科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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「生きて死ぬ智慧」を読んで
『生きて死ぬ智慧』柳澤桂子著、堀文子画(小学館)、を読みそして観賞した。柳澤さんは、生命科学の研究で立派な業績をあげ、将来を嘱望されながら、原因不明の難病で倒れた。死闘ともいえる35年以上の闘病生活の中で、サイエンスライターとして、また歌人として活躍し続けたそうである。
 この本は「般若心経」の心を、自らの科学的自然観に基づいて解釈し、美しい言葉で表現したものである。
 死の苦しみの中で掴んだ自然の本当の姿を、そして到達した自然観・人生観を、「般若心経」に重ねて歌い上げたこの言葉には計り知れぬ重みと深さがある。強い感動と共感を覚えた。

まず、「空」について、次のような呼びかけで始まる。

 ひとはなぜ苦しむのでしょ う・・・

ほんとうは 野の花のように

 わたしたちも生きられるのです

 もし あなたが
 
 目も見えず
 
 耳も聞こえず

 味わうこともできず

 しょっかくもなかったら

 あなたは自分の存在を

 どのように感じるでしょうか

 これが「空」の感覚です


これを受けて、宇宙の真の姿を、「般若心経」の心に照らして、現代科学の言葉で説いていく。文字色美しい詩の形式で書かれているが、要約して抜粋引用する。)。

 すべてを知り、覚った方に謹んで申し上げます。

 宇宙に存在するものには五つの要素があり、これら構成要素は

 実体をもたないのです。

 感覚、表象、意志、知識もすべて実体がないのです。これら 

 の要素が「空」であり、生じることも、無くなることもなく 

 汚れることもなく、きれいになることもないと知ったのです。


 宇宙では形という固定したものはなく、実体がないのです。

 宇宙は粒子に満ちていて、粒子は自由に動き回り、形を変え 

 て、お互いの関係の安定したところで静止します。

 形あるもの、いいかえれば物質的存在を現象としてとらえてい
 
 ますが、現象は時々刻々変化する。変化しない実体というもの

 はありません。

 実体がないからこそ形をつくれるのです。実体がなく変化する

 からこそ、物質であることができる。
 

 この宇宙観は、現代物理学の宇宙論と物質観によく調和している。
 この宇宙の中で、一定不変なものは何一つなく、粒子は生々消滅によって相互に転化し、粒子の離合集散による展開を永遠に続けていく。その過程で宇宙は、ビッグバン以後、極微の境域から膨張し発展進化してきた。この宇宙観は、近代科学の宇宙観、力学法則に従って機械的に運行を繰り返す機械論的宇宙観から脱皮した、現代科学の進化的宇宙観である。
 すべての粒子はエネルギーとエントロピー(秩序性・乱雑性を表す量)のバランスで安定な結合状態を一時的に作り、いつかそのバランスが崩れると分解する。このように宇宙の中のすべての現象には定めがない。
 しかし、その物質の運動変化は、一定の法則に従っていることを、人間は見出した。なぜ、一定の自然法則があるのかは分からないが、この発見は人間の素晴らしさである。
 
 人類は昔から、物質の究極要素、つまり不変実体を追求してきた。だが、その究極粒子と思った原子も構造を有し、素粒子に分解されるし、さらに素粒子もクオークからなることが分かった。さらにその下の層にサブクオークがある可能性がある。
 物質の階層は、下にも上にも限りがあるのかないのか、その答えはまだ分からない。物質粒子の下の階層に限りがなければ、明らかに不変実体はない。階層が有限で止まっていても、それは不変の粒子ではないだろう。それは何か超物質的なものの励起モードかも知れない。たとえ、それが粒子出会ったとしても、原子-素粒子-クオークが、それぞれの階層のレベルで相互に転化するように、不変ではありえない。
 それゆえ、物質の本性は、常に運動変化を続ける実体のない存在といえる。


 お聞きなさい

 あなたも宇宙の中で、粒子でできています

 宇宙の中の 他の粒子と一つづきです

 宇宙も「空」で、あなたという実体はないのです

 あなたと宇宙は一つです

 宇宙は一つづきですから

 生じたということもなく

 なくなるということもありません


 「空」という状態には

 形、感覚、意志、知識もなく

 心の対象もありません

 実体がないのだから

 物質的存在も、感覚も、概念を構成する働きもありません


 一人一人の人間は「小宇宙」であり、その小宇宙と全自然の「大宇宙」とは、互いに照応しているという自然観は古代からあった。そしてさらに、一つの微粒子の中に全自然の存在は投影されていて、自然界のすべてのものは、互いに反映し合い一続きであると。人間も粒子(原子・分子)からできていて、その粒子は全宇宙を飛び回っている。あなたの身体を作っている粒子のいくつかは、遠い恒星からこの地球に飛んできたものかも知れない。
 まさに「生成流転」、「輪廻転生」である。

 現代科学によれば、すべての物質とそれを構成している粒子は4種の基礎的相互作用(力)によって、互いに影響し合い結ばれている。でほど遠い物質の間にも重力は働く。相互作用を通して、全宇宙の物質は一続きであるというばかりではない。現代物理学のもっとも基礎理論である量子力学によれば、相互作用のある粒子は、どれほど離れていても互いに関連した状態(波動関数)となり、不可分な量子状態にある。これを「量子力学的不可分性」という。このように、全宇宙は一続きである。

 すべての現象は、これら粒子の運動・変化の形式・状態(モード)である。感覚や意識の働きも、知識もすべてその自然現象の一つのモードであるから、実体はない。
 

 真理に対する正しい智慧がないということもなく

 それが尽きるということもありません。

 迷いもなく、まよいがなくなることもありません

 「空」の心をもつ人は

 迷いがあっても

 迷いがないときとおなじ心でいられるからです


 真理を求める人は

 間違った考えや無理な要求をもちません

 無常のなかで暮らしながら、楽園を発見し

 永遠のいのちに目覚めているのです

 深い理性の智慧のおかげで

 無上ののほとけのこころ ほとけのいのちは

 すべての人の胸に宿っていることを覚ることが

 できました


 このように 過去・現在・未来の三世の人々と

 三世のほとけとは永遠に存在しつづけます

 深い理性の智慧もまた

 永遠にわたって存在するということです


 感覚も意識も、また知識も自然現象の一つのモードであり、人間も自然の一部である。すると、自然の仕組みを解明し、自然の真理を知ろうとしている人間の営み、つまり「自然科学」も自然現象の一つの形態でる。私はかねてから自然科学を

 「自然科学とは、自然自体が、人類を通して自らを解明する自 己反映(自己認識)活動である」

と考えている。
 自然科学をこのように見ると、自然が自らを解明するということから、自然科学は自己言及型の論理となる。すると、ゲーデルの不完全性定理によって、矛盾のない自然科学は不完全であり、解答できない問題(説明できない問題)が存在する。それを解決する(説明できるようにする)ために、新たな仮説を設けて新理論を築いても、その理論が無矛盾である限り、また別の解答不能問題が現れる。こうして、自然科学は永遠に完結せずに、永久に探究をつづけることになる。それは同時に、自然科学は無限に発展し続けることを意味する。
 人間が人間自身を知り尽くすことができないように、人間は科学によって自然を解明し尽くすことはできない。

(詳しくは『科学はこうして発展した』せせらぎ出版、または『科学は自然をどう語ってきたか』の終章、ミネルヴァ書房、を参照されたい。)
 
 人類はどんなに頑張っても、自然の外にでることはできない。まして、どんなに科学が進歩しても、自然を制御し支配することなどできない。すべては「お釈迦様の掌(自然)の中」の現象である。


 それゆえ、ほとけの智慧は

 大いなるまことの言葉です

 いっさいの智慧です

 その真実の言葉は

 智慧の世界の完成において次のように説かれました

 行くものよ 行くものよ

 彼岸に行くものよ

 さとりよ 幸あれ

 これで 智慧の完成の言葉は 終わりました


 現代科学に基づく、この宇宙観や自然観については、私も物理学や科学哲学の研究を通して、いくつかの点で同じようなことを考えていたので、共感するところが多かった。
 しかし、柳澤さんの言葉は、自然科学の研究のみでなく、死闘ともいえる闘病生活の末に到達したもので、その心と身から滲み出たものであろう。したがって、それだけの深さと重みがある。
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