断たない.新技術の開発で仕事の能率が何倍上がったか,そしてその技術に付随して(その応用も含めて)増えた社会全体の仕事量の両方を評価すること,またその技術と関連した新機器を含めて資源・エネルギー使用の増減を評価することが必要であろう.
 環境問題を解決するための科学・技術開発は新たに別の環境問題を生み,最悪の場合は矛盾の拡大再生産になりかねない.この悪循環を断ち切るには,野放しの市場原理優先を止め,同時に私たちの意識を変えることで価値観を転換し,生活習慣を変えなければならないと思う.
プラスティックゴミ問題で思うこと
プラスティックゴミ問題で思うこと

 自然に分解しないプラスティック製品のゴミによる地球の汚染がひどい。特に海中に流れ込んだ袋など、多くのプラ製品が大量に蓄積し、それを飲み込んだ海洋生物(動物や魚類)の被害が深刻になっている。 このままでは2050年までに海に流入するプラスチックゴミの総重量が、世界の海に生息する魚の総重量を超えるとの予測もあり、分解されずにたまり続ける大量のプラスチックゴミの問題が世界で懸念されている。

 それゆえ、プラスティック製品、特に袋やストローの使用を制限する運動が、最近急速に進んでいる。そうなると、プラスティック製品を製造している会社は存亡の危機に見舞われるので、プラスティックに代わり、バクテリアによって自然に分解される物質の開発を進めている。プラスティック業者は生き延びるためにこの開発研究は当然だろう。すでに、幾種類かの新物質が開発されているようだ。
 だが安心するわけにはいかない。新たな問題が起こる可能性があるからである。予想される問題点をあげると
1.完全に分解するまでにほぼ1年かかるそうで、少なくとも半年は分解せずにそのまま海中を浮遊するから、動物・魚類の被害は完全には無くならない。
2.その様な代替製品ができると、これまでの例を見れば、環境にやさしい製品だといって、プラスティックよりも大量に作られ、売り出される可能性がある。それゆえ、必ずしも環境に良いとは限らない。
3.そのゴミが自然分解されても、分解された有機物は何かが問題である。その分会有機物の化学的性質が安全無害であるかを検証する必要がある。たとえ、有害でなくとも、大量に作り続けると、その製品が分解されてできる有機物の蓄積により、海水の成分濃度が変わり、環境変化、ひいては生態系の変化を引き起こす可能性もある。


 これまで、環境に悪影響があると指摘された物質に代わる代替物が開発され、素晴らしい発明だと宣伝されたものでも、後になって予想外のところに悪影響がでた例は多い。原子力発電(使用済み核燃料の蓄積、原子炉事故)、フロンガス(オゾン層破壊)などがその典型である。また、省資源、省エネルギーに役立つ技術の開発は一時的には、環境保全に寄与したが、その技術の普及によって新製品が大量に作られ、使われて、かえって資源とエネルギーの無駄な消費が増えて環境汚染を増したこと忘れてはならない。真空管に代わるトランジスターがその最たるものである。LED照明にもその兆しが現れている。

 技術開発のみによって地球環境は救えない。人間の欲望は技術改革の波を乗り超えて膨らみ、資本主義の下では止まることはない。 むしろ、人間の考え方(精神構造)、生活スタイルの転換が不可欠であろう。環境汚染はプラゴミばかりではなく、生活物質全てに亘るから、今や地球全体がゴミ屋敷になりつつある。この際、発想を転換して、無駄を省き、便利さを追求し続ける人類の生活スタイルを変える運動を起こすべきである。

環境運動家グレタ・トゥンべリさんのような若者の運動を支援し、早急に人類全体に広めねばならないたい。
行き過ぎたLED照明:
行き過ぎたLED照明:  節電どころか浪費になりつつある

 今年も年末が近づき、街にはライトアップやデコレーションが氾濫しだした。
 先日大阪市は昨年に続き、御堂筋をLED照明で飾った。年末まで毎晩続けるそうである。その電球数は23万個という。
 また、11月に入ったら、なんともうクリスマスデコレーションを飾り始めた所があるとテレビで報道された。それもLED電球数は3万個程とのこと。
 神戸のルミナリエは昔から有名であり、例年通り行われるであろうが、LED照明になってから一層巨大化している。

 これらの派手なデコレーションを、美しく素晴らしいと、テレビが放映し宣伝している。その宣伝により、それを真似て同じような飾りとライトアップは至る所に拡がるだろう。
いま地球は環境保全、温暖化防止のため省資源、節電が叫ばれている。その様な状況にあって、国や自治体は率先してそのために努力すべきであるのに、率先して膨大な浪費をして環境汚染に荷担しているように思えて仕方がない。テレビ(特にNHK)も綺麗だと褒めて宣伝するばかりでなく、地球環境保全の立場から取りあげるべきではないか。


 LED照明の発明は画期的な技術開発である。LED照明はその明るさ、電球の寿命、消費電力の削減による節電など多くのメリットをもたらした。LED発明がノーベル物理学賞に与えられたとき、ノーベル賞選考委員会は「白熱電球が20世紀を照らした。21世紀はLEDが照らす」とその功績を讃えた。まさにその通り、LED照明は急速に普及して節電に貢献し、今や世界を照らしている。
しかし、LED電球が安価になり、消費電力も少ないので、LED照明は至る所に氾濫し、節電、省資源どころか、逆に多大な浪費となり、環境汚染に荷担するという状態になりつつある。「LEDは21世紀を照らし過ぎ」にならないように心がけねばならない。

「温暖化を止めろ!」 ついに動き出した若者たち
「温暖化を止めろ!」 ついに動き出した若者

  「地球温暖化」は、最早猶予できない深刻な問題である。温暖化防止のための国際会議(COP)が熱心に取り組んでいるが、各国の利害も絡み、思うように進まない。全世界の合意に達するのは容易でない。各国の為政者が真剣に取り組まねば、地球環境の悪化は取り返しのつかない臨界点に近づいている。しかし、温暖化防止どころか、権力闘争、軍拡競争を初め、技術開発競争や温暖化を進めるようなイベントが次々と企画されている。

 この状況に堪りかねた若者たちが、ついに立ち上がった。欧州で始まった抗議行動が広まり、世界の各地(約120カ国2,000カ所)で授業をボイコットする「学校ストライキ」が今月15日に起こったと報道された。
 地球温暖化による被害を最も蒙るのは、次世代を担う若者とその子孫である。この抗議行動は高校生を主流とする様だ。米国連邦議会議事堂前に集まった、呼びかけ人の一人、ナザールさんは「私たちは温暖化の影響を受ける最初の世代、そして温暖化に対処できる最後の世代だ。政治家は我々の声を聞くべきだ」と訴えたという。(16日夕刊朝日新聞)


 彼らの運動を全面的に支持し、私たち大人は若者と一緒に声を大にして叫ばねばならない。地球環境破壊の責任を取り、罪を償うために。
 この運動が1回で終わるのでなく、皆で力を揃えて全世界に広め、全人類の心を掴むまで続くことを願う。
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