科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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科学と技術の関係
科学と技術の関係
「科学・技術」か「科学技術」か         

 日本学術会議が、先日文部科学省に対して、科学と技術を一括りにした表現「科学技術」を止めて「科学・技術」とすべきだと勧告した。学術会議がわざわざこのような提言を行ったということは、科学と技術の関係が曖昧になり、科学・技術政策や科学教育にも悪影響があると判断したからだと思う。

 科学・技術の開発競争は熾烈を極め、それに勝つことは一国の運命を制するほどになった。今や科学・技術は政治・経済を動かす力を持つに至った。日本は10年ほど前に「科学技術立国」を国策として科学・技術基本法を制定した。しかし、その内容は基礎科学の軽視、技術偏重の傾向があるように思う。 

 現代では、科学と技術の関係は極めて密接になり、その境界が薄れてきた。基礎科学の研究成果が技術として応用される期間が短縮されたばかりでなく、研究内容すら科学と技術の区別が曖昧になってきた。科学の基礎的知識(たとえばゲノムのデータ)さえ特許の対象にする時代である。この趨勢は物質的豊かさと便利さを限りなく追う今の人類社会では当然の勢いであろう。今後、大学と企業の研究はますます強く結びついていくだろう。理論と実学(技術)は相互に協同しつつ発展すべきものだから、そのこと自体は悪いことではない。

だが、教育・研究の現場では、科学者は労働者と化して、ひたすら論文や特許を増やすことに駆り立てられている。自らの研究の意義や社会的影響を考える余裕もなく、また考えようともせず、業績を上げて研究費を獲得するために励まざるをえないように追い込まれつつある。

このような現状では「科学と技術を分離して考えるのは非現実的である」との見方が大勢となりつつあるようだ。だが、その考え方はある意味で危険であり、同意できないものがある。 

 科学と技術に限らず、人間社会には境界の明瞭でないもの、境界が次第に薄れていくものは沢山ある。文化のジャンルにしろ、科学分野にしろ明確に境界線を引けなくなったものは増えている。人間の種々の営みは、みな相互に絡んでいて、程度の差はあれ分離することは困難である。それでも、それらの概念的区別は必要であり、残すべきである。その理由を述べる。

 古代文明では科学と技術の区別は明確でなかったが、文明の発達とともに分離した。とくに近代科学成立以後は、実質的にも概念的にも独立した存在となった。

本来、科学は一種の文化であり、科学は二つの社会的役割を有する、
第一は精神文明への寄与:科学革命ごとに新哲学が誕生した、科学は自然観と哲学の形成に不可欠な要素であり、ひいては人生観に影響を及ぼしてきた。
第二は物質文明への寄与:技術と結合して物質的生活を豊にし、自然の脅威から身を守る役割を果たしてきた。


その科学と技術の連繋が再び密になり、結合しようとしているからと言って、科学本来の意義を消し去り「科学技術」に解消すべきではない。 

現代のような科学・技術のあり方と研究状況は、決して好ましいものではない。科学と技術のこのような現状を是認して、「科学と技術を区別するのは非現実的」というのは、その趨勢を是認してそれに拍車を掛けることになる。この時流に棹さすことは止めるべきだと思う。それと同じく、本来の原則を軽視した現実主義の例は、憲法9条の拡張解釈にもみられる。それは、世界の実状に合うように憲法を改変せよという主張と底通するものであろう。

 このような社会の動向を批判し改めるには、科学と技術の歴史的発展を見る必要がある。そのためにも科学と技術を概念的に区別してその役割をきちんと考察すべきである。

日本は江戸末期から明治にかけて、西欧科学を熱心に取り入れたが、それは科学を「役に立つ有用な知識」つまり「科学技術」とみなしたからである。科学と技術の役を区別し、科学体系のベースにはその時代の自然観や哲学思想があること、そして自然認識としての科学の意義を真に理解しようとしなかった。だから、その「役に立つ知識」を利用して「富国強兵」、「西洋に追つけ」という政策を遂行してきた
その科学観が日本の科学教育と科学・技術政策に永く陰を落とし、日本人の思考法を歪めてきた。その結果が日本を駄目にしたことは改めて言う必要はないであろう。

戦後、科学と技術の結合が緊密になると、いち早く両者を結合した「科学技術」という言葉を作ったのは日本人である。当時日本の一部の科学論者はこれぞ日本の科学観であると賛成するものがいた。しかし、筆者は反対であった。そして、精神文明としての科学の復権を主張して『科学は自然をどう語ってきたか』(ミネルバ書房1999:日刊工業新聞「技術・科学図書優秀賞」)を書いた。
 欧米の知識人はその傾向に批判的であり、[Science and Technology] と、間に“and” をいれて「科学・技術」と表記するのを支持する意見を読んだことがある。

日本人には概して哲学がないとか、原則を軽視するとの批判をよく見聞きする。科学と技術のあり方や研究スタイルについても、このように歪んだ状況のまま無批判に突き進むべきではない。現代文明を強力に推し進めているのは科学・技術であるから、その歪みを直すことが必要である。その責任は社会全体にあるが、科学・技術者自身にもある。
 学術会議が「科学・技術」の記法を、今日わざわざ提言したのもこの現状を憂えてのことであると思う。
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