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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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総合イノベーション戦略 「技術革新のための産学協同フォーラム」に望むこと
総合イノベーション戦略

 「技術革新のための産学協同フォーラム」に望むこと

  政府主導の革新的な技術開発(イノベーション)に繋げるためのフォーラムが5月に発足した。このフォーラムは内閣が主催し、主要大学の学長と経済団体のトップにより構成される組織となるそうである。その狙いは、大学と企業間の共同研究や人材交流を促し、企業から大学に資金が入りやすくしたり、大学改革の政策を国に提言したりすることにあるとのこと(朝日新聞)。 
 このような企画は結構であるが、科学と技術を区別し、それぞれの役割をしっかりと検討したうえでの方策論議でないと、掛け声だけの実のないフォーラムになりかねない。6月に報告された「2019年度科学技術白書」でも、日本の科学・技術の基礎力が低下していることを指摘し、基礎研究の重要性を説いている。だが、それをどう解決したらよか実効性のある具体的方策は示されていない。基礎研究の意義を真に理解してないので、形式的な項目羅列に終わっている感がある。


科学と技術は別
 自然科学の本来の目的は自然の仕組み(原理・法則)を解明し認識を深めることであるが、自然科学には二つの社会的役割がある。まず知的欲求に基づいて自然の仕組みを知ること、およびその知識を技術として活用することである。前者は自然観や哲学の形成など精神文明にも寄与するから、科学は精神文化の一翼である。後者の技術への応用は物質文化への寄与である。それゆえ、科学は社会の上部構造と下部構造の基礎であるから、文化国家として不可欠なものである。

 だが、日本では科学と技術を同一視し、あるいは混同して一語で「科学技術」とされることが多い。かつての「科学技術立国」政策の提言はその例である。明治維新以後、西欧近代科学を役に立つ知識、つまり技術として導入し、富国強兵政策に活用してきた。この「科学=技術」の精神構造は現代まで引き継がれている。それゆえ、「科学振興」といえば「技術振興」となり、「基礎科学」は「基礎技術」を意味することになりかねない。
 科学と技術は相互に連繋して発展するものであるが、両者は、それぞれその目的も社会的役割も別であるにもかかわらず、「科学=技術」と誤解した議論が多すぎる。科学と技術を区別しない議論は本質を踏み外して、公害問題に見られるように、誤った「科学批判」を招き、人類の未来を見誤ることになりかねない。


長期的展望を持った適切な方針を提示するには
 科学と技術を区別し、それぞれの存在意義と役割を正しく認識することが不可欠である。今度の「技術革新のための産学協同フォーラム」においても、研究資金源である企業(産業界)の優位は明らかだから、大学側が余程頑張らねば、科学より技術が、基礎より応用が優先されるだろう。それでは元のままである。
 科学・技術の「基礎力」をつけるには、いうまでもなく、現代の先端技術には高度の科学理論が不可欠である。それゆえ、基礎科学は技術イノベーションのインフラでもある。基礎科学が弱ければ、先見性や発想の転換も弱く、独創的思考は生まれない。それでは技術イノベーションも起こりにくい。一時的に新技術の開発に成功しても長続きはせず。外国の後追いばかりになる。

科学・技術の「基礎力」をつける要点は次の二つにある。
1.目先の成果に捕らわれず、長期的展望を持った計画を立てること役に立つことが直ぐに分からないテーマでも、また、すぐ成果を期待できない長期研究も助成し育成すること。この点が日本の弱点であった。外国ですでに成果の現れた課題に慌てて取りつくから後塵を拝することが多かった。
 基礎研究は目的・目標のはっきりしないものが多く、また成果を得られる保証も無いから、リスクは高い。基礎科学の研究は何の役に立つか直ぐには分からず、長年の研究を要する。その様な研究の成果こそ、将来多大の貢献をするものであるから、上に立つ者はその研究の意義を見抜く力量と忍耐力が必要である。日本ではこれが欠けていた。基礎技術に関しても同様である。基礎 科学を尊重する精神風土でこそ独創的創造性は豊になる。日本で生まれたアイデアや成果を協力して育て活かすことをせずに、欧米のものを有り難がり、追従する傾向が強い。良いものを見抜く力量が弱いからである。良いものを見抜く眼識は基礎科学・技術を重視する伝統のなかで培われる。

 日本における基礎科学と基礎技術の協力による成功例は、小柴昌俊東京大学名誉教授主導のカミオカンデにおけるニュートリノ観測に対するノーベル物理学賞の受賞である。超新星から来たこのニュートリノ観測は、浜松ホトニクス社の光電子増倍管製造の基礎技術との協力の成果である。このノーベル賞受賞に際し、例によって「この研究は何の役に立つのですか」との質問に対して、小柴氏は「何の役にも立ちません」と即答した。しかし、この研究はニュートリノ宇宙物理学への道を開いた。さらにその後、ニュートリノ研究を発展させ、「ニュートリノ振動」に関する業績によって梶田隆章教授のノーベル賞に繋がった。
 また、江崎玲於奈氏のダイオードの発見にしろ、中村 修二氏ら3名の青色LEDの発明などは、量子物理学に基づく半導体技術の研究基盤が、当時の日本にあったからであろう。
  京都大学の山中伸弥教授のノーベル医学・生理学賞受賞とiiPS細胞研究の発展も、基礎科学重視の成功例であろう。

 基礎研究は、当初の研究目標が達成できなくとも、その過程で蓄積された知識は、次の研究ステップに寄与し、基礎固めとなる。一点突破では駄目である。日本の科学・技術政策は、目標が明確で、かつ短期間で達成可能なテーマを選ぶ傾向が強い。それゆえ、ユニークな発想は生まれにくく、外国で生まれた物を慌てて追いかけるのが常であった。技術開発にしても、漸く外国に追いついた時には、すでに新たなイノベーションの基礎的開発とインフラ整備が始まっている。
 近年では情報技術(IT)や人工知能(AI)の分野の立ち後れがその典型的例であろう。ある大手の情報通信会社の研究員が、囲碁のソフト開発研究は遊びと見られ肩身が狭い思いしているとの嘆きを聞いたことがある。囲碁ソフトの開発はAIの基礎分野であり、ゲームの理論に留まらず広く多くの分野と関連している。戦後間もないフォン・ノイマンのゲームの理論が技術面で画期的イノベーションをもたらした例があるにもかかわらず、それを見抜けないために、AI開発の重要性に気づかず、非常に後れてしまった。

2.研究組織は、研究費と並ぶ重要な柱である。
 研究組織の基礎強化には若手研究者の育成が不可欠である。折角要請した博士浪人が溢れている。有能だが、定職に着けない若手研究者は落ちついて研究できずにいる。若手のためのポストを大幅に増やし、落ちついて研究できる環境を整えねばならない。研究組織のインフラ強化は若手研究者の育成である。今はこのことが緊急の課題であろう。

 国公立大学の独立法人化以来、研究費の減少と研究組織の弱体化が急速に進んでいることを仕切りに聞く。外部からの研究費が取りやすいのは、目的と成果の見えている短期研究である。毎年の国費削減で、大学は研究費に飢えており、基礎研究は衰退し続けている。そこに「産学協同フォーラム」によって企業から大学に資金が入り易くするというが、このままでは相変わらず、資金の行き先は基礎科学よりも技術重視となるであろう。 研究費不足にあえぐ大学・研究所に誘いを掛けているのが、防衛省の「軍学協同研究」である。
 技術重視の「科学技術政策」を改めねば真のイノベーションはない。 

 今年度の「科学技術白書」で指摘されていることは、「国際的に注目度の高い研究領域が増えているが、我が国はそれらの新たな研究領域への挑戦的参画が不足している」である。それは、上記の二点が欠けていては当然の結果である。

 基礎研究の充実と若手研究者の育成の必要性について、ノーベル賞受賞者は、その都度口を揃えて強調し、学術会議も訴えてきた。その声が漸く為政者の耳に届くようになったらしいが、科学・技術の本質を見誤っていては有効な手立ては期待できない。
 この「産学協同フォーラム」は、経済政策の柱として、イノベーションのために大学の基礎研究を活用することを目的としているようである。「産学協同」は、技術の担い手の産業と科学研究の担い手の大学とが協力して技術革新をしようというものであるからその意図は良い。だが、日本の企業界の体質では「基礎研究」とは、「基礎技術」に重点が置かれたものとなる。それでは「科学・技術」の総合的発展ではなく、「技術革新」であるところに問題がある。


 日本における政・財界は、目先の技術革新にのみに関心があり、土台となる科学と技術の基礎研究の意義とその重要さを理解してない。これでは、例え良くなっても、それは一過性のことであって持続性はない。
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