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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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科学と技術の価値、および社会的役割
科学と技術の価値、および社会的役割

 AI(人工知能)の凄まじい進歩には目を見張るものがある。その将来像について警戒すべき所があるので、よく検討しながら開発すべきだ。あまりに急速な進歩は危険である。それにつけても、科学・技術のあり方が改めて問い直されている。

  科学・技術に対する批判は、原水爆開発競争や地球環境破壊などから、1960年代に隆盛になり、大学紛争当時は行き過ぎた「反科学論」まで叫ばれた。福島第一原発の事故により、科学批判が再び台頭した。この科学批判には耳を傾けるべきことも多々あるが、その議論には科学と技術を混同し一纏めにした「科学批判」が多いように思う。科学と技術の目的や社会的機能について、ここに改めて私見を述べてようという気になった。

1.科学と技術を区別すべきだ
 科学は人類の生産活動と結びついた技術のなかから、自然についての知的欲求により、その経験的知識を昇華して生まれた普遍的知識の体系である。したがって、科学と技術は不可分に結びついている。だが、両者はその目的も方法も、したがって社会的役割も異なるものである。
 本来、科学の目的は自然の仕組みを解明し認識することである。自然科学は古来「自然哲学」であった。自然科学には二つの社会的機能がある。第一は精神文明への寄与、つまり自然認識を深めることにより、自然観や人生観の形成に寄与することである。 第二は物質文明への寄与、その知識を応用し技術を通して生活に役立てることである。
 前者は人類の知的欲求を満たすと同時に, 自然観や哲学の形成など精神文明に寄与するから, 科学は精神文明の一部としてそれ自体存在意義がある。それに対して、後者は, 技術を通して物質文明への寄与である。技術の目的は自然の法則性や科学理論を応用して、生活に活用することである。それゆえ、科学と技術との目的は別であり、また、理論も方法もそれぞれ異なる。科学には基礎科学と応用科学があり、応用科学は技術と混同されがちであるが、やはり技術とは区別すべきである。
 科学には、それを形成した文明圏(あるいは民族)の自然観と思考形式が反映されている。17世紀に誕生した西欧近代科学の基礎には機械論的自然観、原子論的自然観、数学的自然観がある。20世紀の現代科学の自然観は、それぞれ進化的自然観、階層的自然観、数学的自然観に代わった。それゆえ、科学は文化であり、思想である。対して、技術には生活習慣や社会制度が強く反映される。
 このように、科学と技術はその目的も社会的役割も別であるにもかかわらず、「科学=技術」と誤解されがちである。日本では特にその傾向が強い。その理由は、一つには、現代では科学と技術が密接になり、基礎科学から技術への応用までの時間・空間的距離は極めて接近していて短期間の内に技術に利用されることにあろう。もう一つの理由は、江戸時代末期から明治にかけて、近代科学と技術が日本に導入されたとき、科学は「役に立つ知識」、つまり技術と同一視され、思想としての科学、精神文明としての科学の意義は無視された。この混同から日本では「科学技術」と一語で括る傾向が強い。欧米では通常“science and technology”と区別されている。この混同の傾向は日本のみでなく、実学重視の東洋に共通した科学観であろう。
 日本は西欧に追いつくために、「科学技術」の知識を急いで吸収し、その「科学技術」を富国強兵政策のために用いた。科学に対する理解とその姿勢は、その後もほぼそのまま今日まで引き継がれている。基礎科学軽視の風土の根はここにある。それゆえ、今でもノーベル賞の受賞者に対し、その学問的意義や精神文化としての意義を差し置いて、「それは何の役に立つのですか?」と聞く人が多い。また、“科学技術立国”としての基本方針にもその発想が強く反映されている。その基本方針は科学・技術における基礎科学の意義と役割を全く理解しない近視眼的見解であると思う。これでは基礎科学と基礎技術の面で、外国の後追い体質から抜け出ることはできない。

2.現代社会における科学と技術の役割
 近代科学が築かれる以前は、人間精神も社会も宗教が支配していたといえるだろう。それゆえ、科学も宗教の下にあった。だが、近代科学は神を必要としない論理を獲得し、宗教から独立していった。その過程で、宗教と科学の社会的地位は逆転した。科学・技術は、生活の隅々に浸透し、精神的にも物質的にも、人類の生活を一変させた。今や、科学・技術は一国の政治・経済を左右するまでになった。
 科学リテラシーについて。昔は、市民的教養の基礎は「読み、書き、算盤(計算)」と言われたが、現代では、それに「科学・技術の基礎知識」を加えるべきである。特に、文系の多い政治、司法、経済、教育の分野の指導者には、科学・技術に関する基礎知識が強く求められる。それなしには、専門家の意見を適切に判断して、正しい政策は打ち出すことはできない。この風土を変えるために、日本における科学教育の内容と制度を根本的に改革しなければならない。
 近代科学成立以降、科学・技術が、哲学・倫理を含む人文科学に比して、突出して急速に発展したために、社会制度や人間生活に歪みが生じ、人間精神の荒廃をもたらしている。このままでは、環境破壊(地球温暖化、汚染など)と高度の兵器開発による人類生存の危機は避けられない。
  哲学・倫理との共生がなければ、精神文明としての科学、思想としての科学は真っ当に存在も成長もしえない。その様に歪んだ科学は、適切な規制のない資本主義社会では経済支配の下で、金儲のための技術の下僕となりかねない。現代では、科学・技術は国政の支配下にあり、基礎科学すらも国威発揚のための技術の下僕となっている。この状態を脱して、「思想としての科学」の復権を唱えたい。文化としての科学が尊重される社会は、格差のない平等で平和な社会であろう。かつて、私は拙著『科学は自然をどう語ってきたか』(ミネルヴァ書房1999年)で「精神文明としての科学の復権」を主張した。
 科学と技術を区別せずに、一纏めにして「科学」として論ずる議論は、本質を踏み外して人類の未来を見誤ることになりかねないと思う。

3.科学と技術の価値について
 上記のように、科学は精神文明の一部としてそれ自体存在意義がある.「科学の価値」には, 科学理論それ自体(科学知)の有する「理論的価値」と, 技術を通して社会生活に活用する「利用価値」とがある。この両者を区別して科学の価値を考察する必要がある、と言うのが私の考えである。社会的「利用価値」は技術への応用の価値であり, 科学自体の有する「理論的価値」ではない。真善美に価値を認めるように, 科学知はそれ自体価値を有する。人間には自然の仕組みについて強い好奇心があり, それを知る喜びがあるからである.それゆえ、科学は価値とは無縁な「没価値」ではない。自然科学は客観的に存在する自然の仕組みや自然法則それ自体は価値とは無関係であるから、それを探究して得られる科学知は技術的利用価値とは無関係という意味で「没価値」である。
 科学理論(科学知)の価値評価は, その理論の正確さと普遍性によって決まる。つまり自然の仕組みを解明する活動(科学研究)において、適用範囲が広くかつ厳密正確な理論ほど科学的真理に近く, したがって知る喜びも大きい。さらに, そのような理論は科学研究における理論の有効性 (適用範囲と応用力)が大であるから「理論的価値」は高い。
 ただし、科学理論も、科学の進歩に伴って変化してきたから, 科学理論に対するこの価値評価も絶対的なものではない。科学も完全ではなく本質的に不完全である(教育改革通信238号、『近代科学はなぜ東洋でなく西欧で誕生したか』(吉岡書店)参照)。科学理論の真偽の評価は, 実証に基づいて社会的・歴史的になされるものであるから, その理論の価値評価も個人的好みや信条ではなく, 社会的・歴史的に客観的になされるべきである。それゆえ, 「科学の価値中立性」(後述)に関する判断も, 現代の状況だけで決まるのではなく、地域や時代を超えて 社会制度にも依存せず普遍的になされるべきである.
 科学理論の技術への活用における「利用価値」に関していえば,それは両刃の剣であり,善用、悪用いずれにも利用できる。社会制度や文化様式や生活スタイルにより,科学の技術的利用の仕方も異なる。科学理論自体には利用目的はなく、善用し易いとか悪用し易いといった性質はない、すなわち利用価値に対して中立である。
 他方、技術の価値についていえば、科学と技術は,その存在目的が異なるので価値判断は同一には扱えない。それでも、技術知識そのものは、科学と同様に,価値中立的であるとの考え方もある。その技術を誰が何時何処で利用しようと, 同じく有効に働くからというわけである。問題はその技術の利用目的と利用方法であり, それによって技術の善悪が決まるというのである。だが、技術は,社会的であろうと個人的であろうと, 生活の手段に活用するために生まれた。それゆえ、個々の技術はその使用目的が限定されているから、善用、悪用の区別がつきやすい。
 技術とは何かを, 武谷三男は「技術とは人間実践(生活的実践)における客観的法則性の意識的適用である」と規定した。この定義は, 技術の最も本質的なところを捉えているであろう。(これに対して技術を「労働手段の体系」と規定する, いわゆる体系説もあるが, それは技術の実体論的把握であり不十分であると思う)。武谷の「意識的適用説」によれば, 技術は目的を遂行するために法則性(法則として確立する前の知識も含む)を意識的に適用するのであるから, 利用価値と切り離せないだろう。
  技術の価値評価は,利用価値の高低でなされる.技術の有効性は, 利用効率や使いやすさ, および有益と弊害との兼ね合いで決まる.有効性の高いものほど技術としての価値は高い。だが, 技術には完全なものはなく, 大なり小なり必ず欠陥と弊害がある.それは技術そのものの不完全さに由来するものと, 利用者の利用法によるものとがある.

科学の価値中立性について
 経験科学の価値についてヴェーバーの「価値自由Wertfreiheit」論がよく引用される。それによれば「価値自由」には二種の「自由」があって、「研究における価値からの自由」と「社会的実践における価値判断への自由=価値判断の表明」である。「研究における価値からの自由」の場合は「価値自由」と「没価値」とをほぼ同義とみなされるようである。経験科学が客観性を保つためには価値判断から分離されねばならないとし、経験科学が教えうるのは人間の行為の目的にいかなる手段が適合するかのみであって、何をなすべきか(価値判断)を示すことはできないと主張して、理論の実践的意図とその評価を厳しく拒否したわけである。
だが、この科学理論の「没価値説」には疑問があるし、科学理論の社会的実践(技術を通しての活用)においては、価値とは無関係でありえず、没価値とは思えない。この疑問を解決するには科学の「没価値説」と「価値中立説」とを区別することにあると思う。
科学理論の「没価値説」は、科学的事実は価値から独立していて価値とは無縁であること、そして科学理論は価値評価や価値判断を行うことはできない、というものであろう。他方、「価値中立性」は科学理論とその利用について、価値と価値判断を一切排除するものではないだろう。価値中立説は科学知の価値、すなわち「理論的価値」の存在を認めた上で、科学的認識活動における科学理論の有効性に関しては価値判断をする。そして、技術的「利用価値」について無関係ではないが、善用・悪用いずれにも使えるという意味で価値中立であるというのである。その「理論的価値」は科学的事実にかかわるものであり、技術的「利用価値」に関わるものではない、両者は明確に区別されるべきである。すなわち、科学理論は価値中立ではあるが没価値ではない、というのが筆者の意見である。
 誤解のないように付言すると、科学は「価値中立」だからといって、科学を研究する科学者が科学の利用について「われ関せず」という態度は許されない。科学者も社会の一員であり、かつ理論応用に対する知識が深い。科学が技術を通して悪用されないように監視し、また悪用されたなら反対すべきである。科学は利用価値中立である故に、科学者はいっそう強くその利用法を監視して、悪用防止に努めなければならない。それは科学者の社会的責任として当然の義務である。

4.基礎科学の大切さ
 自然科学における基礎科学は、主として自然の仕組みについての原理や法則を追求するものである。それゆえ、その成果を技術としてどのように役立つかということとは、一応無関係である。基礎科学のテーマは、それが何の役に立つかを最初から明らかなものは少ない。むしろ何の訳に立つか分からない研究ほど、将来社会的に大きな役割を果たすものである。そのことは基礎技術の開発についてもいえることである。
 基礎科学の振興には、研究の自由が必要であり、長期間の研究継続を認める環境が不可欠である。新しい課題の研究に対する理解が無く、すぐに成果を求めたりする日本の風土には、基礎研究は育ちにくい。基礎科学、基礎技術の研究費は、国公立大学の特殊法人化以後ますます圧迫されている。
 基礎科学で「理論的価値」の高い論文は、科学研究の分野では貢献が大である。基礎科学の成果は、その延長として応用科学を活性化させ、科学全般のレベルを高める。その結果、将来、技術として広く応用活用されるわけである。それゆえ、長い目で見れば、基礎科学の重視が科学・技術全般のレベルアップと振興に欠かせない。
 日本はノーベル賞の受賞を、国を揚げて称賛し喜ぶが、基礎科学軽視の状態が続けば、ノーベル賞級の研究は衰退することを、もっと認識すべきである。そのことをノーベル賞受賞者は、受賞の都度みな口を揃えて強調し、基礎科学予算増加を訴えている。しかし、その声はなかなか関係者には届かない。
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