科学・技術と自然環境について、教育を考える。
政治・組織・判断力
政治・組織・判断力について

日本の政治風土と教育「一言政治」といわれた小泉首相が首相の座を下りた。実行しようとする政策の内容や目的を説明せずに、スローガン的な短い言葉で表現するだけで、多くの政治家と日本の国民を引きつけて最後までそれで切り抜けた。最初は目新しい「改革なくして繁栄なし」とか「自民党をぶっ壊す」などの言辞に引かれたせいか、世論は稀にみる高い支持率であった。中盤からこの「一言政治」に対する批判が出るようになったが、最後まで比較的高い支持率を保った。

 そのことで、日本の教育と関連して思うことがある。この「一言政治」で、小泉内閣が長い間高い支持率を維持し得たのは、日本人の気質と思考形式のせいで、それには教育が絡んでいるように思える。戦後間もなく受験競争が激しくなった頃から、日本の教育がそれの傾向を助長したように思える。物事を理解するとき、順に筋道を追って考えるのでなく、結果さえ合っていれば良いという生徒・学生が増えてきた。個別知識を覚えることに一生懸命で、前提と結果にばかりに感心があり、その原因や過程の論理に興味がないのだ。しかも、教科縦割りの個別知識詰め込みが主で、物事を関連づける思考や総合的判断力を育てなかった。そして「○×式テスト」あるいは「2項の線結びテスト」に慣らされた結果、ますますそうなったと思う。だから、受けの良い語句やスローガンで国民を引きつけて、世論を煽ると簡単に騙される。なぜそうするのかの理由、そのプロセスと結果、さらにその結果から先はどうなるかに考えが及ばない。そのように教育されてきたからであろう。もともと、日本人ばかりでなく東洋人の思考形式は、現象的・直感的であって、論理的に掘り下げて考えようとしない傾向にある。表面的な現象だけで分かったような気になり、その場その場の現象で判断するから時流に流され、あるいは迎合してしまいがちある。これでは国民主権の民主主義は育たない。それゆえ、その思考パターンの短所を補うなり、または克服する教育をすべきなのに、逆の教育をしているように思えてならない。

小泉首相が、最後に永田町を去るときには、5年間を振り返りこれまにしてきた施策について、自らの思いを何か言うべきだったがそれもなしに終わった。やるだけやって後の始末はよろしくといって、知らぬ顔である。特に、「イラク派兵」については、重大な責任がある。これは日本憲法よりもアメリカのブッシュ大統領にサービスすることを優先させたもので、日本の内政・外交が危険な方向への大転換の梶を切った非常に重要な事件であった

 アメリカでは、イラク戦争に対するブッシュ批判が非常に高まっている。イラクには大量破壊兵器は存在しなかったこと、またフセイン政権とアルカイダとの関係もなかったことなどを、政府の機関が調査し発表をした。イギリスでも、アメリカとに協力したブレア首相に対して強い批判が出て、ブレア首相は誤った情報を信じてアメリカに協力したことを反省した。しかし、日本では、首相は頬被りをしたままである。跡を継いだ安倍新首相は、当時そう信じる状況にあったから間違いではなかった、と誤りを認めようとしない。イラク戦争に関して、ブッシュ大統領に積極的に追随したことに対する追求や批判はほとんどでていない。野党とジャーナリズムはもっと強く執拗にその責任を問いただすべきだ。この無責任さを見過すのは、第2次世界大戦の戦争責任者とその責任の所在を、日本人自ら明らかにして処理しなかったことと似ている。靖国問題の議論のなかで、今になってそのことが問題になっている。

組織のなかでの思考呪縛

人間の思考や判断は、そのときの周囲の状況にかなり支配される。群集心理の場合は言うまでもないが、組織のなかにいるときや、精神的に高揚した集団の中にいるとき、全体の雰囲気に流されて、個人に思考や判断が狂うことはよくあることだ。特に、組織に属している場合には、冷静な状況判断ができるときでもそうなり勝ちである。閉鎖的組織の場合は、その組織の自己運動で雪だるま式に悪い方向に転がっていく。そのために、誤りに気付きにくいし、たとえ気づいたとしてもそれを言い出せない。戦前の日本軍部、そして日本全体の状況がその典型であった。現代でも、ことが終わって後になってから、反省したり改めたりすることがしばしば起こる。たとえば、政治的要職にある者がそのとき行ったことを、退役後に反省して誤りを認める例がよく見られる。アメリカのベトナム戦争遂行の中心的存在であった人物の何人かが、後にベトナム戦争政策を反省したり批判したりした。イラク戦争の場合も同様なことがすでに起こっている。今度はベトナム戦のときよりも気づくのが早かっただけ、多少救いがある。

自己中心的思考について

 他方では、無差別テロを行っているイスラム原理主義者のテロ組織も、閉鎖的集団の雪だるま式自己回転という点では、その本質はこれと似ているだろう。もっとも、彼らがここまでエスカレートしたのは、複雑な事情が絡んでいる。十字軍以来、長年のヨーロッパの政策、近年ではロシアや米英の政治に責任があろう。イスラエル建国のためにアラブ人をその地から追い出したことが、彼らをテロに走らせた契機だろう。また、ロシア(ソ連)のアフガン支配もテロの温床となった。それ以外に経済的要因もあろう。
 もともとイスラム教の創始者モハメッドは、「知は宝なり」といって学問を強く尊重する教義を説いた。また、イスラム全盛時代にも、支配地の住民に対しては、税金さえ納めれば他の宗教に対して比較的寛大であったと言われている。そして、学問研究所を造り学者を優遇した。そのため、各地から優秀な学者が集まり、中世には「アラビア科学」として独創的な学問・文化が開花した。したがって、イスラム教は、本来は自己中心的とは限らなかったはずである。

 したがって、政治的支配への反発から、キリスト教対イスラム教という「文明の衝突」へと発展してきたように思える。政治・軍事ともに常に支配的立場にあって、世界制覇を意図するアメリカの自己中心とイスラム原理主義のそれとは本質的に異なるだろう。
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