科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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「教育基本法」が泣く

「教育基本法」が泣く

 安倍内閣と与党は、ついに「教育基本法」を野党が欠席のまま、衆議院で強引に可決してしまった。「教育基本法」改訂案についてのタウンミーティング(なぜ「公聴会」といわないのか?)も文科省の演出した「やらせ」という、ひどいものだった。

 「教育基本法」に限らず、これまでの「公聴会」は、重要法案などを決めるとき、経過手続きとして規則で決められているので、政府は行ってきたが、ほとんどが形式的な「儀式」であって、結論は最初から決まっているといわれていた。形式的には、賛成・反対意見を述べさせるが、ほとんどの場合、それは形式だけで、反対意見は無視されて政府の思惑にしたがった証人の意見が採用されてきた。公聴会が形式的儀式に過ぎないことを裏付けるものとして、与野党が対立しているときでも、「公聴会」を開く日程が決まった時点で、すでにその法案は可決される見通しがたった(つまり可決されたも同然)、という新聞報道がこれまで何回かあった。

 その公聴会さえさらに変質させて、お膳立てから演出まで政府の手の内に合ったわけである。こと教育にかかわる文科省が、率先して悪巧みの手本を裏で仕組んでおいて、表では徳育・愛国心の育成を説いている。だから、この国の教育行政は、立前と本音が異なる嘘で固めたものになっている。教育委員会の存在は長年の間に形骸化し、その指導が形式的に表面を取り繕うものになって教育現場を歪めてきた。「いじめ」は無いという嘘の報告をさせ、必修教科の切り捨ても見て見ぬ振りをしてきた。その最も重い責任は、これまでの文部省・文科省にある。

 そもそも、教育基本法をなぜ政府案のように変えねばならないのか、納得いかない。今の教育の荒廃を嘆く世論は強いが、それが「教育基本法」のせいだという政府自民党に誘導されている人が多い。世論調査で「改訂賛成」が多いのはそのためだろう。しかし、「教育基本法」の精神は、人類普遍の原則と理想を唱った非常に素晴らしいものである。世の中を悪くしているのはむしろ、上に立つ者の言動と生き方が悪い手本を示しているからだと思う。新聞・テレビを毎日賑わしているのは、上に立つ人たちの談合・汚職、裏金・無駄使い、虚偽隠蔽、詐欺的商法、巨額脱税などの発覚である。

 「教育基本法」は、地球資源や環境問題など21世紀的問題に対する教育の視点が欠けていて時代遅れだから改訂すべきだとの意見もある。それならば、それだけ追加すればよいのであって、他を変える必要はない。これで「美しい国」とか「愛国心育成」とよくいえたものである。 政府が「愛国心を」というとき警戒すべきことは歴史に示すところである。

 日本の政府の発言や答弁でも、論理的に矛盾したことも、立前と本音を使い分けてその場をすり抜けていることがよくある。北朝鮮の核実験後に政府・自民党の要人が、「非核3原則」は厳守することを前提とするといいながら、日本も核所有のことを議論すべきだと繰り返し発言して物議をかもしている。この発言は論理矛盾であろう。「作らず、持たず、持ち込まず」という「非核3原則」を前提にしたら、核所有について一体何を議論するのか、議論の余地がないはずである。むしろ、指摘されているように、唯一の被爆国として核廃絶を率先して世界に訴えるべきである。

 安倍首相は、強い右翼的信念を持っているが、就任直後の発言はソフトになり、本音を内に包みこんで中・韓とのトップ会談を行った。しかし、教育基本法、憲法改定を最重要方針としている。これも本音と立前の使い分けか。このまま突き進めば、日本の将来はまた昔のようになるであろう。「この道はいつか来た道」である。
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