科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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学習指導要領の改正案について
学習指導要領の改正案について                    

文部科学省は、中央教育審議会の答申を基に小・中学校の「学習指導要領改定案」と教科の時間数を発表した。その特徴は、「ゆとり教育」によって学力が低下したという批判取り入れて、「ゆとり教育」を見直し全体の時間数を増したことと、道徳教育を強化することにあると思われる。そして、学力低下を回復するために、各教科について「基礎」をしっかり学ばせるばかりでなく、その「活用」する力をつけることを重視している。基礎学力を付けるために、理数科などの基礎科目の時間数を増やし、総合学習の時間数を減らした。学力をつけるためのこの改訂案は一応良さそうに見えるし、道徳教育も、愛国心を押しつけるのでなく、人権を尊重し躾や公衆道徳教育を通して他人への思いやりを教えるのであれば結構なことである。

しかし、文部科学省の教育改革の方針と今度の改定案について、基本的なところでいくつかの疑問を持つので以下に私見を述べる。

 (1)授業時間数:週5日制のもとでは授業時間数が不足して、教える量を減らさざるをえないので「ゆとり教育」と称して、教育内容を大幅に削減した。その削減方法に問題があった。重要な基礎概念を削除したり、教育効果について一貫性を欠いたために、理数科などの積み上げ式教科などはまともな教育はできないと強い批判が出た。時代が進むにつれて人文社会や科学・技術などに関する知識は増大するし、まして急速に発展するこの情報化社会では、学ぶべきものがどんどん増えていくから、教育時間は増やさねばならないはずである。それなのに週5日制で授業時間数は大幅に減らされたので、いくら教育内容を精選しても当然矛盾は噴出するわけである。このままでは、大事な基礎知識も教育内容から落とされ、また学ぶ方は消化不良になって、着いていけない生徒が増大するばかりである。こんどの改訂で全体の時間数が増えたので、その点は少し緩和されるだろうが限界があり不十分である。同じことを繰り返し学ぶことで、その知識内容が理解され身に着くものである。とくに、蓄積型の理数科は、着いていけない者をなくすには時間的にゆとりを持たせて反復する必要がある。週5日制は世界の趨勢であるが、そのためには週5日制を一度検討すべきではないかと思う。

 (2)10年ごとの定番改訂:文部科学省は文部省の時代から、戦後は10年ごとに教育制度と指導要領を改訂してきた。その改訂はほぼルーチン化され、「改訂のための改訂」の感があり、しかもその方針に一貫性がないためにその内容は振り子のように大きく揺れて、それに対応させられる現場の教師はそのたびに四苦八苦させられてきた。これは戦後教育の哲学的理念が確立していないからで、その時代の社会的要請(主として財界の要請)といって、十分は調査と研究なしに、思いつきで変えてきたといわれても仕方がないところがあった。
急速に変化発展する社会でも、教育方針がしっかりとした教育理念の上に組み立てられていれば、義務教育で教える基礎的な知識内容は10年ごとに大幅に変える必要はないと思う。それがないから、一貫性のない「改革」に教育界は右往左往してきた。それを改めるために、教育関係者をはじめ各種専門家や有識者による専門委員会を常設して、国を挙げて立派な教育理念と方針を確立すべきである。そうすれば、これまでのように方針がふらつくことはないであろ。ただし、その委員会の人選を文部科学省に任せてはいけない、人選法がきわめて重要であるから広い意見に基づき見識のある人を選ぶ方法をつくるべきである。

 (3)個別知識詰め込み型教育:これまでの教育を、私はかねてから「教科縦割り個別知識詰め込み教育」であるといってきた。国語、社会、理科、数学など各教科はばらばらで、ほとんど関連のない縦割りである。こうなった理由の一端は入学試験問題にもあるが、学ぶ知識についてその意味と意義をおろそかにした「暗記物」の傾向が強かった。理数科についても、その理由を考えつつ結論に達するまでの途中経過を軽視して、答が合っていればそれで満足するような勉強がまかり通っていた。今では、物理や数学まで暗記科目になっているそうである。だから学んだ知識を活用できないのは当然である。
 理数科に限らず、教科内容はそれぞれ筋の通った知識の体系であり、個別知識の単なる寄せ集めではない。「ゆとり教育」で教える分量を大幅に削ったが、その結果、たとえば化学で「イオン」を削ったので、化学を科学的に筋道を立てて教えられず困るという嘆きをよく聞いた。この例などは、審査委員が科学教育の何たるかを知らないこと、化学の教科をまとまった一つの理論的体系として見ていないことを示している。これに類することはいろいろある。個別知識詰め込み教育なら、体系化されてなくとも暗記すればよいからそれでも済ませるだろうが、科学的思考や応用力は育たない。
ある日、期末試験帰りの中学生の集団とバスに乗り合わせた。彼らは明日の試験に備えて、お互いに問題を出し合って勉強していた。ところが、多分社会科なのだろう、人名と著作物の名前を結ぶ問題を熱心にやっていたが、その本の内容には一切触れず、ましてなぜその本が重要なのかには全く関心がないようであった。この時、クイズ式知識の詰め込み教育の弊害を痛切に感じた。
このような教育風土の中で教育されてきた者が学校の先生になっているから、また同じような教育を繰り返しているのである。まさに「個別知識詰め込み教育」の拡大再生産である。

 (4)教育者の意識改革を:今度の指導要領の改定では、「基礎知識」とそれを「活用する力」の育成することを重視することになった。基礎知識とはなにかの判断基準が問題であるが、学問に限らず教科内容も、「まとまった知識の体系」であることを意識し、その知識体系の骨組みや要となるものを「基礎・基本」として位置づけるべきである。そして、教科書もそのように作らねばならない。この「教育改革通信」112号のなかの「応用と活用力不足の学力」で「総合科目」について主張したように、学んだ知識を活用するには、「教科縦割り個別知識」をただ覚えるのでなく、教科間の繋がりや実生活との有機的関連を意識的につけるようにすべきである。総合的判断力はその中で自然に育成されると思う。

 「基礎知識」とそれを「活用する力」の重視はよいことであるが、多くの先生はこれまでの「教科縦割り個別知識詰め込み型」の教育を受けてきたのであるから、それが教育だと思っているだろう。だから現場の先生の意識改革をしなければ、本当の教育改革は実現不可能である。欧米では教育方針が変更されるとき、予算をつけて教師の徹底した再教育を行うと聞いている。一方的な押しつけ研修ではなく、講師と現場の教師が協力して真剣に意識改革のための研修をすべきだと思う。
そうなれば、指導要領によって教える内容を細かく指定し規制する必要はなく、教師の自由裁量の余地を多く残せるはずである。それでこそ真の「ゆとり教育」が実現されると思う。今度の指導要領もこれまで同様、細かくがんじがらめに規定しているそうだ。文科省からまず意識改革をして欲しい。 
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