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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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「原爆下の本因坊戦」  囲碁を文化と世界平和の使節に!
   「原爆下の本因坊戦」
      囲碁を文化と世界平和の使節に! 


 アメリカ大統領オバマが「核兵器のない世界」を呼び掛け、ノーベル平和賞を受賞しました。この状況は核廃絶運動、世界平和運動を励まし、ちからづけるものです。11月にはオバマ氏が来日する機会に広島・長崎を訪問するようにとの呼び掛けもなされています。
 8月に、囲碁雑誌「囲碁梁山泊」の会で、「原爆下の本因坊戦」の話が出ました。このエピソードを、オバマ氏にも知ってもらおうと、彼の来日を機に手紙を書くことになりました。
 そこで以下のような手紙を、関西棋院宮本直毅九段と私の連名でホワイトハウスに送りいました。
 この手紙がオバマ氏の手に渡るかどうか分かりませんが、私たちの思いを少しでも世界の人々に知ってもらいたいと思います。
 この手紙は「碁梁山泊」2009年秋号にも掲載されています。



敬愛するアメリカ大統領バラク・オバマ殿

 2009年度ノーベル平和賞受賞おめでとうございます

 今年4月にプラハでなされたオバマ大統領の核兵器廃絶に関する講演は人類にとって記念すべきものと思います。
 この宣言は原子爆弾の被爆者を初め、核兵器を廃絶して世界平和を望む人々に大きな喜びと希望を与えてくれた歴史的講演と思います。これを機に核兵器廃絶の機運が世界的に一層盛り上がってきました。また、この度のご授賞はこの運動に更なる力を与えることでしょう。

 広島の原爆投下は、私たち日本の囲碁ゲーム愛好家にとって忘れられない「原爆と囲碁」について一つの史実があります。ご存じないかと思いますが、それは広島で行われた囲碁のタイトル戦「原爆下の囲碁対局」というものです。(「囲碁」とは盤上でなされる2人ゲームです。ごは数千年前の歴史を有するもので、発祥地は中国ですが、現代の形式は主に日本で整備されました。現在では囲碁はアメリカを含めて世界中に広まっております。囲碁の意義についてこの手紙の最後の脚注をお参照下さい。)

 このエピソードは、1945年8月6日に最初の原爆が広島に落とされた時に行われた最も権威ある囲碁タイトル戦に関するものです。この事件は、囲碁を通して世界の人々と手を結び核兵器廃絶と世界平和に役立とうとの強い思いを、このときの対局者に与えました。その意思は日本の囲碁界に広く受け継がれています。以下にその事件の概要をご紹介します。

 「原爆下の囲碁対局」のエピソードと、囲碁を世界平和と文化の使節として普及活動をしている人々がいることを、この機会にオバマ大統領にお伝えしたいと思い立ちこの手紙をしたためました。

原爆下の対局
 1945年には、日本の敗戦が濃厚でもはや囲碁どころではないという状況でした。当時の唯一の囲碁タイトル戦は「本因坊戦」でした。 囲碁界の重鎮、瀬越憲作は「人類の垣根を越えて、心を交流し、平和を築く、それが囲碁の心であり、道である」と常々強調し実践していました。それゆえ、本因坊戦だけは万難を排してやらねばならぬと準備を進めました。しかし、すでに東京を含めて日本の大都市はほとんど破壊されていましたので、局場を広島市に決めました。
 しかし、米軍機による空襲のため、対局者が対局場に会することが困難でした。漸く1945年7月に、タイトル保持者橋本宇太郎本因坊と挑戦者岩本薫、および瀬越ら関係者が広島に集まることができました。
タイトル戦は全部で7局打たれることになっていました。第一局は、7月23,24,25日の3日間で行われ、岩本の勝ちでした。この間、米軍艦載機が市内を機銃掃射し、対局場の屋根も壊れるほどの危険な状態でしたが、対局者も観戦者も防空壕に避難することなく、この対局を打ち終わったそうです。
 第2局目は8月4,5,6日の3日間でしたが、広島市内は危険なので郊外に対局場を移して行われました。ここも安全とは言えませんでした。ここで原爆にあったのです。
 そのときの記録:対局3日目の6日の朝、8時過ぎ、空襲警報も解除されたので、始めようと前日までの手順に従い石を並べた。その時、空に一機の米軍機。落下傘が高い空からきらきらと光りながら降りてくと、ピカッと閃光が広がった。写真を撮るためのマグネシウムをたいたように対局場が真っ白になった。そのうちに、広島の上空に入道雲のようなものがむくむくと持ち上がり、異様な物音が轟々と迫ってくるようだ。あっという間に爆風が対局の部屋に突っ込んできた。気がついてみると、橋本は庭の芝生に突っ立ていた。瀬越は畳の上に茫然と座り込み、岩本は碁盤の上にうつ伏せになっていた。窓ガラスもなにもかも吹き飛がされていた。しばらくして、部屋を取り片づけ、午後になってから囲碁を再開し、橋本の勝ちとなった。( 第3局目以降は当然中止になりました。)

 大変な爆弾らしいということは想像できたが、広島市内の様子はまだ判っていない。 囲碁が終わった頃、対局場の前を原爆で傷ついた被災者たちがぼろぼろに焼けただれた衣服で通り始めた。その有様は時間とともにひどくなり、地獄絵と化していきました。広島市内の被害は筆舌に尽くしがたい残酷な状況であったことは改めて言うまでもないでしょう。対局場は爆心地から10キロメートルほど離れていたので、対局者や瀬越は奇跡的に命拾いをしました。

囲碁を通して世界に人の和を、そして平和を! 
 これ以降、岩本薫の人生観は変わりました。彼はいっぺん死んだのだ、そのつもりでこれから囲碁界のために尽くそうと決心したそうです。その通り岩本は、私財を投じてまで海外各国に囲碁センターをつぎつぎ建設し、囲碁普及を通して世界平和へ貢献するという瀬越憲作の情熱を受け継いで一生を捧げたのでした。 また、橋本宇太郎も「囲碁は平和のための使節です。世界平和には碁が一番いいと信じます。だから平和の時代に囲碁は最も盛んになるし、その逆でもあります」と常々言っていました。
 「原爆と囲碁」の奇しき因縁は、「囲碁と平和」を一層強く結びつけたように思えます。


 囲碁は単なるゲームではない、「一種の文化である」といわれています。「文化としての囲碁」には、礼儀を重んじ、人々の和を作り、創造的智を磨くことで立派な人格を育成するという意味が込められています。囲碁が神秘的なゲームであることだけでなく、なにか奥深い哲理を含み、しかも人間同士の心が言葉なくても交流しあうという不思議な親和力をもっているからでもあります。
 今では囲碁が国際的に普及し「世界的ゲーム」になったので、囲碁を通して人の和を造り世界平和の基礎を築くことに貢献することができるでしょう。瀬越憲作の意思を受け継いで、囲碁を世界平和に活かそうという気持ちは、日本の囲碁界に今も強く引き継がれています。

 核兵器廃絶と世界平和を強く希求する日本の囲碁愛好家の強い思いをお汲み取り頂くようお願い致します。
 
                                     敬具
 2009年10月16日

  
                                    菅野禮司
                                      理論物理学専攻
                                    大阪市立大学名誉教授
                                           

                                    宮本直毅  
                                    関西棋院理事 棋士9段
         

「注:囲碁とは」
 囲碁は19×19路の盤面に黒石と白石を1個ずつ交互に置いてゆき、囲んだ地の大きさを競うゲームです。
 囲碁は別の名を「手談」ともいいます。「手談」とは、言葉は通じなくとも、対局者が碁盤の上に黒石と白石を交互に一手ずつ打つことにより、自らの意思と相手の意図を互いに読み取ることで心が通じ合う、というところから生まれた素晴らしい呼び名です。
 また、他のゲームにはない囲碁の特徴は、盤面には何もない無の状態から始めて、2人が交互に石を置きながら一つの宇宙(新世界)を作り上げていく構築型のゲームということです。
 囲碁は本来「地を分かち合う」ゲームであるとみることができます。地は全部で361路と決まっています。その地を奪い合うのでなく分かち合うゲームならば、調和(バランス)が自然の姿となります。だから囲碁の本質は平和主義なのです。
[原爆下の本因坊戦」 囲碁を文化と世界平和の使節に!
「原爆下の本因坊戦」
囲碁を文化と世界平和の使節に!




はじめに 
 囲碁は単なるゲームではない、「一種の文化である」という言葉はしばしば耳にするでしょう。昔から文化人の嗜みとして「琴棋書画」があげられてきました。「棋」はいうまでもなく「囲碁」です。「文化としての囲碁」には、礼儀を重んじ、人々の和を作り、智を磨くことで立派な人格を育成するという意味が込められたいるでしょう。また、ゲームとしても人類が生み出した最高の知的ゲームだとの評価があります。
 囲碁は文化というだけでなく、囲碁は人類にとってもう一つ重要な役割を担いうるものと思います。その役割というのは、囲碁が近年つとに国際的に普及し「世界的ゲーム」になったので、囲碁を通して人の和を造り世界平和の基礎を築こうというものです。

 昭和の囲碁界における重鎮の一人、瀬越憲作八段は「人類の垣根を越えて、心を交流し、平和を築く、それが碁の心であり、道である」と常々強調し、実践されました。その意思を受け継いで、囲碁を世界平和に活かそうとの気持ちは、日本の囲碁界に今も強く引き継がれています。
 「碁と文化」、「囲碁と平和」を象徴する最も強烈な事件は、第2次世界大戦の終戦間際に打たれた本因坊戦「原爆下の対局」です。「本因坊」は当時最も権威ある唯一の囲碁タイトルでした。

 最近、アメリカ大統領オバマがプラハで歴史的な講演をしました。
 「米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある。(中略)今日、私は核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を、明確に、かつ確信をもって表明する 。」
 この宣言により、核兵器廃絶の機運が世界的に盛り上がってきました。この機会に、あの「原爆下の対局」をもう一度思い起こして、「核廃絶と世界平和」を直接オバマ大統領に、また世界にアピールしたいという思いが、囲碁雑誌『囲碁梁山泊』の仲間につのってきました。
 そこで、「原爆下の対局」とその後における対局者たちの活動を紹介し、この人たちの平和を願う強い意思を世界に広めたいと思います。
 
原爆下の対局 (以後敬称略)
 現在では囲碁のタイトル戦は沢山ありますが、第2次大戦中は「本因坊戦」が唯一のタイトル戦でした。その時のタイトル保持者は橋本宇太郎本因坊でした。昭和20年(1945年)は、そのタイトルを争う第3期本因坊戦が行われる年であり、その挑戦者は岩本薫7段に決まりました。本因坊戦は日本棋院の主催という形になっていましたが、スポンサーの毎日新聞が実質的主催者でした。しかし、敗戦濃厚な時勢に、もはや囲碁どころではなく、新聞の囲碁欄さえあるかないかという状況でした。

 それにもかかわらず、瀬越憲作は「本因坊の灯を消してはならない」本因坊戦だけはなんとしてもやらねばならぬと考えて準備を進めました。しかし、日本棋院はその年の5月にすでに空襲で消失していましたから、対局場が問題でした。瀬越は広島に疎開していたので、日本棋院広島支部長の藤井順一(藤井商事社長)に協力を依頼しました。藤井の快諾を得て広島市内の彼の別邸で6月から6番勝負を行うことになりました。敗戦濃厚で物資が乏しいなか、藤井はあらゆる手を尽くしてこの対局の関係者を心から歓待する準備を整えました。ところが、当時の広島県警の第一部長青木重臣は、危険だから広島での対局はまかり成らぬと猛反対をしたそうです。このことが結果的に幸いしたのです。

 両対局者も承知したので、いよいよ対局の運びとなったのですが、空襲のために汽車は途中で止まり、東京からの岩本は広島到着が非常に困難でした。そのため対局は延期されて、3回目にやっと2人が広島に揃うことができました。第一局は藤井邸で、7月23,24,25日の3日間行われ、岩本の白番5目勝ちでした。この間、米軍艦載機が市内を機銃掃射し、対局場の屋根も壊れるほどの危険な状態でしたが、対局者も観戦者も防空壕に避難することなく、この対局を打ち終わったそうです。両対局者は当時を振り返って次のように述懐しています。

 「2人ともまだ40才前後であるから、藤井さんのいうようにこのまま死んでも本望というわけにはいかない。さりとて、羽織袴の対局者が真っ先に飛び出すわけにもいかず、とうとう3日間やせ我慢をして打ち終わりました」と、正に命懸けの碁だったわけです。
 第一局目の時は、猛反対の青木部長が東京に出張したので、その留守に藤井邸で打たれたのですが、青木が帰ってきてそれを知るとかんかんになって怒り、対局場を郊外に移動することを厳命しました。
 懸命に対局場を用意してくれた藤井に詫びて、五日市吉見園の島脇勘市(中国石炭社長)の事務所で打つことになりました。対局は8月4,5,6日の3日間。6日の朝、8時過ぎ、空襲警報も解除されたので、始めようと前日までの手順に従い石を並べました。
 「その時、空に一機の米軍機。あれは偵察機らしいから大丈夫だろうと話し合っていると、落下傘が高い空からきらきらと光りながら降りてくる。(中略)

 そのうちに飛行機の姿が見えなくなり、同時にピカッと閃光が広がった。写真を撮るためのマグネシウムをたいたみたいに、対局場が真っ白になった。
 なんだろうと見ているうちに、広島の上空に入道雲のようなものがむくむくと持ち上がる。気がつくと、異様な物音が轟々と迫ってくるようだ。あれっと思う間もあらばこそ、わたしたちの部屋に突っ込んできた。
 我に返ったとき、私(橋本)は庭の芝生に突っ立ていた。急いで部屋に引き返すと、瀬越先生は畳の上に茫然と座り込み、岩本さんは碁盤の上にうつ伏せになっている。なにもかも吹っ飛んでいた。窓ガラスは全部こわれている。
 大変な爆弾らしいということは想像できたが、広島市内の様子はまだ判っていない。部屋をあらかた取り片づけ、午後になって再び盤に向かった。対局3日目で、局面はすでに寄せに入っていたから、そう長い時間はかからなかった。私の白番5目勝ちになった」(『囲碁専業五十年』より)。

 囲碁が終わった頃、対局場の前を原爆で傷ついた被災者たちがぼろぼろに焼けただれた衣服で通り始めたそうです。その有様は時間とともにひどくなり、地獄絵と化していきました。広島市内の被害は筆舌に尽くしがたい残酷無比な状況であったことは、周知のことなので改めてここに記すまでもないでしょう。

 瀬越憲作は三男と甥を失い、爆心地近くの藤井一家はもちろん、広島支部役員たちも全部亡くなりました。これはただ事ではないことがわかり、第三局は中止になりました(この後は戦後打ち継がれた)。

 第二局目の対局場は爆心地から10キロメートルほど離れていたので、瀬越や対局者は奇跡的に命拾いをしました。対局を郊外に移動させた青木重臣は期せずして命の恩人となったわけです。
 軍部はこのときの爆弾を「新型爆弾」とだけ発表したので、原子爆弾であることの真相は終戦後に知らされました。

 「火の玉宇太郎」といわれた橋本の述懐。「どうしてわたしたちが、そういう危険きわまりない情勢下で碁を打ったか。新聞社から対局料が出るわけではない。すべて手弁当か愛好者の好意によっていた。だから生活のためではないことははっきりしている。『われわれは棋士である』という意識。棋士である以上は、自分の都合だけから、あるいは環境や状況が悪いからというような理由で対局を避けるわけには参らぬ。いわんや、本因坊戦の挑戦手合いという重要な碁です。少々の無理や困難があっても、それをやるのがわたしたちの責任でもあり義務でもある・・。こういう考えが、意識するしないにかかわらず働いたのでしょう」(『囲碁専業五十年』より)。まさに「棋士の一分」です。
 この壮絶な本因坊戦は、囲碁史の一ページとして永久に残るでしょう。いや残し、語り継がねばなりません。

囲碁を通して世界平和を! 
 危うく命拾いをしたこの人たちは、瀬越憲作の意思を継ぎ、平和を願って囲碁を世界に普及することに熱心に取り組んだのです。とくに岩本は、それ以後の生涯をそのことに捧げました。
 岩本薫の述懐、「これ以降、私の人生観は変わったと思う。いっぺん死んだのだ。どうせ死んだものなら、これからひとつ碁会のために尽くそうではないか。そんな気持ちを抱くようになった。」(『本因坊薫和選集』)
 その言葉通り岩本は、囲碁普及を通して世界平和へ貢献するという瀬越の情熱を受け継いで一生を捧げたのでした。「橋本君を見て思い出すことは、瀬越師の囲碁の普及への強烈な信念である。八十路を越えて、私は瀬越師のことがなおさら思い出されるのである。人類の垣根を越えて、心を交流し、平和をきずく、それが碁の心であり、道である、というのが瀬越師の信念であった。そうした瀬越師の心を思いつつ、私は海外各国に囲碁センターをつぎつぎ建設し、それを拠点に国際普及をはかることがわれわれ碁にたずさわるものの使命であると思う」(岩本薫「風雪七十年」より)。

 囲碁の品格は、心、技、体の見事な調和のなかで鍛錬し磨き抜かれた芸をぶっつけ合うことによって生まれる高い緊張感に満ちたリズム、この格調は歴史の中で棋士たちによって築かれ、それが伝統として受け継がれてきたものだと、岩本は述べています。 橋本も師である瀬越憲作の意思を継いで活動しました。囲碁に関しては「天才宇太郎」、「火の玉宇太郎」といわれた棋士ですが、人柄は温厚で囲碁の普及と平和を願う気持ちは人一倍強かったそうです。橋本の弟子、関西棋院の宮本直樹九段も師の心を体して、常々言っています「囲碁は平和のための使節です。世界平和には碁が一番いいと信じます。だから平和の時代に囲碁は最も盛んになるのです。」

 「原爆と囲碁」の奇しき因縁は、「囲碁と平和」を一層強く結びつけたように思えます。
 このエピソードに登場する人たちばかりでなく、戦後日本の多くの棋士が、またそれを支えてアマチュアが、アジアをはじめ世界各国で普及活動を続けてきました。その努力が実っていまでは囲碁は世界ゲームとなり、文化・平和の使節の役割を立派に果たしていると言えるでしょう。

文化としての囲碁 
 戦後間もなく、9月に「週間朝日」が囲碁を取りあげました。食べる物にこと欠きやっとその日を暮らしていたときに、人々は健全娯楽として、かつ文化としての囲碁を求めたのでしょう。延期になっていた「本因坊戦」の再開を機に、新聞の囲碁欄もその年のうちに復活しました。対戦の結果は2勝2敗で日本棋院のあずかりとなりました。

 囲碁は別の名を「手談」といいます。「手談」とは、言葉は通じなくとも、対局者が碁盤の上に黒石と白石を交互に一手ずつ打つことにより、自らの意思と相手の意図を互いに読み取ることで心が通じ合う、というところから生まれた呼び名です。

 「昔とちがって海外での普及活動もずいぶん楽になった。第一の理由は、わが国が経済大国にのし上がり国際的地位が向上したことがもちろん大きいが、囲碁そのものが一つの文化、芸術として見られている点である。この「囲碁は芸術である」という響きはどれほど私の胸に一種の感動となってしみ通ることか。これは囲碁が神秘的なゲームであることだけでなく、なにか奥深い哲理を含み、しかも人間同士の心が言葉なくても交流しあうという不思議な親和力をもっているからではないか」(岩本「風雪七十年」より)。 

 昔から囲碁の効能に「囲碁五得」というのがあります。いわく、「得好友、得人和、得教訓、得心悟、得天寿」。これこそ囲碁が文化と友好平和の使節として相応しいものであることを示すものでしょう。

 「文化としての囲碁の品格」、「平和の使節としての囲碁」を是非もう一度見直して欲しと願い、この一文をものしました。
 
 最後に、筆者の思いに共感して、関係資料や思い出話を快く提供してくださった宮本直樹九段に感謝します。
 
            参考文献
・志智 嘉編『風雪の記録:橋本宇太郎勝負碁二十番』囲碁新潮(昭和43年9月)   「私の履歴書」
・橋本宇太郎著『囲碁専業五十年』至誠堂(昭和47年2月)「いわもと」
・関西棋院監修『橋本宇太郎の世界』山陽新聞社 (昭和59年)
橋本宇太郎「原爆の下で」、岩本薫「風雪七十年」
・橋本宇太郎対話講座『囲碁一期一会』難波塾叢書48、(平成4年)「原爆下での対局」
・岩本薫著『囲碁を世界に(本因坊薫和回顧録)』講談社 1979年
・岩本 薫著『本因坊薫和選集』岩本薫先生棋譜編纂会(平成7年9月)「囲碁人生九十 年薫和随想」

付記:
岩本薫 国際囲碁普及に貢献
 1945年の東京大空襲による日本棋院焼失時には、自宅を仮事務所にするなどして、瀬越憲作らと日本棋院復興に尽力した。1958年に訪米、続いて1961年からアメリカに1年半滞在してから海外普及に情熱を注ぎ、アメリカ・ヨーロッパ各国・南米等を訪問して囲碁の指導と普及を行った。
 1975年にロンドンに囲碁会館を建設。1986年、囲碁「薫和サロン」ビルを日本棋院に寄付し、それを売却した5億3千万円を資金として岩本囲碁振興基金を設立。1989年にはサンパウロに南米囲碁会館を建設、1992年にアムステルダムにヨーロッパ囲碁文化センター、1995年にシアトルとニューヨークに囲碁会館を建設するなど、世界各地での普及に尽くした。ヨーロッパ囲碁文化センターの日本間は「薫和」と名付けられている。
半田道玄の囲碁哲学と科学的自然観 
半田道玄の囲碁哲学と科学的自然観 
   
大阪の梅田にある囲碁サロン「欄柯」で年4回ほどの間隔で、「囲炉裏端会議(いろりばたかいぎ)」というものが開かれている。この会議は、囲碁に関する歴史、囲碁の普及、囲碁の特性や囲碁理論などを取り上げて議論する場である。有名な囲碁棋士、インストラクター、囲碁研究家などの集まりである。1回に2人がそれぞれのテーマについて報告し、それを素材にして討論する。

 前回、半田道玄のお弟子さんである斎藤謙明さんが「思想家としての半田道玄」を話された。それに刺激されて、以前斎藤さんから頂いた著作『半田道玄の覚え書き-天地の理にかなう』をもう一度読み直して、改めて興味を覚えた。半田の囲碁哲学は科学的自然観と照応したところが多いのである。

 そこで、次回9月2日(日)に「半田道玄の囲碁哲学と科学的自然観」を私が報告することになった。棋力の低い私には、半田の囲碁哲学をどこまで理解できるか分からないが、「囲碁観-人生観-宇宙観を一体」とする半田道玄の思想を、私の持っている科学的自然観と対応させて見ることにした。このような試みは多分囲碁界の人はまだ誰もしてないだろうから、変わった新しい囲碁の見方ができるのではないかと思い、敢えて挑戦したわけである。             
 文章が長すぎてここに載せられないので、目次のみ揚げておく。 
  
目次
[1]はじめに 
半田道玄とデカルト

[2]科学的自然観
 近代科学から現代科学への自然観の変遷、西欧的(キリスト教 的)自然観と東洋的自然観、
半田の運命論:絶対的法則、 近代科学の運命論、人間も自然の一部

[3]科学とは、囲碁とは
 科学とは、自然科学は自然自体の自己反映活動、囲碁理論は自己言及型ではない

[4]宇宙の自己実現
 宇宙の自己発展・進化、 自然自体の創発により自己実現に向かう、 創発現象は予測できない、 囲碁における創発、

[5]成るべくして成る
 「形相」(フォーム)、自然科学も囲碁も形相の一つ、
 「自然論(じねんろん)」:「成るべくして成る」、大宇宙と小宇宙、 「地球ガイア」、

[6]相互規定の原理:存在の理法
 宇宙も囲碁も相互規定的体系、 自己実現:形相(フォーム) の発現、「神の意を認知した」、「囲わず、守らず、攻めず」

[7]カオス現象と囲碁:予想不可能、クオリア(質感)
幼児に囲碁を
幼児に囲碁を!


囲碁を教えるのは早い方がよいということは昔から言われているが、その事情は今も変わらない。小学校教育の中に囲碁を正課として取り入れられるなら最善である。しかし、ただでさえ授業時間が足りないと言われ、クラブ活動ならまだしも、正課など望めそうにない。しかし、幼稚園ならその制約はなく、遊びながら囲碁を教えられるだろうと思い、私たち囲碁教育研究会はその実現に取り組んできた。

 そのために、この度、囲碁教育研究会から「幼稚園・保育園・小学校低学年向け『囲碁のすすめ』(指導用テキスト)」を出した。研究会の議論を基にして、会長の黒川さん(元大阪府教育長)と議長の私で書き上げ編集したものである。  このテキストは、昨年、6路盤を中心にした内容を「試行版」として印刷し、関係者に配布した冊子に加筆して完成版としたものである。

 本版は「試行版」を実際に使ってみて気づいた不十分な点や欠陥を補足修正し、最後に9路盤の入門的解説を追加したものである。(A5版190ページ)

 自画自賛になるが、試行版の時から割合に評判はよかったので、本版が期待されていた。
  
実践教室 
 早速このテキストを使って実践するために、寝屋川市立幼稚園の先生向けの、囲碁の入門講習会を行った。

 寝屋川市教育委員会の協賛を得て、連続4回の講習会の場を設定していただいた。囲碁教育研究会の会長を先頭に、研究会のメンバー4人で出掛けた。講習会には「就学まえの教育振興」とう難しい名前が付いていたが、楽しい会だった。

 出来立てほやほやのテキスト『囲碁のすすめ』を使った実践教室である。50数名の先生方が参加をえた。みな熱心に耳を傾け、また石取りゲームを楽しんでくれた。

 教育における囲碁の効用、なぜ囲碁か、なぜ幼児から始めるかなど簡単に紹介し、囲碁ゲームの遊び方に進んだ。
 例により、初めは石取りゲームのルールとやり方を説明し、直ちに6路盤で連碁を始めた。

 最初は、要領を飲み込んで貰うため、モデルケースとして大盤でやった。皆見ている前で打つので、間違ってはいけないとばかり、真剣に考え込む人、思い切りよくパーンとうち下ろす人、フロアからの応援などいろいろあって次第に盛り上がっていった。

 その後、3人づつのチームで勝ち抜き戦、敗者戦をした。勝って「やったーと」歓声、間違えて「悔しい!」と言う人、すごく熱心だ。

 石取りゲームを4~5回経験すると、かなりわかってきて、興味が湧いてきたようである。
 
 そこで、「石取りの極意」といって、「ゲタ」「シチョウ」、「打って返し」、「追い落とし」を披露したところ、中にはウーンと頷き、ほとんど興味津々という顔で聞き入っていた。
 
 わずか2時間半ではあったが、成果は十分あったように思う。終わってからも、個人的にいくつかの質問を受けた。
 
 毎週続けて4回行うことになっているが、この調子なら必ず成功すると思う。

なお、テキストについての問い合わせは、
 囲碁教育研究会事務局 有限会社フューネック内
   電話06-6444-3081
 頒布価格は実費として700~800円(未定)です。
子どもに囲碁を

幼児に囲碁を!


 囲碁は思考力や創造性を養うのに良いことが、いろいろ説かれている。特に、幼児のころから始めるとその効果は大であると思う。子どもが囲碁をするメリットはそれ以外に、長時間落ち着いて物事を継続できる忍耐力、礼儀正しい人間になるなど、諸々のことを挙げることができる。

 そこで、関西を中心にして、いろいろ広い分野で活躍している人達がプロ棋士を交えて「囲碁教育研究会」を3年前から隔月に開いている。
 
この度、この研究会で、

「幼稚園・小学校低学年向け 囲碁のすすめ」(教師用テキスト)

を作った。

 
その特徴は、6路盤を基にして、囲碁の遊び方を解説し

たところにある。子どもが喜んで遊ぶ「石取りゲーム」

から始めて、「地取りゲーム」まで、一通り分かり易く

解説してある。

なぜ、6路盤を中心にしたかその理由は、石の生き死に

など面倒な知識なしに、「石取りゲーム」と「地取り

ゲーム」ができるからである。

 

 研究会の参加者から、このテキストは良くできているから、早速これを使って自分の授業で実践してみよう、と言うひとも現れた。さらに、幼稚園にお願いして囲碁教育を実践しようということになった。
 
 幼稚園・小学校で、このテキストで囲碁教育をしてみようと思われるところがあれば、ご連絡下さい。

 なお、このテキストは、大人の囲碁入門にも使えます。

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