科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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教科目選択制の弊害
 教科目選択制の弊害 
-とくに義務教育教員の養成について 
          

 これまでに、教科・科目間の連携を断った縦割り教育のスタイルを「教科縦割り個別知識詰め込み教育」と呼んで、その弊害をいろいろなところでしばしば述べてきました。

 現状は理科に限らず、すべての教科内容はばらばらに縦割りにされ、しかも同一教科の中でも個別知識を覚えさせるだけで、それら知識を関連づけて体系だった知識として教えることをほとんどしません。この悪弊は入試問題に象徴的にみられます。その歪んだ教育法にさらに拍車を駆け、ずたずたにしたのが教科目の自由選択制であり、入試における少数科目選択制度です。
 
 教科目の大幅な選択制により、体系的知識を分断して「摘み食い」的に断片的知識を憶えさせるという悪弊が助長されました。教科縦割り教育の上に、科目選択制が加わり一層ひどくなったわけです。基礎をはずした知識は浮き草のように浮ついたものであり、現象的な断片知識に終わるので身に着きません。 とくに理数科は知識の蓄積が必要なので、小学校の時からしっかりと教えておかねばなりません。
 
 それを実行するには、教員の指導力が十分でなければ不可能です。しかし、今の教員養成制度は、高校・大学で教科目選択制が行われているために、理数科の力が不完全・不十分な教員が多いです。「教科縦割り個別知識詰め込み教育」と「教科目選択制」のゆえに、摘み食いの断片的知識を覚え、体系的知識を身につけていません。そのように教育された教師は、同じ教育スタイルで次代の生徒に教えるという悪循環を繰り返しています。

 理数科は断片的知識の寄せ集めではなく、有機的に関連づけられた知識の体系です。櫛の歯が欠けたようなぼろぼろな知識の持ち主では理数科はまともに教えられないでしょう。したがって、小学校教員はしっかりした理数科の基礎を、また、中学校の理科教員は理科の全科目と数学の力を十分に身につけるような教員養成制度にすべきです。そのためには、義務教育の教員養成過程では科目選択制を廃止することです。それには教員を目指す人は、高校からの教科目選択制をやめるか、選択の自由度を最小限に制限すべきだと思います。少なくとも、教科目選択制の弊害を減らすために、教員の養成制度を変える必要があるでしょう。

 科学教育は知識の習得とそれを用いた演習を基礎から積み重ねることによってなされるものですから、一旦落ちこぼれると上級に行くほどその程度はひどくなます。その結果、理科嫌いになります。基礎からの積み重ねを必要とする科目は、後で勉強し直すのが難しく、取り返しがつかなくなることが多いです。それゆえ、初等教育からしっかりとした知識を教育しておくべきです。
 義務教育の先生の役割は大変重要です。

 高校での選択制を廃止、あるいは必須科目を増やしても大学入学試験の科目を少なくしたのでは、入試に関係ない科目は教える方も手を抜くので、効果はあまり期待できません。学生集めと受験生数を増やすために、大学入試科目数は減少し続け、その辺害があちらこちらにでています。大学入学生の学力不足のために、入学後に大学で補修をしなければならないところが続出しています。
 選択制を制限し、そして入試科目をもっと大幅に増やさなければ、教育の危機はさらに深刻になるでしょう。この危機的状態を脱するには、専門に応じて文科省が最低入試科目数を指定すべきです。大学の自主性や良識に待っていたのでは不可能です。国公立も私学も一斉にやらなければ、実現不可能です。このようなところに文科省は指導性は発揮すべきです。
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