科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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東北関東地震
東北関東大震災 

 予想を遙かに越えた大地震と大津波。無惨に荒廃した悲惨な情景は目を覆いたくなる。被災者にはなんともお見舞いの言葉も思いつかない。亡くなられた方々に心からの哀悼を申し上げる。すでに死者は数千人、連絡できない者1万6千人以上という。
 
 近年の異変続きを思うと、地球と人間社会は、あちらこちらで歯車が狂いだしたような気持ちになる。天災は人力では防げないが、それによる災害を少なくすることはできる。人類は自然災害の経験を重ねる度にそのための努力をしてきたが、まだ自然の威力を甘く見ていたことが、今度の天災でまた思い知らされた。福島原発の事故がその典型である。被害の多くは対策不十分、手抜かりによる人災もかなりあるだろう。

 地震による破壊よりも、大津波の破壊力とその恐ろしさが改めて身にしみた。スマトラ島沖の地震による大津波の時の破壊力をテレビで見たが、今度の東北の津波の映像を目の当たりに見ると、ずっと身近に感じて、その破壊力のすごさと被害の悲惨さがひしひしと迫ってくる思いである。津波が町に迫り、舐めるように地上の物全てを破壊し尽くしつつ進む。そして次には自分の家が津波に飲み込まれる様子を、高台から見ている人たちの身を切られるような叫び声はなんとも痛ましかった。営々として築いた自分の家が、街が一瞬にして跡形もなく流された人たち、逃げ遅れて家族を失った人たちの絶望感が思いやられる。
 阪神淡路の震災の時もそうであったが、今回はそれ以上に未曾有の災害である。このような時も、人々は助け合い励まし合って復興を目指す。ラジオを通しての励ましのことばが全国から寄せられている。その中で、10数年前に神戸で罹災した人の言葉「私たちも絶望の中から立ち上がった。今は何もかも絶望的でしょうが、もう駄目と諦めずに頑張って下さい。そうすればきっと復興しますよ」が強く心に響いた。自然の威力に対して人は無力であるが、人間の精神力は強いと思う。その精神力で人々が協力すれば一層力強くなる。
 敗戦後の荒廃から復興した日本人の素晴らしい努力を思い出す。何年かかるか分からないが、少しでも早く東北地方が元の平穏な町に戻ることを念願している。
 復興の援助・協力といっても老年の私には、応分の寄付程度しかできない。使えば罹災者の役に立つものもあるが、物品は受け付けないそうだ。運送・配布のルートが上手く機能しないからという。折角利用できる物が全国には沢山あるであろうに残念である。 

 日本は地震列島である。私は幸いにして、これまでひどい災害に遭ってない。阪神地震の時は少し離れていたために被害はなかった。娘が神戸にいたが怪我もなく無事であった。人間は住むところでこれ程に運命に違いができるなだ。地震・水害・台風禍などの大災害に遭わず、一生無事に過ごせる日本人の割合はどれくらいであろうか。これまで被災せずに過ごせたことを感謝しなければならない。しかし、天災は何時くるか分からない。「明日は我が身」ということを忘れないようにしよう。

 大地震、津波の後にさらに原子力発電所が大事故の危機にある。炉心が溶融して大事故になれば、まさに踏んだり蹴ったりである。なんとか大事に至らぬことを願うばかりである。

福島原発の危機:技術の不完全性 
 ”最高水準の技術をもって建設した”はづの原発設備であるが、危険な事故を次々に起こしそうな事態にある。地震で原子炉の運転は停止したそうだが、その後の冷却装置である水ポンプが故障して稼働しなかったとい。津波でその冷却装置の電源が破壊されたからだという。

 原発のような危険な施設は何重にも安全装置がつけられているはずである。この冷却装置もその一つである。だが、その設置場所が低かった。原発は海岸に建設されるから、津波の被害は想定されて高所に造られたそうだが、津波はその想定の高さを越えてしまった。今度の震災は、想定外のまさかのことが多く起こった。

 私はエネルギー源として原発の必要性は認め、頭から反対するつもりはない。しかし、日本の原子力行政に不信を抱いている。原子力基本法、原子力平和利用三原則によってかろうじて平和利用に止まってきた。だが、その原子力三原則も、形骸化されてきた。

 政府と電力会社の馴れ合い姿勢は、情報非公開、事故隠蔽をたび重ねてきた。そのため、日本人に根深い不信感を植え付けた。安全性についても原発建設会社や電力会社の姿勢は信用できない。ある会社の原子力部門のスタッフに聞いたところによると、原子力開発部門の安全性研究の姿勢は「どこまで手を抜いても大丈夫か」であるそうだ。この方針がベースにあり、その上に安全装置をどこまでつければよいかというのである。原発に限らず他分野でも、これくら安全率を掛けておけば大丈夫だろうと想定して設計しても、その予想は常にはずれてきた。これで絶対安全であるということは原理的にはないから、これくらいで大丈夫というのでは危ない。人間の考える技術には必ず抜け穴がある。人知は自然力に較べてまだまだ小さい。常に想定外の可能性を念頭に置くべきである。技術の過信は禁物である。

 日本の原発装置には、炉心が高圧に成ったときガスを抜いて圧力を下げるためのガス弁は要らないと最初はつけなかったそうである。専門家の警告や外国の例を見習って、電力会社は後からつけたという。今度の事故で、冷却ポンプが故障したために、炉心が高温高圧になって爆発の危険性が生じたので、そのガス弁を開けてガスを抜き圧力を下げた。このガス弁が無かったら炉は爆発か溶融を起こしていたであろう。
 このガス抜きで放射能が外部に漏れた。放射能漏れはこれだけが原因かどうか分からないが、測定された放射能の値と場所は頻繁に変わっているので、どうも腑に落ちないところがある。正直に正確な事実を発表して欲しい。

 2号機の圧力抑制室が破損して、大量の放射能物質が流れ出て、その後、放射能はかなり広範囲に拡散しているようだ。政府は15日午後、東北・関東地域でかなりの放射能が観測されたことを発表した。状況は時々刻々悪化している。
 
 最初は政府・東電の発表は楽観的であったが、1号炉、3号炉、2号炉と次々に事態の悪化が小刻みに発表されてきた。東電は事態を甘く見て対策に手抜かりがあったのか、あるいは都合の悪いデータを隠していたのか。ついには、発電停止をしていた4号炉まで危険な状態になったところを見ると、事態を甘く見ていたとしか思えない。東電の隠蔽体質と無責任さに、菅総理が怒鳴り込んだと報道された。政府も東電も後手を踏んでばかりである、これでは取り返しのつかないことになりかねない。
 
 福島原発事故は、外部電力に繋がりこれで事態が好転するかと思ったが、予想に反して次々に悪い新事実が見つかりだした。専門家はこのような自体を予想できていたはずだが、パニックになるのを恐れてか、真相を発表してなかったと思われる。特に東電幹部の責任は重大である。
 現場の作業員の危険を冒した懸命の努力にもかかわらず、ついに最悪自体になりかねない状態になった。避難者の苦労、土地・空気・水道水・海水の汚染は、今後どこまで拡がるか予測できないだろう。

天上ばかり見ず足下を固めよう
 高層ビルの危険性が軽視されているように思えてならない。東京に直下型地震が遠くない将来にくる可能性は高いといわれ、地震対策がなされている。しかし、超高層ビルの建ち並ぶ地帯は危険きわまりない。耐震建築技術の進歩で超高層ビルは地震で倒れたり折れたりすることはないようだ。しかし、低振動の揺れは永く続くから、ビル内部にはそれこそ想定外のことがいろいろ起こる可能性がある。窓ガラスの破損で降り注ぐガラス片で側下の街は危険である。ここにも技術に対する過信が見られる。
 幸いに今度の大地震で、高層ビルの事故は少なかったが、なぜ次々に高さを競うのであろうか。天上ばかり見ずに、足下に目を配らないと思わぬ災害が起こるだろう。日本一高い、いや世界一高いビル・タワーだといって浮かれているのを見聞きすると、「何のためか」、「これでよいのか」と、古代のバベルの塔の愚を思い出す。
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