科学・技術と自然環境について、教育を考える。
  • 07«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »09
国立大学の文系学部・大学院見直し
国立大学の文系学部・大学院見直し
                       
文部科学省が全国の国立大学に対して、教員養成系と人文社会科学系の学部と大学院について見直しをして、廃止または社会的要請の高い分野への転換に取り組むよう要請したという。今の社会にすぐに役立つ学生を養成せよと言うわけであろう。科学・技術時代に即した教育、すなわち理系学部への転換を示唆していると受け取れる。グローバル化の下で、国際競争に勝ち残るためにはは、即戦力となる教育が必要というのだろう。

 二〇世紀以降、現代社会は科学・技術ばかりが突出して発展して、人文社会系の学問が遅れ、人類の文明がバランスを欠いている。人間は物欲と便利さやスピードを追い求めて、科学・技術を熱心に開発してきた。それゆえ、物質文明は急速に膨張したが、その反面人文社会学の研究は等閑視されて、精神文明の方は取り残された。
 そして、人類は自然をコントロールして、自らが地球の支配者になろうとした。その結果、行きすぎた自然開発は自然環境を破壊し、いまその報いが人類に返ってきつつある。人間も自然の一部であり、自然の掟に従わざるをえないことを忘れた人類のこの思い上がりに対する反省が求められているはずである。

 人類はこの自然界でいかなる存在であるのかを正しく認識し、人間はいかに生きるべきかを真摯に考察し、将来像を画かねばならない時代にある。それができるのは、科学的自然観ばかりでなく、人文社会科学、なかんずく哲学・倫理との協同が不可欠であろう。物質文明が突出し、精神文明を欠く社会では、人の心は荒み、人間の心身は歪んでいく。すでにストレスのために精神障害者が急増している。

 効率ばかりを求めるのでなく、ゆとりが必要である。もっと感性豊かな、ゆとりのある社会が求められている。「無用の用」は直ぐに役立つものではないが、社会の潤滑油として不可欠なものである。バランスのある文明を築くに、人文社会科学がもっと成長・発展するよう助成すべきである。そのための文系の学部・大学院の在り方を見直すのなら賛成である。要は、歪んだ社会を正すために、文系の学問・教育の内容を見直すことである。

 文部科学省(文部省時代から)は教育改革と称して、戦後次々に教育制度を改変してきた。大学については、大学入試制度の改変、教養部廃止、大学院の定員倍増などなど。これらの変革は、プラスではなく、むしろマイナス面が多かった。教養部廃止は単細胞的人間を育成した。また、大学院の定員の一律倍増は、学生の質を把握せず、社会の需要も考慮せずに、アメリカの真似をして、大学に押しつけた。質の悪い博士を量産し、博士浪人が増えて困った末に、今になって定員の見直しをせざるを得ないようになった。文科省の思いつき改革で、教育現場は迷惑を蒙ってきた。今また同じような過ちを繰りかえすのではないかと危惧する。その前に、大学と関係者有識者の広い議論を重ねるべきであろう。
スポンサーサイト
この記事へのコメント

管理者にだけ表示を許可する
 
Copyright © 2005 自然と科学. all rights reserved.