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憲法改訂の危険な企み
憲法改訂の危険な企み 

憲法改訂の議論が、安倍政権の発足によりまた急に盛んになった。憲法学者や法律学者たちいろいろな角度からの解説で、憲法と法律の役割の違いや憲法の精神を改めて認識し直した。

 憲法は権力者(政府、役人,国会)を規制しするための法であり、国家の横暴を国民が拘束するためものであること、それに対して法律は権力者(国家)が国民を規制するものであることを、しっかりと認識し心に留めるべきである。憲法は法律とは本質的に役割が異なるから、それゆえにこそ、憲法改訂は軽々しくできないようにすべきであり、どこの国の憲法もその改訂にはハードルを高くしているそうである。
 国家権力としての立法、行政、司法を規制する憲法を、行政府と立法府の都合で、通常の法律と同じように過半数で容易に改訂できるようにと、政府が主導することは憲法の存在意義を無視した越権行為ではなかろうか。

 安倍首相は憲法改訂をするために、まず憲法第96条(衆参両院の2/3多数決で改訂できる)を変更して、過半数で改訂できるようにすることを目論んでいる。それを7月の参議院選挙の争点にしようと公言している。第96条を改変して過半数で可決できるようにすれば、次に目指す第9条や第25条(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保証)の改訂は容易になる。すると、戦力としての軍隊保持を可能にし、国民の自由・権利制限がし易くなる。

 第96条のを改変して過半数制にするやり方は、「憲法改訂への裏口入学」であると小林節慶応大教授は指摘している(朝日新聞)。まず外堀を埋めて、次に本丸を狙う狡いやり方である。ところが自民党の選挙公約では、過半数制は国民が「国民投票」を通じて憲法判断に参加する機会をえやすくした、と述べている。この論理は本質をずらしている。国民は催眠術に掛けられ、気づいたら遅かったということにならないように十分注意しなければならない。

 そもそも、過半数による多数決制民主主義というのは無理なところがある。極端な場合、一人の差で結果が決まり、それに全員を従わせるのは問題である。そのような場合はもう一度じっくり議論して、多くの賛成を得るようにしてから決定すべきである。その時間がなく急ぎの場合はこの決定法でもやむを得ないが、改憲については議論の時間は十分ある。

 改憲派は、現憲法はアメリカから押しつけられたものであること、その憲法の施行後に世界情勢は大きく変わり現状にそぐわないから実状に合うように変えるべきであるという。押し付け憲法でも、内容がよければ受けいれればよい。現に日本は戦後ずっと平和と民主主義をこの憲法で守ってきた。国民の多数はこの憲法を支持してきた。「押し付け憲法反対」を口にする者の方が、むしろ政治・経済でアメリカの押し付けを甘んじて受け、あるいは自ら迎合している。 

日本は憲法第9条により交戦権とそのための軍隊を保有することは禁じられているが、自衛隊は明らかに強力な戦闘力のある軍隊であり、海外派遣も行っているから「現状に添わない」。自民党政権は第9条を次々に拡張解釈して、強力な自衛隊を造り、海外派遣まで行ってきた。これはアメリカの要請(押し付け)にしたがってなされてきた。

 日本人は原則を無視してなし崩し的に現状に妥協する傾向があるから、政府のこの誤魔化し政策を追求せず許してきた。反対意見はあったが、少なくとも選挙ではその自民党を国民は選んできた。もし、現憲法が現状とずれているからといって、実状に合うように改訂したら、またそれを拡張解釈して先に進み、戦争もできるようになるだろうし、民主主義は危うくなる危険性がある。怖いのは、この原則無視の拡張解釈である。
ここで踏みとどまらないと、禍根を残すことになりかねない。戦前に治安維持法を拡張解釈し、国民の自由と批判を完全に奪ったことを思い出すと恐ろしくなる。


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