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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
人類と人工知能(AI)の共存(その2)
人類と人工知能(AI)の共存(その2)  
 
 前回ではAIに関する基礎的な問題について考察したが、今度は別の角度、社会的な問題を取り上げて論ずる。

・AIが行う「判断」の性質について
 AIは常にその場その場の状態(状況)に応じて判断し,次の行動を決める。それゆえ、思考に流れがなく、先を読まない。判断に時間的(歴史的)継続性がないから、ストーリーがない。一連の行動において、AIの一つ一つの判断(行動)は結果としては繋がっているが、その継続性は対象の変化に引きずられ対応した結果生じたものであって、AI自らの判断で生みだした継続性ではない。これでは、AIは単なる「道具」でしかない。
 それにしても、AIは、当面するその場面の状況から、何段階も先を読んで最良の行動を決める。その先を読む方法がモンテカルロ法によるものであるならば、自らストーリーを作りだせないから「道具」に過ぎない。しかし、深層学習AIならば、帰納的ながら法則性を見いだし、評価法(評価関数)を形成して、それに基づいて行動を決めるようになる。その評価関数は、ある程度は自ら流れを作りうるといえる。そうなれば単なる「道具」を超えた自主的システムとなる。
 学習するAIは、外部から与えられた膨大な情報を、記憶し蓄積するだけでなく、統合整理して法則性を見いだしうる。つまり、情報をある程度操作できる。現段階では、その学習法が帰納的方法であるから、そこには当然限界がある。その操作には生物のような柔軟性がなく、機械的(固定的)である。
AIにとって、真に柔軟性ある学習法は、推論による論証や予測が可能である演繹的方法を習得することにより得られるだろう。その様な演繹法を習得すれば、学習の仕方、つまり何を如何に学ぶかを判断できるようになり、創造性にも繋がる。それゆえに、演繹可能なプログラミングの開発が望まれる。これが実現なければ、「AIが人間を超えるという」シンギュラリティ(技術特異点)は起こらないだろう。

・人間とAIの共存について
 AIの技術は人間社会や個人生活の中に急速に浸透普及してゆき、人類を取り巻く環境は大きく変わるだろう。人間とAIとの共生により、考え方、倫理、世界観も変わるだろう。AIの進歩発展は人類にとって良いことばかりではなく、悪い面がある。AIの活用について危惧される事柄が、すでにいくつか指摘されている。その主たるものは、AIが人間の職業を奪う、AIと人類との対立、AI兵器の開発、ビッグデータを操る巨大技術で世界を支配する、などである。これらの問題は、AIのシンギュラリティ(技術特異点)以後に深刻な問題となろう。
 それゆえ、AIの開発と利用の制御、および人間との共生の仕方が必然的に問題になる。以前、遺伝子操作の技術が開発されたとき、その危険性が指摘されて、遺伝子の人為的操作に関する科学・技術の研究は制限すべきであるとの議論が、倫理的面および環境と人体への影響の面から盛んになされた。AIについても同様な考察と議論が必要であるが、その考察と議論は立ち後れている。

AI技術の孕む負の面について、少し考察してみたい。 

(1)AIは人間の職を奪うか。人間は労働しなくてよくなるか? 
 AI技術の進歩と普及により、人間の職業が奪われ,失業者が増えるといわれている。柔軟性や創造性を必要としない、単純労働はAIが取って代わる。将来、人間は労働せずに、遊んで暮らせるだろうという予測もある。そのためには、生活に必要な最低限の「基本所得」を支給する政策(ベーシック・インカム)が不可欠であるが、この制度は累積赤字が続く現在の国家では不可能である。資本主義社会に代わる新たな社会制度を築かねばならない。

 だが、資本主義社会が続く限り、このような未来予測は的外れであり、人間の労動はなくなるどころか、増加するであろう。AIにより新たな職種(仕事)が派生するからである。第一次産業革命の頃、機会化により失業者が増えると言って、機械打ち壊し運動が起こった。手工業の一部熟練労働者は失業したが、社会の全生産活動は急増し、労働力の増大となった。また、20世紀には、自動機械化の技術開発によって、人間労動は軽減され生産能率は上がったが、社会全体の生産量は急成長し人手はむしろ不足した。ロボット化が進んでも、人間は暇になるどころか、残業が増えて過労死が頻発している。
 画期的新技術が生まれて、便利なものができると、一見人間の労動は軽減されるように思えるが、その新技術によってそれまでになかった仕事(しなくともよかった仕事)が派生し、かえって社会全体の仕事量は増える。
 たとえば、便利なコピー機の出現で、資料配布、資料保存のためのコピー、広告類のチラシ作りなど、新たな仕事が増えた。また、紙の増産、古紙の処理など、コピー機自体の生産以外に、付随した仕事が増えている。
 これは一例に過ぎない。要するに、総じて技術革新により、一部の職種は縮小、消滅することはあっても、社会全体で見れば生産量はかえって増え、労動量は減らない。AIの場合も同様で、AIの普及、AI機器の維持保全などAI関連の仕事以外に、AIによって新たに多くの仕事と職種が生まれ、人間の仕事が無くなるということはないだろう。
 
(2)AIが「人間を超える」シンギュラリティ(特異点)について 
 技術的メカニズムに関しては、かなり広範囲の分野で、個別的ではあるがAIは人間の能力を超えた。いずれは多用性のAIができて、それがカバーする分野の範囲では人間能力を超えうるだろう。だが、それだけで人間を超えたとは言えない。
 そもそも、シンギュラリティの定義が曖昧で、いくつか異なるものがある:
(i)技術面で人間を超える(技術的特異点)、(ii)人間の能力を超える、など。   
技術的特異点なら分かり易いが、「人間の能力」の範囲が漠然としているからである。近年の脳研究によって、未知の領域が広がり人間の意識の多様さと奥深さ、複雑さが改めて認識されている。それゆえ、人間の能力を知り尽くす事は不可能である。そもそも、人間が人間を解明するということは、自己言及型の科学(論理)であるから、人間の能力を完全に知り尽くす事は原理的に不可能である(ゲーデルの不完全性定理)。それゆえ、AIが人間を完全に超えたか否かを判定することは困難であろう。
 人間の能力は、帰納的学習以外に、推論・演繹による予想、創造力がある。感情や深層意識など、未知の分野がある。これらの能力を超えてこそ、人間を超えたといえる。したがって、なにを以て「シンギュラリティ」といえるのか、その定義を明確にすべきである。
 いずれにせよ、人間の能力を超えるAIを創ることは、原理的に可能であるから「シンギュラリティ」の時期は何時かはくるだろう。その時、人類と巧く共生ができるようなAIを開発しなければならない。そうでないと、人間がAIをコントロールできるか、AIが人間を支配するかが問題になる。

(3)AI兵器の開発競争一番危惧されることはAI兵器の開発である。核兵器よりも危ないものとなる可能性がある。AI兵器の開発は先進国で熱心に進められているそうだ。AI兵器の開発と使用法を早急に規制せねばならない
 AI兵器により戦争の意味が変化する。AI同士の破壊戦、AIによる人間の殺戮。AIによる軍事施設、情報施設、原子炉破壊など、恐ろしいことばかり。人類破滅に至るという点では、原水爆と同様、あるいはそれ以上であろう。
戦争の相手と攻撃目標を、AI兵器が自ら判断して、破壊と殺戮を行うようになると、それから人間の制御を超えるようなAIロボットが生まれる可能性がある。人類に対立する、あるいは人類を支配するAIロボットは、このような兵器の分野から生まれる確率が一番高いように思う。
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