科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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科学的に気になる表現・用語
科学的に気になる表現


 はじめに 

 日常何気なく使っている科学用語のなかで、一寸考えるとおかしい表現、つまり科学的に厳密な解釈に従うと、その表現が明らかに誤りであるものがある。たとえば、「エネルギーを消費する」とか、エネルギーを節約する意味で「省エネ」というのがそれである。エネルギーの全量は一定で保存することは、理科(自然科学)の「いろは」で誰でも知っているはずであるが、この表現を変だと思わずみなが毎日平気で使用している。先日も新聞の解説記事に太陽光や風力・地熱などを「再生可能なエネルギー」と説明していた。新聞記事に限らず、これに類するものを時々見かける。

 それを今さら言挙げして言う必要はないと思うかも知れない。事実そうかも知れないが、ここには理科教育や科学的思考に関する盲点が潜んでいるようにも思えるので、敢えて採りあげることにした。折角、学校で理科や科学を学んでも、その知識を自然現象や日常生活において科学的に理解したり、応用したりする訓練がなされないために、理科は「机上の科学」となって、自然と乖離した知識として覚える暗記科目となっている。このような現象は科学教育のあり方にも原因があるように思える。それゆえ、日常無造作に使われている言語表現、特に科学用語で上記のような「誤り」を採り上げて、その正しい表現を考えさせることは、筆者の経験からして、理科教育として有意義であるし、よい教材にもなりうる。

 そこで、科学用語を含み、誤った表現のまま使用されている事例をいくつか採り上げて、どう表現すべきかを提案し、議論の素材としたい。

(1)「エネルギーを消費する」、「省エネルギー」について 
 「消費」には消えてなくなるという意味がある。普遍法則である「エネルギー保存則」からみて、この表現は明らかに誤りである。エネルギーはその形態(種類)は変わっても全量は一定であるから、それを利用することで「消費」したり、「節約」したりできるものではない。
 エネルギーには種々の形態(種類)があり、それぞれみな質が異なる。その質の違いは有効性の差である。すなわち、利用するのに有効なエネルギーと有効でないものとがある。熱力学ではその差を「エントロピー」で表すし、エントロピーの低いエネルギーは有効性(利用度)が高く、逆にエントロピーの高いエネルギーは有効性が低い。たとえば、力学的エネルギーはエントロピーが低く、温度の低い熱エネルギーはエントロピーが高く利用度が少ない。
 人間が「エネルギーを使う」というのは、有効性の高いエネルギーを有効性の低いエネルギーに変えることで、「質の差を利用する」のである。言い換えれば、エントロピーの低いエネルギーをエントロピーの高い状態に変えることにより、そのエントロピーの差を利用するというわけである。その変化でエネルギーの量は増えも減りもしない。ただし、エネルギーを利用するとき、その目的のためには使われず、一部は外部に逃げてしまう。有効性の高いエネルギーというのは、それを利用するときに外部に逃げて無駄になる量が少ないエネルギーのことである。つまり、利用の際に損失が少ないく、利用度の高い(効率のよい)エネルギーをこのように呼ぶのである。
 有効性の高い電気エネルギーを利用してヒータで部屋を暖めるのは、有効性の低い熱エネルギーに変えているのである。その際、発生した熱はすべて部屋を暖めるためにのみ利用されるのでなく、送電におけるロスやヒータの運転にも一部使われる。
 それゆえ、「エネルギーを消費する」はせめて「有効エネルギーを利用する」とすべきだろう。

(2)「再生可能なエネルギー」について 
 環境保全のために、2酸化炭素や窒素酸化物を出す石油・石炭の使用や放射性物質を造り出す原子力発電を減らそうと、いわゆる太陽光・風力・地熱など「自然エネルギー」の利用を提唱している。この運動には賛成である。しかし、エコロジー運動で、太陽光や風力・水力エネルギーなどを「再生可能なエネルギー」と呼んでいるのをときどき見かけるが、どうもこの表現に引っかかる。
 この「再生可能」という言葉には、一度使ったものを、もう一度修復して再利用するという意味が含まれているだろう。だが、(1)で述べたように、エネルギーの量は減らないから、その量を復活させるという意味ではない。エネルギーの質も自然に再生されることはない。有名な熱力学第2法則の「エントロピー増大則」によれば、「閉じた系のエントロピーは増大する一方で減少することはない」。つまり、エントロピーの高い(有効性の低い)エネルギーは、それに手を加えることなく自然のままエントロピーの低いエネルギーに変わる(再生される)ことはありえない。一旦利用して高エントロピー状態になったエネルギーを、低エントロピーのエネルギーに変えて利用しようとすれば、そのために必ず別のエネルギーを使わねばならず、その結果、全体としてエントロピーはかえって増大し、環境に悪影響をもたらす。エントロピー増大を伴ってよいなら、すべてのエネルギーは低エントロピー状態に「再生可能」である。それゆえ、上記の「自然エネルギー」を「再生可能エネルギー」というべきではない。

 太陽光や風力・水力のエネルギー(これも元をただせば太陽光エネルギー)などは環境に悪影響を与えずに、太陽から「自然に補給される」エネルギーである。以上の理由により、「再生可能」に代わり「自然に供給可能なエネルギー」とか「持続的供給可能エネルギー」というべきであろう。

(3)「自然界に存在しない人工物質」について
 「自然界に存在しない物質」を本当に造ることができるのだろうか。自然界に存在する原料を用い、自然法則(化学法則)に則って合成した物であれば、自然界には必ず微量には存在していると思う。自然界は複雑多様で、その内容の豊富さには驚嘆させられる。科学の進歩とともに自然の探査が進むと、こんな物まで存在したのかと驚くような発見があった。また、理論的には可能だが、それが果たして実在し得るだろうかと思われていたものが、結局は発見され、自然の奥深さに改めて感嘆したことが多々ある。たとえば、ブラックホールもそうだし、「天然の原子炉」ともいうべきものも発見されたように、この自然界には自然法則に従って可能な物事は、人間の手に依らなくとも何処かに存在するというのが、最近の筆者の信念である。
 炭素原子60個からなるフラーレンにしても、また猛毒のダイオキシンや合成高分子なども、自然物質を用い自然法則に従って合成できるものである限り、人間が合成に成功する前から、自然界には極く微量ながら天然に存在していたのでる。それゆえ、「自然界に存在しない物質を生み出す」とか、「自然界に存在しない人工物質」を合成したという表現は正しくないと思う。極く微量にしか自然界に存在しなかったために、あるいは稀にしか存在しなかったために、それまで人類には未知であった物質を合成したのである。それゆえ、「それまでに未知の物質を人工合成した」というべきであろう。
その物質の存在の可能性を理論的に予測し、その合成法を考案して人工的に造り出したことは素晴らしいことである。そして、そのことは人間能力の発展の可能性には限りがないことを示すものである。しかし、その成功を余り誇張して、「自然界に存在しない物質まで造り出した」というと、人間の驕り「自然支配の思想」に繋がりかねない。ヒトも自然の一部であり、自然は人間よりも遙かに偉大であることを忘れないようにすべきである。

(4)「電子」の乱用 
 上記3つの例に類する気になる表現はまだ他にもある。たとえば、電気機器に「電子」という言葉がやたらに乱用されている。「電子レンジ」、「電子メール」、「電子投票」など、何でも「電子」を付けることにも違和感がある。電流は電子の流れであるから、電気機器には電子が関与しているが、電子の作用を直接利用しているわけではない。「電子レンジ」は電磁波を利用しているのだから「電波レンジ」というべきであろう。また、「電子メール」は「電紙メール」としてはどうだろう。 

 ここで指摘したことは、最初に触れたように科学教育では無視しえないものを含んでいると思う。特に(3)のテーマは、科学とは何かという科学観、そして自然はいかに奥深く内容が豊かであるかという自然観について深い意味を含んでいると思う。これまでに、レーザーやナイロンなどの合成高分子は天然には存在しないという反論もあった。しかし、これらも自然界に確かに存在する。したがって、この問題に関する正しい見解を持つことは、科学者としてのみでなく教育者としても大切なことであろう。それゆえ、細かいこととして片付けるのでなく、読者のご意見と議論をお願いしたい。

補足:
 この主張は、雑誌『日本の科学者』(2003.5)に発表した一文に加筆しったものである。
 それに対して、コメントを頂いたので、それに着いて私見を追加しておく。

1.「未知の物質」を合成することは無理、「発見」にしか過ぎないというコメントについて:
 科学は、人類にとってそれまでに未知のことを予言、予知できるところが素晴らしいのである。経験的に知られた現象や物質を説明したり作ったりするだけではなく、未知の現象や物質の存在の可能性を理論的に推測する。物質の場合はその製造法まで考案するから、「発見」ではなく、「未知の物質の合成」だと思う。その物質の存在の可能性から製法まで理論的に予言しているからである。ただし、それは「人間にとっては未知であった」が自然界には存在していた。

2.『自然界に存在しないしない人工物質』はないという論理は間違いである。「自然界には必ず微量には存在している」というのは、著者の思いこみであろう。レーザーやポリエチレンは自然界には存在しなかった、とのコメントについて:
 反例として挙げられている、レーザー光は、自然界に存在する。宇宙空間にある分子(OH、H2O、SiOなど)がメーザー作用をしていて、それぞれの波長のマイクロ波を放出している。人工メーザー、レーザーほど強度は強くなく、コヒーレンス度も高くないが、これもレーザーの一種である。無数にある星間物質や天体のなかには、人類のまだ知らないさらに強いレーザー作用が存在するであろう。地球にもあるだろうと私は予想している。  ポリエチレン、ポリプロピレンなど合成高分子(プラスチック)も、高分子である樹脂、琥珀などが、いろいろな化学変化を起こす中に、上記の物質が微量に出来ている可能性がある。知人の化学者に尋ねたところ、答えはイエスであった。
 人工物質といっても、その原料は自然界に存在している物質であり、合成する化学法則も自然法則であるから、自然界のどこかには必ず存在するのであろうというのが私の信念である。自然はそれほど内容豊かであるといいたいのです。
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