科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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人工知能(AI)の可能性:人間思考の盲点の発掘
人工知能(AI)の可能性:人間思考の盲点の発掘

 AIの能力は素晴らしく進み、特殊な個別分野では人間を超えるようになった。そして、AIは人間の知能をいずれは超えるだろうとの予測があり、その時点を「シンギュラーポイント」と呼んでいる。だがその「人間の知能を超える」という判断には問題がある。その理由は、人間の能力を完全に知ることは不可能だからである。なぜならば、人間が人間を探究する論理は「自己言及型の論理」であるゆえに、ゲーデルの不完全性定理によって、そのような理論は原理的に不完全であり、自己完結的理論となりえないからである


 近年の脳研究で未知の領域が広がり、人間の意識の奥深さ、複雑さが改めて認識されている。それゆえ、人間の能力を知り尽くす事は不可能であり、AIが人間を超えたか否かを判定することも不可能であろう。

 今の深層学習(Deep Learning)は、学習目的の分かっている特定分野の問題について多量のデータを記憶させて、反復経験により帰納的に学習するものである。それゆえ、深層学習のソフトは個別分野適用のソフトであり、人間のように、多面的に総合的判断ができる汎用性AIではない。汎用性AIのソフトを開発する論理と方法(それは演繹的推論の論理)はまだ未知である。まして新たな物事を創造する能力を有するソフトの開発は難しい。創造性機能を有するためには、現在実行していることの意味(何のための計算か、ゲームの楽しさなど)を理解しなければならないが、コンピューターにはその意味を理解できない。したがって、人間の能力に「迫る」あるいは「超える」ようなAIを開発することは今のところできない。 

そこで、それよりも現時点でAIにとって可能性の高い開発分野は、「人間の思考形式の盲点」となっているところを発見することであろう。人間の思考形式(発想)は決まったものではなく、東洋と西洋で、あるいは民族により異なるし、また時代とともに発展進歩してきた。論理学にしても弁証法論理や形式論理がある。特に形式論学は古代から、名辞論理(三段論法)、命題論理、述語論理など次々に開発されてきた。今後も新しい論理が誕生するだろう。それゆえ、現代人の思考形式はまだ不十分で、未知の論理があるはずだ。つまり人間の思考や発想には盲点があるだろう。地球外の高等生物は我々とは異なる論理思考を持っているかも知れない。 

 現に、将棋や囲碁の対局で、人間には思いつかない着手が飛び出して、驚かされている。しかもそれで勝っている。トップ棋士が、ゲ-ムソフトを使って研究するのは人間の盲点を指摘されるからだという。人間は最初からこの手は駄目だと思って読みの対象から外してしまうものがある。しかし、コンピューターは愚直にすべての可能な手を読み尽くすので、人間が見落としていた思わぬ応手によって盲点を突かれることがあるという。
 
 単一分野の深層学習ソフトでも、このように人間の盲点の発見に繋がる。それゆえ、複数の分野の深層学習ソフトを並列に繋げば、更なる人間思考の盲点や隙間を発見することができるだろう。メモリー容量が許すならば、種々の分野の深層学習ソフトを並列処理したもう一段階高い深層学習ソフトで繋げば、ある程度の汎用性のあるものができ、きっと新たな発見があるはずである。

 しかし、問題は何が人間の盲点かを判定する基準と、それを拾い出すプログラミングの開発である。人間がコンピューターの反応全部を終始監視し続けることはできないから、それをコンピューターにさせるのである。このレベルではコンピューターの応答(動作)のほとんどのものは、ソフトを作った人間の期待に応える常識の範囲であろう。それら応答の中で異常と思われるものを取り出して、それが人間の盲点を突き、かつ有効なものと判断できるプログラミングを作らねばならない。それができるコンピューター同士でシミュレーションをするなら面白いだろう。 囲碁、将棋のようなゲームの場合は、盲点であることの判断は比較的し易い。しかし、一般の社会的現象ではその判断基準は簡単ではなかろう。

 だが、この種のソフトの開発は、「創造的ソフト」の開発のヒントを与えてくれるだろうから研究の価値があると思う。
政治におけるカオス現象-多数決制の危機
政治におけるカオス現象-多数決制の危機 

昨年2016年は世界の情勢が大きく舵を切る予兆の現れた年だった。その予兆とは、一つには世界政治の方向転換であり、二つには民主主義的多数決制への疑問である。
 それを示した代表的事象は、「EU(欧州連合)離脱」の可否を決定するイギリスの国民投票、およびアメリカの大統領選挙である。いずれも賛否相半ばするきわどい接戦であった。


 イギリスの「EU離脱」を決めた国民投票は、初期の予想を覆して、接戦の末EU離脱派が辛勝した。だが、開票後に離脱派のリーダーが、宣伝していた前言を翻すなどで混迷があり、さらにこの結果が世界の政治・経済に与えた影響の大きさに驚き戸惑い、英国民は後悔しているかのような状況も報じられた。投票をやり直せという運動も起こったほどである。
 イギリスのEU離脱は、EU自体の弱体化ばかりでなく、イギリス経済にとっても難問を抱え込んだことになろう。その影響は、今後とも世界情勢を左右しかねない。EU離脱の賛否は完全にイギリス国内を二分し、投票結果がいずれに転ぶかは一寸した風向き次第といえるほどであった。しかし、イギリス一国の中のわずかの意見差が、将来の世界情勢に与える効果は予測できないほど大きいだろう。EUがしっかり結束していて強力であればその反響は少ないが、経済的に弱体化している時期ゆえに、下手をするとEU崩壊を招く恐れがある。この状況はまさに「政治におけるカオス現象」である(注)。 
 
トランプ大統領の出現も、初期の予想に反した接戦の結果である。獲得代議員数にはかなりの差があるが、それは選挙制度によるもので、全国の投票数ではクリントン氏が僅かに多かった。この結果は国内の意見が完全に二分したことを示している。この選挙での逆転は、アメリカ国内で既成政党の政治への不信・不満が蓄積し爆発したと見られている。その言動にあれほど批判の強かったトランプ氏であるが、国内の不満を取り上げ極端なアジテーションで国民の心を掴んだわけである。この結果は選挙を通してのクーデター(あるいは一種の革命)である。トランプ氏とクリントン氏のいずれが当選するかで、アメリカの国情が、ひいては世界情勢までもがらりと変わるだろう。すでにトランプ氏の独断的政治方針、組閣人事に見られるように、世界の政治・経済が混乱する予兆は現れている。それゆえ、これも政治におけるカオス現象である。

 社会的カオス現象は、国内が二分されるなどして、背景の環境が不安定な状態にある時に現れる。僅かの意見差や擾乱が拡大されて非常に大きな効果をもたらす不合理な現象である。近年は経済格差の増大、政治的閉塞、テロなどで、全世界がが不安定な状態であるから、政治・経済的カオスは、全世界に及ぼうとしている。
 咋年はイタリアで憲法改正の是非を問う国民投票を12月実施 。上院の権限を弱めて事実上の一院制にすることで、政権与党は改革を進めやすくしようとした。レンツィ首相は憲法改正案は承認されると踏んで、否決された場合には辞任する意向を示していた。だが、予想外の景気減速や英国のEU離脱決定による衝撃などを背景に状況は一変し、否決された。オーストリアの大統領選挙では移民排斥の右翼候補が勢力を伸ばし、一時結果が危ぶまるほどであった。今年は、フランス、ドイツなどEU圏で大統領選挙や国会議員選挙があり、右翼政党の台頭が問題となっていてファシズムの再来が危惧されるほどである。
 
 このような投票結果に現れる政治的カオス現象は、民主主義的投票制度の弱点が露呈されたものである。十分意見を戦わせ、有権者が正当な判断を持って投票すれば問題はないだろうが、現代のような矛盾に満ちた不安定な社会情勢の下では、煽動に惑わされる人が多い。意見が二分されても、勝った方が全権を握りうる制度は拙い。多数決制民主主義の限界と弱点が、典型的に現れたのが今度のアメリカ大統領選挙である。この不合理な制度は改めねばならない。 

民主主義先進国では、議会運営がマンネリ化、形骸化して議会と民意が乖離している。選挙制度も問題であるが、選出された議員が民意を反映しないから、議会に対する期待が薄れて、投票率の低下はひどくなっている。
 日本では小選挙区制のために、僅かの支持率の差でも2/3絶対多数を獲得できる。小選挙区制は勢力拮抗のときにカオス現象が起き易い制度である。勝った方は、ほぼ半数の反対意見があることを考慮して政策を決めるべきだが、往々にしてそのことを無視して我意を押し通す。それを世論が抑えられないと、権力者の横暴がまかり通り易い状況が生まれる。 
     
 トランプ氏は脅迫的言動で批判者や反対派を押し潰そうとしている。これは最も典型的な悪い例で、非常に危険な状況が起こりつつある。
   
とにかく、多数決ですべてを決め、反対派や少数派の意見が無視される投票制度は危険であり、議会制民主主義が正当に機能しなくなる。この欠点を改める制度を工夫せねばならない。

 (注) カオス現象:
 非常に不安定な気象状態のとき、蝶の羽の一はたきが拡大されていって、遠いところで台風を起こすような現象(これを「バタフライ現象」という)をカオス現象という。小さな要因が無限に拡大されていって、大きな結果をもたらすことをいう。

かって、アメリカ大統領選挙でブッシュとゴアが争った時も、典型的なカオス現象である。最後に残った一つの州の僅か数百票の差でブッシュが勝ち、大統領になった。その直後にアメリカでテロが起こり、ブッシュは誤った情報をもとにした判断で(石油利権も絡んでいたが)イラクに侵攻した。その結果が中東アジアと西欧地域での大混乱とテロの蔓延である。もしゴア(平和的であり、環境問題にも取り組んでいる)が当選していたらこのような暴挙はなく、世界情勢は全く変わっていただろう。
文化としての科学を! 
文化としての科学を! 

 現代は科学・技術が人文科学に比し突出して発展し、物質文明に対して精神文明が非常に遅れている。そのために、科学・技術の社会的機能に歪みが生じ、いろいろな軍事利用、原水爆開発や環境破壊などのようにいろいろ弊害がでた。 それゆえに、科学・技術のあり方に対して批判的意見がでている。その意見にはもっともな論も多いが、科学と技術を区別せず一纏めにして「科学」を攻撃する的外れのものも多い。

 自然の存在様式や運動の法則それ自体の中に価値は存在しない。人間も自然の一部であるから、科学も自然現象の一部に含まれる。「自然科学は自然自体が人類を通して自らを解明する自己反映活動である」というのが私の科学観である。科学が自然現象の一つであるならば自然科学自体に使用価値はない。科学の使用価値は人間が技術を通して社会活動において創り出したもので自然自体にはない。科学は技術を通して善用・悪用のいずれにも利用可能であるが、科学理論自体にはどちらに利用し易いということはない。それゆえ、科学は使用価値に関して「価値中立」である。

 科学の目的、つまり社会的機能には2つある。自然の仕組みを解明する「知」の体系としての存在意義、および技術への応用である。前者は精神文明への寄与、後者は物質文明への寄与である。本来、科学は文化の一形態であり、精神文明の形成に不可欠である。

  「真善美」は古代から最も崇高なものとして求められてきた。科学的知はこの「真善美」の「真」の探求の成果である。「科学知」の理論形式は美しく「美」でもある。その意味で科学は価値を有する。技術として役立つことを主体とする科学ではなく、これからの科学は、真善美と一体となる精神文明としての科学、思想としての科学が求められる。そのためには基礎科学をもっと重視すべきである。

 自然科学は本来自然哲学であった。今また科学と哲学との共生が求められている。哲学との共生がなければ、精神文明としての科学、思想としての科学は存在しえない。その様な科学は、資本主義社会では、技術の下僕となる。現代では、科学は国家の支配下にあり、技術の下僕となっている。この状態を脱して、「思想としての科学」の復権を唱えたい。 以前、私は拙著『科学は自然をどう語ってきたか』(ミネルヴァ書房)で「精神文明としての科学の復権」を主張した。

 今年度のノーベル医学・生理学賞の受賞者大隅良典氏は、基礎科学を重視し、「科学が文化として受け容れられる社会を望む」といわれた。この思想に強く共鳴する。

追記:
 近年、大学と防衛省との共同研究が増えている。大学や民間企業へ防衛省から共同研究の誘いが急増し、予算も増えている。
学術会議でも「軍学共同研究」を巡ってその可否が盛んに議論されているが、反対意見が大勢をを占めている。

 その議論のなかで、「科学・技術の2面性(デュアルユース)」が問題になっている。上記のように、科学は技術を通しての利用価値に関しては中立である。それゆえにこそ、科学者は科学理論が悪用されないように監視し発言せねばならない。それが科学者の社会的責任である。「科学の価値中立論」は科学の利用につい科学者は無関心であることを許すわけけではない。
  科学が平和と人類の幸福に貢献し、悪用を阻止できる社会こそ文化国家であり、そのような社会でこそ「文化としての科学」となりうる。
トランプ氏は何処まで本音を通す気なのか
トランプ氏は何処まで本音を通す気なのか
 
 次期アメリカ大統領トランプ氏は、当選後は急に言動が穏やかになり、現実と世論にある程度合わせる気なのかと思った。方針転換をしたと思われるところもあるが、予定されている閣僚人事を見ると、選挙中に言った彼の本音を実現しようとする意思が見受けられる

 「トランプ現象」は「選挙による一種の革命」であると先のブログに書いたが、それに対して私の友人は「選挙によるクーデター」だといってきた。その方が妥当かも知れない。いずれにせよ、トランプ氏の今後の言動、政策を注意して監視しないと油断はできない。

 今や世界中が混沌として、何時何処で何が起こるか分からない不安定な状況である。経済的不安定、環境破壊、紛争、テロ、人災、天災がやたらに多い。それほど格差、不平等による不満が鬱積し、人心が荒廃しているのだ。「トランプ現象」はさらにその状態に混乱をお持ち込むのではないかと危惧される。
トランプ大統領出現の衝撃
トランプ大統領出現の衝撃
 
 予想を覆したドナルド・トランプ氏の当選はアメリカだけでなく世界に衝撃を与えた。これはアメリカ社会の歪みがいかに大きいかを示す世紀の事件であり、既存の政治体制と形骸化された代議員制民主主義の危機を示すものであろう。

今度の大統領候補は2人とも、それぞれ半数のアメリカ人から嫌われた人であった。そのうえ、非常識な言動のトランプ氏は共和党の幹部や有識者、マスコミから総反発を受けた。そして多く選挙民の心には今の政治・経済制度に対して不信と不満が渦巻いていた。このような状況の下で、このような候補者を選ばねばならないことはアメリカ国民にとって不幸な選挙であった。それゆえ、かえって不満と怒りのマグマが一挙に噴出してトランプ支持となり、多くの予想に反して大逆転の結果となった。これは民主主義的選挙という名の下になされた一種の革命の始まりではないかという気がする。
トランプ氏の煽動的選挙公約は、アメリカの現状に対して既成制度の破壊と「アメリカ優先主義」であった。それは社会の表面に出た現象面のみ取り上げた情緒的・煽動的なものであったから、かえって不満の鬱積した選挙民に受けたのであろう。選挙期間に見られたトランプ支持者の熱狂的様子は理性的判断を失っているように見えた。 

 トランプ氏の主な公約のスローガンは、グローバル化反対、既存の政治特権打破、アメリカ人の仕事を奪う移民排斥、人種差別、保護貿易主義(自由化反対)、外国駐留軍隊の費用の負担減などを唱え、国内の雇用増大と格差縮小、法人減税であった。しかし、これらは互いに矛盾する面もあり、すべてをそのまま実現すれば支持者間の分裂を招くだろう。実行しなければ公約違反で支持者の失望を招くというジレンマに陥る。ほとんどの公約は情緒的・煽動的なものであり、そのまま実現できるものはほとんどなく、全部そのまま実行すればアメリカ内部だけでなく、世界的大混乱を起こすといわれている。

これら諸現象はグローバル化と市場原理優先の資本主義社会、金融資本(マネーゲーム)の暴走する社会では、いずれ起こるべき必然性があり、それらの基底には共通した原因がある。その根源を正しく把握して対策を立てねば、ただ混乱を招くばかりであろう。 移民問題にしても、メキシコとの国境に壁を作るといった短絡的な発想で済むような単純なものではない。。
 
 トランプ氏は政治の素人であり、政治・外交についてほとんど知識も情報もないといわれている。それゆえ、現象のみを見た思いつき発言が多かった。当選後の言動は急に穏やかになり、現実に近づく妥協の姿勢が窺える。彼に限らず、当選後は実情を知って公約通りの政治を行う者は少ないから、当然予測されたことであるが、豹変が大きすぎると変革を望んだ支持者が黙っていないだろう。

  激しいポピュリズム(大衆迎合主義)はアメリカのみでなく、世界的な潮流になりつつある。トランプ衝動が革命の前兆ならば、世界的混乱が遠からず起こるだろう。もしそうならば、その後にいかなる社会制度が良いか、まだその答えも見透しもない。革命の収束・仕上げは、既存システムの転覆者ではなく、二代目の政治指導者によってなされることは歴史の示すところである。
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