科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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国家財政の破綻と世界経済の危機
国家財政の破綻と世界経済の危機        

グローバル化は平均化ではなく格差を拡大 
急速なグローバル化によって今や世界は一つになり、昼夜の区別も喪失しつつある。それにより、世界の政治・経済や文化の連繋は緊密になり、統一化が進んで人類社会は平均化されていくはずであるが、現実は逆で国家間や地域間格差、貧富の格差がますます拡がっている。人と物の交流、および情報量だけが増えたようである。
近年、世界的金融恐慌や経済危機が立て続けに起こっている。アメリカのサブプライムローンに端を発して、リーマンショック、原油価格の乱高下、ドバイ経済危機、ギリシアに始まるユーロ圏内の国家財政の危機、アメリカの累積的財政赤字など、今後何が起こるか分からないほど不安定な情勢である。日本も累積赤字で国家財政が破綻しかかっている。グローバル化の時代には一国の経済危機は全世界を揺るがす。特に、現代のような不安定状態では、ちょっとした要因が原因で巨大な変動をもたらすカオス的現象が起こりやすい。
 一方では飢えと生活苦に喘いでいるのに他方では飽食と富の偏在、さらに金融緩和による金余り現象で投機資金が世界経済を掻き回している。いま人類社会はいろんな面で極度の二極化が進み、多くの矛盾が蓄積される一方である。

慢性的赤字財政 
近年の急激な金融危機の裏には慢性的経済危機があり、それが世界を覆いつつある。その危機とは国家経済の破綻の恐れである。アメリカを筆頭に、ほとんどの先進国は累積する財政赤字に悩んでいる。国家ばかりでなく地方自治体も同様な傾向にある。その国家財政の赤字(穴埋めの赤字国債)は増える一方で、急速な景気回復でもない限り減少する見込みはほとんどない。
 文明が進むに従い人類社会の仕組みがどんどん複雑になり、国家の機能・役割も多様化し肥大化した。科学・技術の進歩はそれに拍車を掛けてきた。現代では、平均的な日常生活に必要な設備や家財・物品(特に電化製品)は非常に多くなり、家庭の出費は昔に較べて多大である。それに見合うだけの個人収入を必要とするが、給料はそれに比例して上がらない。いやむしろ、非正規社員が増えて、サラリーマンの平均収入は減っている。それと同じく国家の財政支出も莫大な額に膨らんだ。軍事費、公共施設、教育・研究費、社会福祉費、医療保険費、環境保全対策費などなど、種類も金額もどんどん増えてきたし今後も増大するばかりであろう。そのジレンマを脱するためにと「小さな政府」を目指して、規制緩和と民営化の構造改革を推し進めたのがアメリカの市場原理優先であり、それを真似た小泉内閣であった。その結果がかえって貧富の格差拡大と矛盾の増幅であった。
 経済不況の時代には支出は増えても増税はできない。この状態がいつまで許されるはずがない。日本の赤字国債は国内で消化されていて、外国金融に依存してないからまだ大丈夫だとの説もあるが(円高の原因)、ものには限度がある。「量的変化による質の転化」の普遍的法則があるから、この状態が永く続くはずがない。国家の財政破綻はどのようなときに起こるのだろうか。日本の敗戦のとき、莫大な軍事費の赤字で国家財政が破綻したことは覚えている。債券も札もすべて紙切れになり、国民はみな路頭に迷った。

 今の状況が続けば、遠くない時期に経済的に破綻する国が続出するのではなかろうか。日本はその先頭を走っているように見える。グローバル化された世界では、先進国はどこも似たような状態にあるから、一つの国が倒れるとドミノ式に波及して世界経済は破綻するだろう。発展途上国もその煽りを受けて被害を被る。
環境破壊、食料・資源不足、国家と世界経済の危機などにより、人類は生存の危機に直面している。これらの問題に共通している根本的原因は、資本主義社会とその下での無規制な市場原理であるように思われる。それともう一つ、議会制民主主義がマンネリ化してまともに機能しなくなったところにあるのではないか。政治家・議員は当選するために選挙民の顔色を気にし、集票を最優先するから思い切った政策を打ち出せずにずるずると現状に追従している。また、選挙に首長や議員にタレントが有利であることも議会制民主主義が形骸化されていることを示している。これは選ぶ方、選挙民の問題である。(選挙に限らず、すべての面でテレビタレント、マスコミに騒がれる有名人が異常に幅をきかす時代である。)

激しい開発競争に駆り立てる市場原理優先
強力なグローバル化と激しい経済競争によって、それぞれの国家は昔のように緩やかにマイペースで成長を続けることはできなくなっている。一国だけがその競争の外に位置することは最早許されない。好むと好まざるとにかかわらずグローバル化に巻き込まれてしまう。生産の低コスト化を求めて、企業は低賃金の地域に資本を投資し、あるいは工場を移転させている。
この経済競争に落後せず生き残るために、各企業・国家は篠木を削っている。それは国家の権威を懸けた経済競争でもある。国民総生産(GNP)の準位や経済成長率を競い、そのために日進月歩の技術開発競争に勢力を注がざるをえない。この開発競争に負けることは、企業も国家も没落を意味する。その競争の結果、既存技術はすぐ古くなり、旧製品は破棄されていく。その無駄は計り知れないであろう。また、次々に新技術が生まれ、関連産業が起こっている。この状況の根底には資本主義的市場原理が作用していることは明かであろう。人間の欲望はきりがない。便利で贅沢な暮らしに慣れた人間は、それを当たり前と思い贅沢と感じなくなる。それゆえ、次々に便利さを求めるから、技術開発は止まるところがない。
毎年5%以上の成長率を続けなければ、国家財政と安定経済を維持できないような制度がおかしいし、無理がある。地球の生物維持能力には限界がある。全世界のすべての人間が最低の文化的生活を維持できるように平均化すると、すでに現在の人口で地球の収納能力を超えているという。

危機脱出の方策はあるか?
複雑系としての世界経済は閉鎖系
現代では、政治・経済は国家ごとに独立に運営されているが、貿易、金融、投資、多国籍企業などを通じて、その活動は国内で閉じず国際的に開かれている散逸開放系である。グローバル化時代になり、その性格は一層強くなった。
一国に着目すれば、物資や資金は絶えることなく出入し続ける開放系であるが、それは国家ごとに、相対的に安定しているので散逸構造を形成している。しかし、政治・経済の活動の活発化とグローバル化により、その国家の散逸構造も外からの強い影響を受けやすく、不安定になっている。特に先進国は上記のように、国家財政は税収よりも支出が急速に増大し、国内要因だけでも財政破綻の危険性が一般化している。発展途上国も徐々に同じ道を辿りつつある。
これまでは一国の財政危機は、外国や国連などからの援助によってまだ救う道はあったが、それも限界に達しつつある。EU圏内での危機がその典型であり、巨大国アメリカの財政危機には他国からの援助はほとんど効果がない。この問題を地球全体を包含する一つの世界としてみるならば、状態はさらに深刻である。世界経済は、散逸開放系ではなく、ほぼ閉じた複雑系であるがゆえに、その内部に危機脱出の抜け道を見出さねばならない。人類社会の複雑系は経済だけで閉じているのでなく、地球活動(自然界)と強く関連している。世界は経済圏としては閉じているが、自然条件としては地球はエネルギー・エントロピー的に閉じてはいない。それゆえ、道がないわけではないだろう。

経済成長で活路はあるか?
国家の財政危機を救う方法として、増税や経済成長が上げられている。しかし、不景気の時期に増税は、国民生活を一層苦しくするので反対が多い。だが、背に腹は代えられないという主張も成り立つ。政治家は選挙があるので、口には言っても増税を断行できない。
もう一つの方法は、経済成長により景気をよくすれば税金は自然に増えるから、まず経済成長だ、という成長論である。この方法が可能なら、反対意見はないだろう。だが、その実現は極めて困難である。その理由にはいろいろあるが、主なものは資本主義経済制度と自然条件(資源、環境問題)の制約である。
規制のない資本主義のもとで市場原理を優先する制度では、景気のよいときは矛盾が表に出ないが、不景気時代には弱肉強食の競争で、個人の貧富の格差と国家の優劣の格差がさらに増幅され景気回復に繋がらない。現に、失業率は増し、個人消費は増えない。また、少数の発展途上国が経済的に台頭した反面で没落国家が増えている。さた、物質と人の交流は盛んであるが、出稼ぎ移民の急増で内紛や民族対立が頻発している。これが格差増大の原因ともなっている。

景気低迷の先進国(北米、EU,日本など)は、景気を刺激するためのカンフル注射としての金融緩和と低金利政策は、経済成長を促すよりもむしろ金余り現象で投機マネーを増やすばかりである。投機家は従来の株・債券・金などへの投資を超えて、資源・食料・住居などあらゆる物を投機対象にして世界経済を蹂躙し混乱させている。
では、この先景気が上向き、世界的に経済成長がなされたなら、この経済危機は救えるだろうか。経済成長が可能であるためには、少なくとも二つの問題を克服しなければならない。その一つは、地球の環境問題であり、二つ目は世界経済の成長を支える収容能力(消費、社会資本)の限界である。
社会の消費量と社会資本には限界がある
経済危機を脱し、国家の財政破綻を救うには、経済成長率は年何%なら見込みがあるのか。年5%ではとても足りないであろう。するとCO2削減どころか、CO2排出量がますます増えて地球環境はもたないだろう。この調子では、大気汚染防止を初め地球環境保全の技術開発は経済成長に追いつかないだろうし、エコ技術の開発が経済成長に寄与する割合はそれ程大きくなく、それだけでは世界の経済危機を救うことはできない。
もう一つの問題は、地球は有限であり世界経済圏は閉じているゆえ、経済成長によって増大し続ける生産財を吸収(消費・蓄財、社会資本など)する容量はどこまで拡大できるかということである。これが一国の問題ならば、散逸開放系なので、貿易により生産物を放出することはできるが、全地球の経済圏は開放系ではない。ただし、自然条件としては散逸開放系である。太陽からの低エントロピーのエネルギーを受け、熱輻射によって高エントロピーのエネルギーを宇宙に放出しているからである。それゆえ、資源が続く限り生産量を増やすことは、エコ技術の開発によって当分は可能である。問題は、その生産物をどこがどのように収納吸収するかである。
発展途上国はまだ生活レベルがまだ低いので、先進国並みに引き上げれば、生産増加分を収容できる余地はあるだろう。だが、資本主義経済制度のもとでは、見返りがなければ富の分配はしない。発展途上国にはその経済力が不足しているので、消費と蓄財は先進国に偏在する。先進国からの拠出金を用いた国連資金や国際通貨基金(IMF)などによる経済援助は一時的でその額も限られている。それゆえ、現在の政治・経済制度では、国の経済も世界経済もその成長には限界がある。富(生産財)の分配法を改め、労働を分け合う(ワークシェア)制度に改めなければ、安定成長は不可能であろう。そうしなければ、経済状況は常に不安定でデフレ・恐慌、金融危機は短期間に繰り返されるであろう。そして、遠くない将来に、国家財政と世界経済の破綻に陥ることになるだろう。その改革がうまくいっても、人口は地球の収容をすでに超えていることを念頭に置かねばならない。それゆえ、平均化した場合先進国での生活水準は下がることはやむを得ない。

歯止めのない経済競争の続く資本主義経済制度は破局の時期に来ているように思える。
ちなみに、世界経済の成長と膨張宇宙との類似性に言及しておく。地球経済圏は閉鎖系であるが、好景気を維持するためには生産量の増加と、それを吸収しうるだけの消費量(個人消費と社会資本)を拡大しなければならない。生産活動は社会の(ひいては地球の)エントロピーを増大させる。生産物を受け容れる余地を作り出すことは、エントロピーを吸収する余地を作ることである。それは、宇宙(閉鎖系)の進化と似ている。全宇宙のエントロピーは増大する一方であるが、宇宙膨張により拡大する空間が、その増大するエントロピーを吸収してきた。それが宇宙進化を可能にしている機構である。このように、景気を維持するために消費領域(エントロピー吸収の余地)を拡大することは、膨張宇宙に例えられる。宇宙膨張に限界があるか否かは、まだ明らかではないが、人類社会で生産量を永遠に増やし続けることは不可能である。地球の収容能力には限界がある。

グローバル化の中のクラスター化(自己組織化)
交通・運輸、および情報通信が発達すれば、グロ-バル化は必然であり、地球は一つの領域に強く結ばれる。しかし、市場原理を優先する資本主義制度のもとでは、地域的に平均化されるのではなく、地球全体が激しい競争の場となり、国家間の格差はむしろ広がる。紛争・競争の緩和役として国連が作られたが、常任理事国のエゴで半ば機能不全に陥っている。そこで、その競争に負けないために、いくつかの国家が協力するクラスター組織が生まれた。緩い結合組織はASEAN、南アメリカ圏、アラブ圏などであり、強い結合はEUである。これは自己組織化の一種である。しかし、次第に内部矛盾が蓄積されて、目的通り巧く機能しなくなっている。このような国家間の協力組織に変わる社会組織ができるかも知れない。
今のこの危機から脱するにはどうすべきかを、国家や個人のエゴを棄てて世界を挙げて真摯に考えるべきである。それには強い政治的リーダーシップ(ファッショ的でなく民主的)と新たな経済理論の構築が必要であろう。政治・経済の仕組みがこのように複雑化した時代には、この危機を救う新しい政治・経済理論を築くことは非常に難しいであろうが、そのような社会制度(完全なものはないが)は存在するはずである。私は政治・経済の専門家ではないが、新たな仕組みへの芽は社会の底辺ですでに生まれつつあるように思える。それには一人ひとりの意識改革と生活スタイルを変えねばならない。

もうゆっくり構えている余裕はない。社会の発展テンポは累進的に加速されている。したがって、昔の百年に一度の危機は、現代では十年に一度、いや数年に一度の頻度で起こっているからである。政治・経済の社会制度を根本的に、かつ早急に改革しなければ、これらの危機を脱することは不可能であろう。
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