科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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「みんなちがって みんないい」
「みんなちがって みんないい」

 自然現象は多様かつ豊であり、自然の仕組みは実に奥深い。自然科学が進歩すればするほどそのことを思い知らされる。
 
 年を取って経験を重ねてくると、自然の深淵を覗く度に驚嘆が増すばかりである。自然は無限に豊富である。そして、全てのものが違っていて同じものがない。それでいてみなそれぞれ存在意義を持っている。
 
 無限にある電子や陽子なども、人間にはまだ感知できないだけで、厳密には一つひとつみな少しずつ違うのではないだろうか。たとえば電子が自ら作りだして身にまとっている電磁場の衣(自己場)の様子がである。現代物理学では全ての電子はまったく同じものとして扱われているが、この頃そんな気がしている。

 人間はもっともっと複雑で、一人ひとりみな異なる。それぞれの体と心の個人差は無限に多様である。したがって、みながそれぞれ豊かな個性を具えている。
 
 そのような個人差のある人間を、一人ひとり正しく教育することは至難の業であろう。成人となって社会に出たとき必要な知識を身につけさせ、各人の個性を摘み取らないように育て伸ばすことが教育であるならば、これほど難しいものはない。


 しかし、いまの教育はその個人差を無視して、かなり画一的になされている。先生が一人ひとりの生徒に着いて一対一で教育するのではないから仕方がないが、集団教育の範囲でも少人数学級なら、改善できる余地はいろいろあると思う。
 
 たとえば、学校の成績が機械的な採点で決まる試験問題ではなく、よく考えて結論に達するまでの途中過程を重視するようにすべきである。今のような入試対策の勉強では、暗記力の強い者、要領よく即答できる者がよくできる傾向がある。これでは個々人の個性は育たないだろう。暗記の必要なものもあるが、じっくり考える思考力の必要な教科もあれば感性の必要な教科もある。

 「頭がよい」という場合、その種類には記憶力、想像力、理解力、論理的思考力、創造力などいろいろなタイプがある。これら全部を具えている者は滅多にない。ほとんどの人はこのうちの一つか二つの点で優れているというところだろう。この能力の違いを考慮した教育が望ましい。
 また、学業ばかりでなく、体育・スポーツの面で優れた者、感性豊かで芸能方面の才能豊かな者もいる。みなそれぞれ優れた才能を備えているのだから、自信を持って勉強できる教育環境を造ることが望まれる。

 私は次の金子みすずの詩が好きである。

私と小鳥と鈴と   金子みすず

 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のように、
 地面(じべた)を速くは走れない。

   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴る鈴は私のように、
   たくさんな唄は知らないよ。

   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。

 
 最近は少子化のため、以前のように受験競争が激しくないから、このような異なる才能を育てうる教育環境が作りやすくなったのではないだろうか。
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