科学・技術と自然環境について、教育を考える。
  • 06«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »08
地球は自然界も人間社会も変調だ
地球は自然界も人間社会も変調だ

 最近の世の中は完全におかしくなってきた。老人のせいか嫌なことばかり目に付く。

 今年の夏の暑さは異常だ。去年より一段と猛暑が進んでいる。人間による地球環境破壊のために気候異変は目に見えて加速され要るように思う。自然の異変は気候ばかりでなく、地震、津波、竜巻、干魃、洪水などの天災が世界の各地に頻発している。巨大台風(ハリケーン)、竜巻、干魃、洪水などは天災でなく、その元を質せば人災であろうし、地震や津波も対策を平生からきちんとしておれば被害はもっと少なかったはずである。自然界はがたがたに狂いだした。

 他方、人間社会も秩序維持が困難になりつつあり、安心して生活できない。テロによる無差別殺人、通り魔の無差別殺傷、乗っ取り事件、押し入り強盗殺人、親子・兄弟の殺人が横行している。民族間抗争、宗教戦争は各地で続き大量虐殺も絶えない。まったく殺伐とした世の中だ。比較的治安のよい日本ですら酷い状態になってきた。殺傷事件、偽造・詐欺事件は毎日のようにニュースになっている。食べ物の産地や原料の質など信用している人などほとんどいないだろう。嘘が当たり前になっている。

 政治経済の面でも、各国の首脳は国民・世論の支持率は非常に低く、有能な政治指導者が欠如しているから、民意を引きつけてこの困難を救う手だてがなく右往左往している状態だ。各種サミットの会議は開くが有効な解決策は見つからない。だから、投機屋が巨大資金を操って世界経済を引き掻き回している。住宅のバブルがはじけると、次は原油価格の異常高騰、バイオエタノール製造による穀物の欠乏で食物価格の高騰というように、次々に投機マネーは世界を駆けめぐって巨利をあげ、ますます肥大化していく。このような状態に手を打とうとせず(打つ手がないのか)投機屋のなすがままである。今やグローバル化時代の帝王はこれら投資屋である。 

 以前NHKスペシャルで新興ドバイのバブル振りを放映していた。原油価格の高騰で儲けた一握りのアラブの成金と投機屋が、海を埋め立てその上に巨大な高層ビルを林立させていた。それでも足りず、また次にさらなる巨大プロジェクトを計画しているという。それを見て空恐ろしさと馬鹿らしさが交錯した。そのバブルが弾けたらどうなるのだろうと、そして古代のバベルの塔が頭をよぎった。

 今や世界の人口は地球の収容能力を超えて、すでに1.2倍に達しているそうである。
したがって、生活水準を平等にすれば、先進国の人びとの生活はかなり低くなる。だが、一方では、飢えと病気に苦しみ餓死者がでている、それを尻目にして、他方では途方もない贅沢な生活をしている者がいる。余りにも不均衡である。

 日本でも毎日余った大量の食べ物を捨てている。ほとんどまだ食べられる物だそうだ。世界的には食糧が不足し、国内では貧富の格差が拡大して、”ワーキングプア”が続出しているにもかかわらずである。日本人の美徳といわれた「もったいない」の精神は、経済原理、市場原理に押し流されてしまいそうだ。食糧自給率が40%を切っている日本は、いずれ食糧難で食べ物に不自由する時代がくるかも知れない。

 自然界の食物連鎖の頂点にいる人類は、食料貯蔵法を工夫開発したために、必要以上の動植物を殺している。そして、食用動物・魚類の飼育は物質生産と同じく工場となっている。食料工場で飼育している生き物は殺すのが前提になっているので、その死をなんとも思わない。それを食べる人間は、お金さえ出せばいつでも好きなだけ手にはいるから、その食物がどのような過程で食卓まであがってきたかなど、気にもかけずに飽食している。それはすべて動植物の犠牲の上に成り立っていることを直接知るよしもなく、また知ろうともしない。だから、食べ物を平気で捨てられるのである。人類は食物連鎖のバランスを崩して、生態系を破壊している。これでは相手の痛みが分からなくなり、平気で殺傷をするようになるのではないか。 しかし、他方では、自分のペットに対しては、生活で苦しんでいる人びとに対するよりも思いやりがあり、可愛い動物が傷ついたり、迷子になったりするとニュースになり大騒ぎをして同情するといった現象がある。どうもアンバランスである。

 テレビのグルメ旅行に出てくる画面では、盛り沢山な旨い御馳走に舌鼓を打っているばかりで、命をくれた動物や魚に感謝する言葉や場面は一度も見ない。このように人間中心の「食文化」を見るたびに、金子みすずの詩「大漁」を思い出す。

大漁: 朝焼小焼だ大漁だ  大羽鰮(いわし)の大漁だ
       浜は祭りのようだけど 
      海のなかでは何万の  鰮のとむらいするだろう


 目に余る悪いことばかり並べ立てたが、嬉しいことよりも腹の立つことが多すぎて、つい文句がでる。だが、こういうようにすべての面でアンバランスな環境では、精神的に変調な人間が育つのは当然かも知れない。通り魔は「誰でもよかった」といって簡単に人を殺して平然としている。このような異常な事件を繰り返し聞いていると麻痺して、無差別殺人が異常でなくなってしまい、また次の事件を誘う。マスコミは採りあげ方を考えて欲しい。そのようなことは人間として許されないのだということを、特に若者に思わせるような報道をすべきである。犯人の生い立ちがどうの、学校の成績がどうのという現象的なことばかりに目が向いている。

 それにつけても思うのは、マスコミはもっと工夫して報道の姿勢を変えて欲しいということである。興味本位の現象を追ったり、表層的な解説ばかりするのではなく、もう一歩踏み込んでその原因を分析し、総合的判断をもって内容を構成して欲しい。また、政治・経済、社会、スポーツ、娯楽など、すべての面で、「なぜか」や「どうすべきか」が少なく、「いかに」ばかりが多いのも気にいらない。
スポンサーサイト
Copyright © 2005 自然と科学. all rights reserved.