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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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行政には科学リテラシー(基礎的知識)が必要
行政には科学リテラシー(基礎的知識)が必要

 新型コロナウイルス対策のために、科学の役割は極めて重要・不可欠である。そのために、行政と科学との関係はどうあるべきかが論じられている。日本では、医学の専門家会議には法的根拠がなく、その役割と権限が曖昧で、政府の立ち上げた専門家会議はその役割を十分に果たせなかった。そのため、対策は後手になり、また混迷した。その責任は、専門家会議の組織、役割を明確に規定しなかった政府にある。また、専門家会議のメンバー構成についても批判がある。折角、専門家会議や分科会を立ち上げても、これまでのように政府に近い意見の委員を集めて構成したのではあまり意味がない。構成メンバーの選択法は極めて重要である。今回の専門家会議は議事録すら作っていなかったことでも明らかなように、新型コロナ対策に関する一連の政府施策の杜撰さは強く批判されるべきである。
 
 専門家会議と行政の関係は、専門家会議の出した科学的結論を尊重し、行政側は適切な判断を下して方針と政策を決定するのが正しい関係であろう。だが、それが旨く機能するには条件がある。
 今度の新型コロナウイルスに限らず、公害、自然災害、気候異変、地球環境汚染など、科学・技術の役割が欠かせない問題は沢山ある。それゆえ、科学・技術の社会的機能と政治家・行政の指導者の資質について、かねてから考えていることを述べてみたい。

 現代では、科学・技術は社会の仕組みや日常生活に深く浸透しており、科学・技術が政治・経済を動かす力を持つようになった。それゆえ、科学・技術は社会の仕組みの基礎として、大きな存在となっているゆえ、かねてから科学リテラシーの必要性を強調してきた。
 昔は、基礎的教養としてのリテラシーは「読み、書き、計算(算盤)」とされた。だが、科学・技術が社会の仕組みと日常生活に広くかつ深く浸透している現代社会では、「読み、書き、計算」に加えて「科学」がリテラシーとして欠かせない。特に行政の指導者には科学リテラシーが不可欠である。

 最近では、単に「科学」と言えば、自然科学を意味することが多い。だが、自然科学ほど正確な理論体系ではないけれど社会科学も科学である。現代社会が抱えている諸課題に対処し、解決するには、自然科学と社会科学の協力による総合的科学に基づく判断が必要である。それぞれの専門家の協議による科学的結論を適切に活用するには、行政側のリーダーにも科学の基礎知識が欠かせない。その時の状況を勘案して、専門科学者の結論を適切に活用できるための科学的判断能力、つまり科学リテラシーが行政の指導者には必要である。ドイツのメルケル首相は物理学畑の出身であり、諸政策で迅速かつ適切な判断力が評価されている。日本では理系の出身者が政治の中枢には見られない。科学者の意見を無視したり、都合の良いところをつまみ食いしたりする政治家は退いてもらいたい。

 コロナ禍に対して、緊急事態宣言の解除や「Go To旅行」実行の基準設定に対して、基準が高すぎると政府は専門家会議に苦言を呈したそうである。経済の方を優先する政府は、既定方針通りGo Toキャンペーンを遂行したいからである。このようなやり方は、政府の責任回避、逃げ道作りであり、本末転倒である。専門家会議の結論を変えさせては、何のための専門家会議か。どうしてもやりたいなら、専門家会議の結論は「こう」であるが、行政側の判断でこうすると、その理由をきちんと説明し、政府の責任を明確にすべきである。また、専門家会議も政府の意向を忖度せずに、客観的資料に基づいた科学的結論を出さねばならない。また、専門家会議以外の科学者や識者の意見にも耳を傾けねばならない。PCR検査について、専門家会議以外の人たちの多くの意見が無視され、対策を誤った。

 今度の新型コロナウイルスの蔓延防止と蔓延後の対策を誤った国の多くは、国の首長が科学的知識に無知であるか、科学的判断力がなかったためと思われる。そのような首長を持った国民は不幸である。アジアでは被害は比較的軽かったが(その理由はまだか解明されてない)、その中でも感染防止対策は国によって大きな差がある。日本は成功したとは言えない。

 科学・技術の力が社会で巧く機能するためには、科学者や技術者ばかりがそれを学ぶのでなく、文科系の人にも科学の基礎知識が必要である。むしろ立法、行政、司法、教育、産業、さらにマスコミなど広範囲の分野で知的労働に携わる人たちが、科学・技術の社会的機能とその影響について誤らない判断ができる基礎知識、科学リテラシーを必須とする時代である。だが、これらの分野の大多数の人たちは文科系の出身である。これまでの文系学生の多くは理科嫌いで、自然科学の基礎知識すら学んでない者が圧倒的に多い。そのために、日本の科学・技術が関連した政策の多くは欧米の模倣か追随であり、そして問題が深刻化するまで対策を立てられないことが多かった。しかし、これからは科学の専門家の意見を聴取し、自らの判断で方針を立てうるだけの科学の基礎知識がこれらの人たちに望まれる。また、一般市民も市民的教養として科学リテラシーは欠かせなくなっている。したがって、文系の人に科学教育をいかに行うか、その教育体制と教育内容を真剣に検討すべきである。

 これからの時代は、選挙において、このような科学リテラシーを持った政治家を選ぶべきであり、そして政治家は科学・技術をどのように政治に生かすか、その政治姿勢と方針を、選挙公約に加えるべきであろう。

 
 行政と科学との関係を論ずるにあたり留意すべきことは、科学といえども完全ではないということである。正確な論理と信じられている自然科学といえども完全ではない。科学は客観的真理にいくらでも近付きうるが、完全には到達できない。また、科学・技術の信頼度は分野により大きな差がある。最近の医学の進歩は目覚ましいが、まだ信頼度は低い。自然科学に比して、社会科学はかなり不完全である。また、技術は科学よりも不完全である。それゆえ、科学・技術への過信は危険である。そのことを正しく弁えたうえで判断を下すべきである。科学。技術の信頼度を正当に判断するにも科学リテラシーは不可欠である。

 今後の政治には科学・技術の専門家の意見が欠かせない。そのために、理系出身者が行政にもっと深く関与すべきである。
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