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科学・技術と自然環境について、教育を考える。
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プラスティックゴミ問題で思うこと
プラスティックゴミ問題で思うこと

 自然に分解しないプラスティック製品のゴミによる地球の汚染がひどい。特に海中に流れ込んだ袋など、多くのプラ製品が大量に蓄積し、それを飲み込んだ海洋生物(動物や魚類)の被害が深刻になっている。 このままでは2050年までに海に流入するプラスチックゴミの総重量が、世界の海に生息する魚の総重量を超えるとの予測もあり、分解されずにたまり続ける大量のプラスチックゴミの問題が世界で懸念されている。

 それゆえ、プラスティック製品、特に袋やストローの使用を制限する運動が、最近急速に進んでいる。そうなると、プラスティック製品を製造している会社は存亡の危機に見舞われるので、プラスティックに代わり、バクテリアによって自然に分解される物質の開発を進めている。プラスティック業者は生き延びるためにこの開発研究は当然だろう。すでに、幾種類かの新物質が開発されているようだ。
 だが安心するわけにはいかない。新たな問題が起こる可能性があるからである。予想される問題点をあげると
1.完全に分解するまでにほぼ1年かかるそうで、少なくとも半年は分解せずにそのまま海中を浮遊するから、動物・魚類の被害は完全には無くならない。
2.その様な代替製品ができると、これまでの例を見れば、環境にやさしい製品だといって、プラスティックよりも大量に作られ、売り出される可能性がある。それゆえ、必ずしも環境に良いとは限らない。
3.そのゴミが自然分解されても、分解された有機物は何かが問題である。その分会有機物の化学的性質が安全無害であるかを検証する必要がある。たとえ、有害でなくとも、大量に作り続けると、その製品が分解されてできる有機物の蓄積により、海水の成分濃度が変わり、環境変化、ひいては生態系の変化を引き起こす可能性もある。


 これまで、環境に悪影響があると指摘された物質に代わる代替物が開発され、素晴らしい発明だと宣伝されたものでも、後になって予想外のところに悪影響がでた例は多い。原子力発電(使用済み核燃料の蓄積、原子炉事故)、フロンガス(オゾン層破壊)などがその典型である。また、省資源、省エネルギーに役立つ技術の開発は一時的には、環境保全に寄与したが、その技術の普及によって新製品が大量に作られ、使われて、かえって資源とエネルギーの無駄な消費が増えて環境汚染を増したこと忘れてはならない。真空管に代わるトランジスターがその最たるものである。LED照明にもその兆しが現れている。

 技術開発のみによって地球環境は救えない。人間の欲望は技術改革の波を乗り超えて膨らみ、資本主義の下では止まることはない。 むしろ、人間の考え方(精神構造)、生活スタイルの転換が不可欠であろう。環境汚染はプラゴミばかりではなく、生活物質全てに亘るから、今や地球全体がゴミ屋敷になりつつある。この際、発想を転換して、無駄を省き、便利さを追求し続ける人類の生活スタイルを変える運動を起こすべきである。

環境運動家グレタ・トゥンべリさんのような若者の運動を支援し、早急に人類全体に広めねばならないたい。
悪夢の安倍内閣が最長記録
悪夢の安倍内閣が最長記録

 安倍晋三政権は憲政史上最長記録をつくったそうだ。その長期政権を、安倍首相と取り巻きは得意満面のようだ。しかし、安倍内閣の傲慢さと政権の私物化は、良識ある国民にとっては苦々しい思いである。

 国政に関しては、文教政策の右傾化、特定秘密保護法に次ぎ、憲法違反の安保法制化(集団的自衛権行使法)、国会を無視した政治運営等々、民主主義を踏みにじってきた。
 権力の私物化は、内閣の取り巻き人事(お友達内閣)、「モリカケ」不祥事を、見え透いた嘘と公文書改竄で逃げきり、公費を使った「桜を視る会」を自らの後援会に利用など目に余るものがある。
 唯一自慢している「アベノミックス」とても、自己宣伝に過ぎない。安倍内閣発足当時は、世界経済はリーマンショックから立ち上がりつつある時期で、安倍政権にとって幸運であり、「アベノミックス」のお陰で日本だけ良くなったわけではない。

 外交においても、世界を駆け巡り、接待外交は盛んだが、お金をばらまいただけで、ほとんど成果はない。拉致問題、沖縄の基地問題、地域協定、北方領土問題などみな置き去りである。さらに、トランプ大統領に寄り添い、彼を持ち上げて、世界から顰蹙を買った。
 国内政治も、次々に政策を打ち出したが、口先だけの美辞麗句で実現したものは僅か、実現しなくとも知らぬ顔で、失敗の責任は一切取らない。

 こんな安倍内閣でも長続きできたのは、小選挙区制のおかげで、「安倍一強」を築いたためである。
 平和憲法と民主主義のもとで平和な生活を願う国民にとって、安倍政権は長い「悪夢」の時代であった。早く退陣してもらいたい。


追記安倍首相は、ことあるごとに民主党政権を「悪夢のような政治」と攻撃する。だが、民主党政権は「素人的政治」であったろうが、安倍政権のように、積極的に悪いことはしていない。安倍政権こそ「悪夢の政治」である。
行き過ぎたLED照明:
行き過ぎたLED照明:  節電どころか浪費になりつつある

 今年も年末が近づき、街にはライトアップやデコレーションが氾濫しだした。
 先日大阪市は昨年に続き、御堂筋をLED照明で飾った。年末まで毎晩続けるそうである。その電球数は23万個という。
 また、11月に入ったら、なんともうクリスマスデコレーションを飾り始めた所があるとテレビで報道された。それもLED電球数は3万個程とのこと。
 神戸のルミナリエは昔から有名であり、例年通り行われるであろうが、LED照明になってから一層巨大化している。

 これらの派手なデコレーションを、美しく素晴らしいと、テレビが放映し宣伝している。その宣伝により、それを真似て同じような飾りとライトアップは至る所に拡がるだろう。
いま地球は環境保全、温暖化防止のため省資源、節電が叫ばれている。その様な状況にあって、国や自治体は率先してそのために努力すべきであるのに、率先して膨大な浪費をして環境汚染に荷担しているように思えて仕方がない。テレビ(特にNHK)も綺麗だと褒めて宣伝するばかりでなく、地球環境保全の立場から取りあげるべきではないか。


 LED照明の発明は画期的な技術開発である。LED照明はその明るさ、電球の寿命、消費電力の削減による節電など多くのメリットをもたらした。LED発明がノーベル物理学賞に与えられたとき、ノーベル賞選考委員会は「白熱電球が20世紀を照らした。21世紀はLEDが照らす」とその功績を讃えた。まさにその通り、LED照明は急速に普及して節電に貢献し、今や世界を照らしている。
しかし、LED電球が安価になり、消費電力も少ないので、LED照明は至る所に氾濫し、節電、省資源どころか、逆に多大な浪費となり、環境汚染に荷担するという状態になりつつある。「LEDは21世紀を照らし過ぎ」にならないように心がけねばならない。

東京オリンピック・パラリンピックの迷走
東京オリンピック・パラリンピックの迷走

 来年開催まで一年を切ったこの時期に、東京オリンピックのマラソンと競歩の会場が、東京から札幌へと突如変更された。高温気候を理由とするIOCのこの決定に議論が沸騰した。地元の意見を無視したIOCの決定の経緯や仕方、その唐突さに不明瞭な点が多い。
 東京オリンピック・パラリンピックは、最初からご難続きだ。非常識な予算の膨張、メイン会場のデザイン変更、ポスターの変更など、JOCの迷走は目に余るものがある。そもそも無理を重ねた東京誘致だからであろう。
東京オリンピック・パラリンピックが決定された3年前から、年々悪化する気候温暖化、気候異変のため、2020年には、選手ばかりでなく観客を含めて、東京ではまともな競技はできないだろうと予想されていた。東京誘致に批判的であった性もあるが、私はそう言い続けてきた。


 オリンピックの会場決定やアスリートの養成と決定法など見れば、オリンピックは利権絡みの「金まみれ、薬まみれ」である。本来のオリンピック精神は失われてしまった。このようなオリンピックは、膨大な経費を費やし、設備建設など環境破壊にも繋がっている。

 気候温暖化のために、夏の開催は困難だから、開催時期を秋に変更するによう、JOCは提案し請願したが、IOCは聞き入れなかったと聞く。その理由は、秋にはサッカーなどの球技大会があり、その放映権を持っているアメリカの巨大企業がオリンピックよりもそちらを優先し反対しているからだという。要するに、利権と金によって、無理でも夏に開催しなければならないのだと聞く。

 マラソンと競歩の会場変更(東京から札幌へ)について、その一方的なやり方について、批判や反対の意見を述べる関係者やマスコミは、目先の対策に眼を奪われてか、この利権絡みのスポーツ界の体質を改革すべきだという意見を述べない。この歪んだ本質的な体質を改革しなければ、今後も同じようなトラブルが繰り返されるだろう。この機に、本来のオリンピック精神を取り戻す改革運動を巻き起こすべきではないだろうか。
吉野彰氏のノーベル化学賞おめでとう
吉野彰氏のノーベル化学賞おめでとう
 
  旭化成の吉野彰名誉フェローがノーベル化学賞を受賞した。民間会社の研究者は久し振りの受賞である。今年も日本人科学者が受賞したと、みな喜び祝った。

リチウムイオン電池の開発で、最後の仕上げを完成させ、実用化を可能にした功績が評価されたそうである。 
リチウムイオン電池は、電池の寿命が延びるだけでなく環境にも優しい。現在ガラケーやスマートフォン、ノートパソコンやデジタルカメラなどの電子機器、電気自動車や航空機の動力源としても使われている。さらに、小惑星探査機「はやぶさ2」にも搭載されるなど、地球上だけでなく宇宙空間でも活躍していて、今では人類にとって欠かせないものとなっているそうである。

吉野氏は環境問題に関心が強く、リチウムイオン電池が環境問題の解決につながることに強い意義を感じていて、スウェーデン王立科学アカデミーから「環境問題の解決に役立つ技術」とコメントされたことを喜んだそうである。
これまで日本のノーベル賞受賞者は、自らの研究課題に関することばかりでなく、日本の研究体制や環境問題など人類の抱えている課題に関心を持ち、コメントはいつも立派で敬服する。

リチュウムイオン電池は、それ自体としては、環境汚染を減らし環境問題の解決に役立つというのはその通りである。だが、そうとばかりいえないことにも留意すべきであろう。

吉野氏の素晴らしい業績に水を差す積もりは毛頭無いが、リチュウムイオン電池ばかりでなく、画期的技術の発明はその活用の仕方によっては、逆の効果も起こりうることを考慮すべきである。

以前、赤崎・天野・中村氏らが開発した青色LEDの技術は、高輝度LED照明への道を拓きノーベル物理学賞を受賞した。そのとき、ノーベル賞選考委員会は「白熱電球が20世紀を照らした。21世紀はLEDが照らす」とその功績を讃えた。その通り、LEDの照明具は長持ち、電力の省エネ、自然色に近いという長所を有するゆえ、第四世代の明かりとして世界を照らしている。しかし、21世紀を照らし過ぎないようにしなければ、省エネとは逆になると、LEDの受賞当時に私は書いたことを思い出す。実際に、今ではイルミネーション、デコレーション、ライトアップなどが氾濫し、世界を照らしすぎて省エネどころではない。これに似たことは、真空管に替わるトランジスターなど、他にも多々ある。

製品の小型化による省資源・省エネを目指した技術が、広く普及利用されて大量の生産品が氾濫し、逆に資源・エネルギーの大量消費をもたらした。吉野氏にしろ、中村氏などにしろ、省エネにより環境破壊を止め、人類の生活を豊かにしようとの意志願望とは逆の結果になりかねない。資本主義社会における規制のない市場原理優先の経済の下では、必要以上の製品開発、大量生産により弊害も出るだろう。人類は便利さや、物質生活の豊かさを追求するだけでなく、同時に精神革命によって生活スタイルを変えねば、折角の素晴らしい科学・技術開発はよい結果をもたらすとは限らない。
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