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日本の人口減と労働力不足
日本の人口減と労働力不足
        
  少子高齢化が進み、日本の人口減少が大部以前から問題になっている。このところ景気がやや回復して、労働人口が不足するようになったので、人口減が一層深刻な問題になった。応急処置として外国人労働者を受け入れて、労働力不足を補おうという方針が浮上してきた。これまで日本は特殊な技術者か、技術研修の名目の者以外は入国を拒否してきたが、しかし、一般労働者も受け入れようという。低賃金労働者を確保するには、背に腹は替えられないというわけである。外国人労働者の受け入れ自体の善し悪しはここでは問題にしない。

 それにつけても思う事は、技術革新が進みすべての面で仕事は高能率化されているのに、なぜ労働力が不足するのかということである。人口が少なければ消費量も少ないから、それ相応に生産してバランスが取れるはずである。だが、現実はそうならず、低賃金で長時間労働を強いられ、過労死がでるほどである。それでも労働力が不足するという。今の人間社会はどこか狂っていると言わざるをえない。江戸時代の人口は今より遥かに少なかった。大正・昭和初期の頃までは、現代のように仕事に追いまくられるような生活ではなく、もっとゆっくりしたそれ相当の文化生活を送っていたようだ。当時と比べて科学・技術は格段に進歩し、生産能力は何十倍にも伸びている。それでも労働者が不足するというのは、現代社会の生活は多分に背伸びをし、歪んだ構造になっているとしか思えない。

 私が小学生の時に先生が言っていた「君たちが大人になる頃は、科学・技術が進歩して半日も働けばよい時代になる」と。だが、それは資本主義経済制度を無視した予想であった。現実はそんな理想的なものではなかった。今の人類社会のこの事態は、非常に不自然であり、かつ無理な状態だと思わざるをえない。その原因にはいろいろあるであろうが、一言で言えば、人間が文化的生活を営むに必要な水準を遥かに超えた生き方をしているからである。

 人間は飽くなき欲望を満たすために便利さとスピードを求めて、物質文化が極度に進んだ。その根底には資本主義制度の下での競争原理がある。金儲けのために次々に新製品を開発し、必要以上に需要を作り出して売りつけてきた。経済活動は一国内では閉じず、国際的生産競争と貿易競争が激しくなった。規制のない市場原理がその競争を駆り立ててきたのが今日の結果である。人類社会は、今や超肥満型の物質文明社会である。

グローバル化の時代になって、競争社会は全地球におよび、科学・技術開発による貿易経済競争はますます激しくなった。それゆえ、先進国は無理をしてでも自力以上の生産活動を続けなければ、その競争に負け落伍者となる。人口が減少したらこれまでの経済活動が維持できなくなるから、外国人労働者に頼らざるをえないわけである。この状態を続けていけば、資源、エネルギー、食料を巡る競争と、環境破壊によって人類は破綻するであろう。そればかりでなく、競争によるストレスで精神異常をきたし自滅するだろう。人類はもっと人口を減らし、ゆとりをもつべきである。

超肥大化した物質文明を削ぎ落とし、ほどほどの文化生活を営むように、社会の仕組みを転換すべきである。人類の無茶な営みによって、もうすでに人間社会も自然も荒廃しかかっている。これだけ技術が進めば労働時間を短縮しても、富を分かち合えば物質的に十分満足な生活ができ、精神的にも満たされうる。人口が少なければ、それ相応の身の丈に合った生活ができる社会制度にすべきである。

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