科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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技術革新の行方
 日本の経済界をリードする経団連の新会長になった御手洗冨士夫氏は、キャッチフレーズとして「イノベーション(技術革新)日本」を掲げました。科学・技術が政治・経済まで動かす時代にあって、「科学技術立国」を国策とする日本に相応しい目標だと、多くの人は肯定するでしょう。だが、今の技術革新の急速なテンポに対して、かねてから疑問を抱く私は、果たしてこれでよいのだろうかと思います。

 現代では、情報、交通、物流の手段が高度に発達し、地球上を縦横に結んでいるので、政治、経済、文化の面でも、地球を一つに括るグローバリゼイションは必然のなり行きで、避けることはできないでしょう。それゆえ、問題はグローバリゼイションのあり方であって、どのようなシステムにするかだと思います。
 
ところが、今はアメリカを中心にして、経済のグローバリゼイションは、自由経済の下での「市場原理」で進められつつあります。規制のない資本主義における市場原理は、弱肉強食の競争であって、強い者は勝ち組としてますます強くなり、弱者を駆逐していきます。この競争レースに巻き込まれて走り出したら、負ければ落伍者となり終わりです。これが市場経済原理で推し進められるグローバリゼイションの現状だと思います。

 日本はそのレースに参加し、先進国に伍して負けないように一生懸命に走っています。グローバリゼイションの下では、発展途上国もこのレースに参加して来るので、何時追い越されるか分かりません。前も後ろも油断できません。日本のように国土が小さく、資源のない国は、そのレースで落後しないためには、常に技術革新を行い、経済発展を続けなければならないというわけです

 しかし、このような激しい競争はいつまで続けられるでしょうか。規制なしの研究開発をすれば、科学・技術は指数関数的に発展します。それに連れて、経済活動も同じように活発化するでしょう。今の開発ペースでは、人間生理の適応能力が環境変化についていけません。これでは人類の自滅です。

 いまさら言うまでもなく、地球は有限であり、資源、環境保全も限界があります。だいぶ以前から、これについて警告が発せられています。このまま開発が進めば、後100年などといわず、10年、20年で地球環境にはカタストロフィックな急変が起こりそうな予感がします。近年の地球環境の異変はその予兆ではないかと思えます。そうなってからでは急ブレーキは効かないし、方向転換は不可能でしょう。

 技術革新によって、消費エネルギーを節約し、機械の小型化で資源を節約できますが、その節約量を上回って物が造られ消費されるでしょう。冷蔵庫やパソコンがその典型です。次々に新機能を備えた新型が売り出され、使い捨てられています。
 便利な生活に慣れた人間は、それが当たり前と思って、さらに便利さを求めます。

 技術開発による新技術の発明は仕事の能率を大いに上げますが、多くの場合は、逆に新たな仕事を作りだし社会全体の仕事量を増やします。便利さを求める新技術は社会の活動力を高める潜在能力をもちます。それゆえ、便利な新機械はなくともすむ余分な仕事を作り、関連産業を生みます。複写機の発明はその例で、それまでなくとも済ませたものをコピーし、ファイルが急増しました。その結果、事務量の増加、、紙の大量消費、紙屑処理といった負の効果を生みました。
 便利な物ができても、人間の一日の労働時間は減りませんでした。日本ではむしろ労働時間は延長しています。


 世界中が、開発競争をしている中で、日本だけそのレースから抜けることはできないでしょう。でも、このままでは人類は早晩破滅します。イノベーションを日本の目標にするよりも、開発競争をひた走る世界の現状を変えてることを目標にすべきでしょう。

 無理のない「持続可能な発展」を指導原理とする政治・経済の理論が求められます。 
 
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