科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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議会制(代議員制)民主主義の危機
議会制(代議員制)民主主義の危機

代議員制議会主義の形骸化
 近年民主主義国家といわれているところで、議会制民主主義が本来の意義が失われている。その象徴は議会の運営が正しく機能しなくなったことである。民主主義的国家と言われてきた先進国で、長年の間に選挙制度と議会制度がマンネリ化して、議員は民意を代表して議会で国政に反映させることよりも、次の選挙で当選することに多くの勢力を注ぐようになっている。そのために、集票活動と資金集めの活動、人気取り政策が常になされている。政治家は常に選挙民の顔色を窺いながら発言し行動するようになった。
 特にひどいものは、私利私欲に走り、政治家を金儲けのための職業にしてい者である。先進国ばかりでなく特に発展途上国では、贈収賄の汚職は後を絶たない。「政治に金は付きもの」というが、これらの状況は議会制民主主義の腐敗・堕落であり、ひいてはその崩壊の危機を象徴するものであろう。
 いずれにせよ、「議員は落選すればただの人」と言われるように、次期選挙で当選することが至上命令である。それゆえ、政治姿勢を正して見識・人望で当選する人は少なくなり、集票のためなら何でもするという傾向が強くなった。そして当選した後は、議会では次期選挙を意識した党利党略の言動が目立つようになった。選挙制度の改廃もその一環である。代議員を通して有権者の意思を少しでも多く反映させようとするのでなく、自党に有利になるような選挙制度が大政党によって押し通されてきた。ひどいのは小選挙区制度であって、最悪の場合は半数近い標が死票となる。一票の格差(重み)も問題であるが、それよりも小選挙区制による死票の方が問題は大きいだろう。少数意見も無視しないとうのが民主主義の原則の中にある。

 このような風潮や制度が代議員制民主主義の弱点であり、議会制民主主義を危うくする原因である。政党不信の無党派層が増え、選挙での棄権が多いのもそのためである。
 すべての有権者の意見を直接政治に反映させることはできないから、代議員制議会ができた。この制度は民主主義社会の優れた制度として確立され運営されてきたが、漸く矛盾は現れてきた。代議員制の原理的な問題は、選出された議員は有権者から何処まで委任されているかということである。有権者から付託されたのだから、自分の考えで何を主張し決めてもよいというものではない。選挙公約には盛り込めないことは沢山ある。

 どんな優れた制度でも欠陥はあるし、長年のうちにマンネリ化して歪みがでるものである。そこで代議員制の不十分さを補う方法として、全有権者の直接投票の制度ができた。憲法改正、大統領選挙、重要事項の住民投票などがそれである。この直接投票にも問題があって単純ではないが、民意が直接繁栄される唯一の機会である。
 住民投票制度は手続きが面倒なので実現好く機会が少ないが、近年は時々行われるようになった。特に、環境問題や原子力発電の可否について国民投票・住民投票の請求による投票は世界の各地でなされている。しかし、有権者が折角署名を集めて住民投票を請求しても、その自治体の長や議会がその投票要請を否決する場合がある。最近の例では、日本で原発再稼動の可否を問う条例案が府民や県民の要望として署名と共に提出されたが認められなかった。議会制度への不信の芽はここにもある。
 これら諸々の要因により議会制民主主義に対する疑問や不信が芽生え強くなっている。代議員制議会に替わる新たな方法はないのだろうか。これだけ通信技術が発達した情報化社会ならば、もっと民意を反映できる制度が可能ではなかろうか。工夫の余地はあると思う。
 
形骸化した日本の国会 
近年、国会がまともに機能せず立ち往生をして、政治が麻痺状態にある典型的な例は日本であろう。衆議院と参議院での議員数が与野党で逆転している「捻れ国会」のせいもあるが、政治家に国家の戦略、基本的方針がなく、自党に有利となるような議会運営の駆け引きに終始しているからである。議会に議論は、「政治」よりも党利党略の「政局」目当ての宣伝に終始しているように思える。まさに議会制民主主義の危機である。
 日本は、戦後アメリカの傘下にありながらも、講和条約以後独立国家として再出発した。平和憲法の基に、民主的選挙制度が敷かれ、国会・地方議会が開かれた。国会の与党と政府は多少の移動があり、一時期芦田内閣が存在したが、その後長い間、自由民主党の長期政権が続いた。いわゆる「五十五年体制」-第1与党の自由民主党と第1野党の社会党という構図-である。
 五十五年体制ができ、かつ長年続いた理由は、米ソの冷戦と日本がアメリカの傘下にあった事が大きな要因であろう。この自民党による長期政権が、政治家を無能にし今日の日本における議会制民主主義と政治の危機をもたらした主要原因と思われる。
 総選挙で自民党は常に衆参両院の過半数を取り、政権は常に安定していた。そのうちに政治、官僚、財界の間の癒着によって、確固たる基盤が築かれた。自民党の代議士は自らの選挙区の利益代表となり、国家予算編成のときに地元の要求を通すために奔走した。その状態は、あたかも砂糖の山に群がる蟻の様相を呈した。それは出身地の権力者となると同時に、次期選挙の確実な集票活動でもあった。こうして地方と霞ヶ関を結ぶパイプ役を続けていれば、国会の議席は保証されたようなものであった。それゆえ、彼らにとって政治活動とは、国家予算を地元に取ってきて橋や道を造ること、地方の要望を政府に陳情するためのパイプ役となること、地元の顔役となって口利きをすることなどである。これでけのことをやっておれば、多少悪いことをしても大目にに見られて、選挙には当選できた。 こうした長期政権により、腐敗と汚職の土壌が生まれたが、政官財の癒着によって水も漏らさぬ体制が築かれていった。それでも時には、隠し果せない汚職が露見することもあったが、揉み消されることが多く、また次期選挙に当選して「禊ぎ」を受けたと言って堂々と居直った。

 このような政治土壌では、まともな政治家が育つはずはない。議会の議論は形式的になり、野党の追及は多数の力で押し切れたから、平気で嘘の答弁を繰り返した。自民党の首脳の議員も、外交や国内の政策を勉強し研究することや、未来を見据えた政治方針を研究することなどに目を向ける必要もなかった。ひたすら議席を守り、私財を増やすことが政治家の目的となった。このように、議会活動の実践を通しての政治家教育はなされなかったために、見識のある政治家は育つはずもなかった。
 野党も万年野党に据え置かれ、政権を手にすることができないので、政策提言も政府批判も限られ、政府・与党の揚げ足取りで抵抗する程度となった。国会の討論は形骸化し、テレビでの国会中継は聞く気にもならなくなった。それゆえ、野党は常に蚊帳の外に置かれ、政権の渦中にあって実際の政治を経験し学ぶ機会がなかった。国民もつんぼ桟敷に置かれて、政府の都合のよい情報のみ聞かされたので、批判精神は麻痺した。こうして、日本における議会制民主主義の制度は形骸化し、形式のみとなった。
 こうした状況が長年続いたことは、与野党ともに不幸なことであった。その下で、一番不幸なのは国民であるが、そのような議員を当選させて腐敗政治を許したのも国民である。

 このような政治状況が生まれて永続した理由は、アメリカの傘下に従属して、自らの政治の道を切り拓く必要がなかったからである。外交はアメリカの指示に従って動いていれば済んだし、国防・軍備も日米安保条約によって縛られていた。下手にアメリカの意に添わない動きをすれば、政治家は失墜させられる危険性があった。日本には外交がないといわれていた。アメリカの言うことにしたがっていればよく、独自路線は考える必要がなかった。だから、今になって、尖閣諸島や竹島問題では、アメリカが助けてくれないので、四苦八苦している。この問題で、政府の対応のまずさが多く指摘されている。
 国内政治は、国家の発展繁栄、国民の真の幸福とは何か、そしてそのための政策を考えなくともすんだ。、勤勉な国民は着実に復興を成し遂げ、経済も文化も成長した。戦後の学校教育についてアメリカの押しつけ教育との批判があるが、政治の面でもアメリカによって、このように政治家教育はスポイルされてしまったわけである。
 
麻痺状態の国会
 長期政権下でやがて汚職が続発し、政治不信を招き始めた。さらに、自民党内でも派閥が崩れ結束が緩み始めた。1983年総選挙では自民党が敗北し、長期政権は崩れた。だが1986年総選挙で自民党が勝利し、再び自民党単独政権となり党勢は一時的に回復した。しかし、バブル崩壊とそれにともなう経済不振によって、政治不信が増し自民党は分裂して、保守新党が多数生まれた。それら新党と野党の連立で1993年に細川内閣が誕生し、自民党は野に下った。38年間続いた「55年体制」はこれをもって崩壊した。
 しかしその後、社会党の村山内閣が不評をかって崩壊後に、自民党と公明党による連立内閣が生まれた。だが、やがて長期自民党内閣の腐敗と混乱に愛想をつかして、国民は自民党に見切りをつけた。その時、「構造改革」と「自民党をぶっ壊す」を掲げて出てきたのが小泉純一郎であった。彼のスローガンに大多数の国民は惹かれてそれを支持した。小泉語録に酔わされた国民は小泉改革に期待したが、その「構造改革」は経済、生活など多くの面での格差拡大であった。国会議員も彼の高圧的高言に押されて、黙らされ議論できなかった。小泉内閣の後は、衆議院と参議院における与野党議員数の捻れ状態のせいもあって、みな短命内閣で政治は停滞し混乱が続いた。この現象は自民党には首相の器を備えた政治家がもういないことを示すものである。これは55年体制の下で権力を傘に安眠を貪り、まともな政治活動も政策研究もせずにいたために、政治家が育成されなかったためである。その付けがこの期に出たわけである。

 国民は自民党政権に飽き飽きしてこの閉塞感から脱出しようと望み、漸く政権交代を求めて民主党を選んだ。民主党政権の誕生は、新生日本の夜明けのごとく迎えられた。だが、その期待は単期間で裏切られた。
 それでも、長期間に築かれた自民(公明)政権の悪弊や、隠されていた国内外の情報、特に外交上の秘密の一部が公表されたことは、政権交代のお陰である。この情報公開により、国民がこれまで如何に騙され続け愚民扱いされていたかを知ることができた。勢い込んだ民主党ではあったが、実際政治に対する経験不足のために失政を重ねた。前政権からの累積した国家財政の巨大赤字と、3・11東日本大災害・原発事故が民主党政権に追い打ちをかけた。その結果、民主党の内閣も短命で次々に首相が替わった。それでも、長期の一党独裁が続くよりもましであった。議会制民主主義は、本来政権が交互に交替するところにある。
 民主党政権の失政の原因は、長年ずっと野党にあって実際の政治を直接経験することなく、政府批判だけしていれば済むという、いわば無責任な地位に住み慣れていたためであろう。これも長期単独政権が続いたことの弊害である。 
 いまや、民主党は半ば分裂し、政権をかろうじて維持している状態である。それは衆参議院の捻れ国会のせいばかりでなく、議員が国難を救おうとの自覚がないためである。国会は与党と野党、特に民主、自民、公明による政局の駆け引きの場となり、国民のための政治はない。その駆け引きは、すべて自党に有利な宣伝と次期総選挙によって勝利しようとすることのみである。

国会と政党不信を拭うには 
 このような政治不信の状況に陥ったのも自民党の一党長期政権が続いたからである。長期政権が続くと、議会はマンネリ化し、政権は必ず腐敗・堕落することは古今東西を問わず共通している。そればかりでなく、与党ではまともな政治教育がなされず、見識ある有能な政治家は育たない。他方、野党は政治・外交の実学を学ぶ経験がなかったので、実行力のある政治家が育たない。次期政権を担いうる政治家が日本にはいないのは、「55年体制」が長年続いた結果である。一党長期政権の弊害は、直接目に見えない所にも現れて計り知れないものがある。国会がよく機能するには、国民の審判により与野党が適宜交替することが必要条件である。民主党政権の失敗に懲りて、また自民党に戻るのでは元の黙阿弥である。「55年体制」を永続させたのは有権者にも責任がある。
 次の総選挙では安定多数を取れる党は無いであろうし、またどの党にも首相に相応しい政治家はいない。世論調査では、無党派層が増えるばかりであり、既成政党の隙を衝いて右翼的新党が台頭する可能性がある。少数政党は乱立しているが、何処が違うのか分からない状況である。このような時期には「英雄」待望論が台頭するが、それは時代錯誤でもあり危険である。現代のこの複雑な世界と国内情勢の中では、一人の「英雄」でこの困難を乗り切ることはできない。昔のような単純な社会構造とは質的に異なる複雑な世界情勢である。 
 政党制に基づく議会制度がまともに機能するには、各政党が切磋琢磨して政策で競い合い、それを有権者が選択する。そして適宜に与野党が交替することであろう。失政をすれば次の選挙で負けて野に下るようになっていれば、政党・議員は真剣に国内外の政策を研究せざるをえない。地盤・看板・鞄を持って地方と中央のパイプ役では済まなくなる。
 国会でも、党利党略で互いに足を引き合うのでなく、是々非々主義で与野党は協力し国民のためになる議案を通し政治を進めて欲しい。そうすれば、衆参両院の捻れ国会でも麻痺することなく機能するはずである。しかしそれを望める状態ではない。
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