科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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不信を増す日本の原発政策
不信を増す日本の原発政策

 福島第一原子炉事故で原発に対する認識が、日本国内ばかりでなく世界的に大きく変わった。日本の原子力関連技術は高く原発は安全と自負し、外国からも信頼されていた。だが、福島原発の事故により、その信頼は完全に失墜した。東電と政府の事故対策の不手際、および情報隠しが、次々に明るみにでて不信はつのるばかりである。今や「原発反対」、「脱原発」の声は全国に高まっている。

 この原発事故によって、これまで押さえ込まれて表沙汰にできなかった日本の原子力政策の腐敗・隠蔽体質が一挙に明るみに出たので、国民の怒りは(特に東電に対して)頂点に達した。永く続いた自民党の政府(後に自民・公明党)、官僚、原発関連企業の癒着によって築かれた体制は、「原子力村」を作り、科学・技術の粋を尽くした原子炉は絶対安全であるという「安全神話」を作りあげた。彼らはその安全神話の上に胡座をかいて、原発政策に対する批判を徹底的に排除し、あるいは封じ込めてきた。そして事故の危険性を具体的に指摘する警告を完全に無視してきた。その結果、事故対策を怠り、このような大事故を招いたと言えるだろう。民主党政府はこれまでの原子力政策に批判的のところがあり、隠されてきた情報の一部を表にだしたが、以前政権の隠蔽体質を多少引き継いでいる。 

 わが国の「原子力基本法」の中には「民主・自主・公開の平和利用3原則」があり、民主・公開が義務づけられているが、歪められた原子力政策によって形骸化されている。実際に、過去には事故が起こると事故をひた隠しにし、隠し仰せなくなると弁解と陳謝に終始してその場を逃れ、安全対策を根本的に改めることはなかった。そして隠蔽体質は続いてきた。それゆえ、国民の不信は募るばかりであった。原発事業は国の強い原子力推進政策に支えられて、原子力分野では何をしても少しくらいのことは大目に見られ、許されるという甘えの体質ができた。だから、手抜きや予算流用など次々に不祥事が裏で起こり、その体質が原発事故をだんだんエスカレートさせてきたと思う。種々な原子炉事故の頻発から東海村の臨界事故へと事故の規模は拡大し、ついに福島第一原発事故となった。

 原子力安全委員会と原子力安全・保安院は原子力推進の政府機関に所属し、原子力村の一員となって、安全性の監督監視を怠ってきた。その委員の多くは原子力関連企業や団体に名を連ね、そこから寄付を貰っていた。これら機関への委員の兼職は公表することが義務づけられていたにもかかわらず、公表しなかった。また、電力会社が行った各種公聴会などで問題になった「やらせ」にも関わっていたとの報道もあった。電力会社も安全委員会もこの隠蔽、談合・やらせの体質を真摯に謝罪し改める様子は見られない。
 このような組織の体質・風土を根本的に解体し改変しなければ、近いうちにまた元の馴れ合い状態に戻るだろう。事故直後は、菅首相が組織改編を主張していたが、野田内閣ではその声は聞かれない。原子力安全委員会と原子力安全・保安院は組織替えをして環境省に所属させることになっているはずだが、何時実現するのであろうか。これら委員会と院の長も委員も未だに交替せず、そのまま居残っている。彼らの職務怠慢と腐敗体質を黙認してきたことは、原発事故に責任があるから解職に値すると思う。

 私は、現在の科学・技術レベルを持ってすれば、原発の安全度を現状よりも格段に高めることができ、事故を防ぐことはできると思っている。それゆえ、直ちに「原発廃止」「脱原発」というのは早すぎる、原発政策と科学・技術的問題を徹底的に一から検討し直したうえで結論を出すべきだと、事故直後には考えていた。だが、その後の事故処理の状況から、日本でそれを期待することは甘いと思うようになった。

 今度の事故で、原子力関係者のいう「想定外」は、彼らが事故対策を真面目に考えなかったからであって、ほとんどのことは科学的に想定できたし、防止もできた。事実、それを指摘した専門家はいた。だが、政府と電力会社はそのような意見に耳を貸さず、むしろ発言者に圧力をかけた。
 原発の技術に関して、原子炉の安全性や使用済み核燃料の処理など未解決の問題が沢山あるが、それらを解決する技術はあっても、それを活用する施策が巧く機能しないのは安全性の研究を怠り、不信を募らせてきたからである。長年にわたり日本の原子力政策は強い不信を国民に植え付けてきたから、原子力船「むつ」の寄港阻止、核燃料処理施設の受け容れ反対(六ヶ所村)、高速増殖炉「もんじゅ」の運転再開反対など、次々と壁にぶつかってきた。
 政府は昨年12月に福島原発は「冷温停止」に達したといって「収束宣言」をした。これについても専門家や地元から疑問や反対の声があがっている。原子炉内の状態が正確に把握されてないし、周辺施設も応急措置のところがあるから、まだ何が起こるか安心できない。信頼を回復せずに何をやっても、ことはうまく進まない。

 原発関連の組織とその体質を含めてこれらの問題点をすべて徹底的に検討したうえで、原発廃止か継続かを決定すべきだと、事故直後には思っていたが、その根本的検討をしないうちに、原発継続、再稼働が復活しそうな 最近の雲行きである。政府は原子炉の使用期限を40年と決めたが、審査によって延長できるという抜け道がついている。日本の風土は、規則や法律を拡張解釈して本来の精神を歪めて運用するのが得意である。その典型が憲法の「解釈改憲」である。したがって、原発の使用期限40年というのもいずれザル法となりかねない。
 
 間もなく国会内に強い権限を有する事故調査委員会が発足するが、その調査方針と目的、およびその結果をどのように活かすのか明かでない。原子力安全委員会と原子力安全・保安院の組織とメンバーや電力会社の幹部がそのまま残っている現状では、事故原因の追及と今後の対策をまとめても昔と変わらず、その報告は信用できない。その調査が始まる前から、すでに原発継続維持の声がでるようでは、原発反対、脱原発と言わざるをえない。これが最近の私の心境である。

補遺:この小論を書き終わった後、内閣官房原子力安全規制組織等改革準備室の荻野副室長は原発の「運転期間を最長60年」まで延長できる案を17日に発表した。運転期間を「原則40年」と発表してから10日余で、すでにこうである。原発に対する確かな理念がないから、腰の据わった政策が打ち出せないのである。
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