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感性と想像性を育てる落語と囲碁
     感性と想像性を育てる落語と囲碁

先日、私の研究室の卒業生数人に誘われて寄席に行き、その帰途は例によって酒談となりました。その論断風発の中で、落語は子供の感性や想像性を養うのによいから、子供に聞かせるべきだ、ということで意見が一致しました。私は囲碁が子供教育によいと思い、「囲碁教育研究会」をやっているので、囲碁にも共通点があると思いつきました。

なぜ落語と囲碁か 

 囲碁と落語とは妙な取り合わせのようですが、いろいろな共通点があります。しかも、囲碁も落語もともに想像力を育て感性を養うので、子供の教育によい影響を与えると思います。そこで、落語と囲碁を子供に勧めるために、ここに取りあげてみました。

  まず、道具が単純簡潔であること、内容的には自由度が高いので演者(打ち手)の個性がよく現れることです。

 落語の道具は扇子と手拭い(時には机、座布団)だけの簡素なものです。話題と内容は自由に作れ、しかも同じ出し物(演目)でも演者によって脚色して色を持たせることができます。それを一人で演じるので、噺家の創意工夫と芸の力によっていかようにも表現できるという点で、自由度の非常に多い演芸です。

 囲碁も道具とルールが単純・簡単ですから、自由度が非常に高いゲームです。囲碁の道具は碁盤と白黒の碁石のみで、すべての白石と黒石はそれぞれ区別がありませんから、碁盤上に置かれるまでは全く平等です。そして、ルールも囲碁は他のゲームに比べて単純です。だから、それだけ自由度が高く、打ち手の個性と技量がよく反映されます。

落語 
 落語は、演者が高座に座ったままでしかも一人で何役も演じるので、大変な芸の力を必要とします。扇子一本で箸や煙管、また刀や杖などに見立てます。手拭いも皿・小鉢、杯、頭巾、財布、本・手帳など実にいろいろな物に代用されます。扇子や手拭いといった単純なものでこれだけの物を代用するのですから、その表現の迫真さは噺家の芸の力によって微妙に違ってきます。他方、それを見る方の客は、自らの想像力によって、話の流れにそってその表現をリアルに感じとるわけです。この点は、日本の伝統芸能の歌舞伎や人形浄瑠璃のように、多様な道具と舞台装置を用い多人数で演ずるものとは異なるところでしょう。

 落語の噺の中に出てくる人物の個性、また2人の場面や大勢の寄り合いの場面の雰囲気を、話術と顔の表現や体の動作で醸し出す芸は素晴らしいものです。しかも言葉をなるべく省略して説明を単純化し、前後の流れと「間」の取り方でそれを補っているわけです。だから、聞く方も想像力を働かして理解します。それには感情移入のできる豊かな感性が必要です。聴衆は噺家の醸し出すその場の雰囲気に知らず知らず引き込まれて笑いを誘われます。同じ演目を何遍聞いても新たな笑いを楽しめるのはこのためです。そこには高座の噺家と聴衆との間での無言の応答によって両者の意気があってゆき、一つに溶け込むからです。噺の中の「間」は話術の大切な要素ですが、噺家と聴衆の間にも「間」があって、その「間」がうまくとれた時一つになるのだと思います。
 最後の落ちを本当に笑えるのは、洒落や頓智ばかりでなく豊かな感性と想像力が働くからでしょう。落ちには「洒落落ち」、「考え落ち」や「見たて落ち」などいろいろありますが、感性と想像力がないと、その場で笑えないこともありますね。その落ちにも噺の流れに合った旨い落ちと、あまりぴったりしない落ちがあります。

 いずれにせよ、落語はこのように非常に優れた伝統芸能の一つと思います。

折り紙
 一般に、道具立てが簡素で仕きたり(規則)が単純なほど自由度が多くなるのは当然でしょう。自由度が多ければそれだけ使い手(演者)の自己表現の度合いが増し、能力・技能を発揮する余地が増えます。ということはそれだけ奥が深いということです。

 たとえば、折り紙がそのよい例です。四角い色紙を指先で折ることで、鶴、風船、船、兜など、実に多様なものを作り出します。折り紙には決まった規則はありません。どのように折り何を作るかは全く自由ですから、新作の折物を考案するとき、折り手の想像力と技能によって創造性が発揮されます。それはまさに自己表現です。逆にそれを見る方は、ある程度の感性と創造力を働かせてその象徴的な形を読みとり鑑賞します。だから飽きないのです。子供の玩具でも、手の込んだものや精巧な機械仕掛けのものはすぐ飽きてしまいますが、単純な積み木やブロックなどの方が飽きずに長持ちします。それは創意工夫による自己表現の余地が多いからです。
 日本古来のもので、折り紙と似たものに風呂敷があります。風呂敷も自在に使えて用途の多い物です。もう一つ、簡潔でいて変化に富み奥深い表現力をもつ俳句も日本独特の文学ですね。詠む方も鑑賞する方も豊かな感性と想像力が必要です。


囲碁
 囲碁のルールは、
 ・黒と白は一手づつ交互に打ち、碁石は碁盤上に引かれた線の交点(碁盤目)のどこに  置いてもよい、(相手の石で囲まれた穴の中は着手禁止、またコウという特種な例外  がある。)
 ・相手の石の縦横をすべてこちらの石で囲めばその石は取れる、
 ・黒石と白石でそれぞれ地(碁盤目)を囲み、囲った地の多い方が勝ち。
 このように囲碁は、単純な道具と簡潔な規則で地取りを競うゲームですから、自由度が高いです。しかも盤面に何もないゼロ状態から出発するので、打ち手の構想にしたがってうち進める自己実現のゲームともいえるものです。

 それに対して、将棋やチェスなどほとんどのゲームでは駒の役割が決まっていて、最初の置き場所と動きが制限されます。だから、ルールも複雑になり、それだけ自由度が減ります。(麻雀やトランプなども牌や札の役割が決まっている点では同じです。)

 自由度が多いと言うことは、打ち手の意図を着手に含ませる余地、つまり自己表現の余地が多いということです。碁盤上に何もないゼロから出発し、多くの地を囲むように打つ構築型ゲームですから、ある程度先を読んで結果の図(石の配置)を予想する構想力と思考力を必要とします。この訓練によって論理的思考力のみでなく、創造性が育成されます。また、着手の選択は、結果の図を想像して、まず感性による直感であり、その後で読みの裏付けで決定する場合が多いです。その直感力は訓練によって磨かれ高められます。だから感性の育成になります。囲碁は右脳(感性)と左脳(論理)を使うゲームであるといわれます。

 囲碁は自由度が高いので、変化も無限に多いです。19路盤の場合、石の並べ方の数は10の300乗通りを超えるでしょう。ですから、尽きぬ深みがあります。囲碁はいろいろな点で最も優れたゲームといわれています。

 囲碁の別名には、烏鷺、爛柯、手談などいろいろありますが、その中でも「手談」が囲碁の性格を最もよく表しています。囲碁は2人の対局者が碁盤向かって着手を進めていけば、言葉を交わさなくとも一手ごとに互いに相手の意志が伝わるから手談というわけです。対局者は熱中すると盤面に溶け込み一つになります。上手な打ち手は、着手のうちに相手は何を考え何を意図しているか、さらにまた感情の動きまでも読み取ることができると言います。それは感性の力によるところが大です。


 囲碁にも「間」が大切です。一手ごとの時間間隔がうまく噛み合うと、よいリズムが生まれます。こちらが打つと碌に考えずに直ぐ打ってくると、そのペースに引きずられて早撃ちになりミスすることが多いです。別に一定の時間間隔で打つ必要はないですが、考えるべき時には考えて、相手の意志に応える「間」をとることで意気が合います。
 
 このように、落語と囲碁には多くの共通点があります。まとめると
  道具と仕きたり(ルール)の単純簡潔さ、自由度が高い、創意工夫の余地が大、             自己表現の場、個性がでる、「間」が大切。
  それによって、感性、想像性、創造力が育成される。


 日本の伝統文化
 落語は日本固有の伝統文化であることは明らかです。囲碁は昔中国から伝来したものですが、日本の文化に溶け込みました。特に江戸時代に徳川家康によって家元制度が造られ保護育成されてきました。この制度は他に見られない日本固有のものです。その中で囲碁のレベルが高められ、日本的囲碁理論が生まれました。そして、日本独自の囲碁規約も作られました。戦後、中国や韓国に、日本から高度の囲碁技術が逆移入され、今では世界的ゲームになりました。したがって、囲碁も日本の伝統文化と言ってよいでしょう。

 落語をじっくりと聞くことのできる子供、静かに囲碁を打てる子供は、落ち着きのある感性豊かな人間に育つと思う。しかも、自ら考える習慣や、想像力と思考力も養われ個性のある人間になるだろう。近年、落ち着きのない子供が増え、平気で人を傷つけたり殺したりする風潮が増している。そのような人は感性が乏しく、感情移入できないから他人の痛みがわからないのだろう。その悪弊を正すためにも、この優れた伝統文化に触れ、あるいは体験させたいと思います。
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